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12月07日火曜日 1999年12月1週 (はる食日記)

12月1日(水) 曇り
早朝起きて、ふたりして外出。筑波にある農水省の研究所で稲の品種改良についての話を聞く。研究者が実際に生産者や消費者と話し合いをして、 開発する品種を決めることはないそうだ。基礎研究として多収米などの研究の意味は分かるが、どうも話を聞いていて、 何の目的で品種を開発しているのかが分からない。これについては、後日、別のところでレポートすることになる。市民向けの室内展示場もあったが、 場末の博物館パビリオンといったところ。誰がこんなところに来るのだろう…??あ、我々か。
町中を歩いたり、駅に行くだけでタバコの臭いがすごい。空気が汚くて、肌が気持ち悪い。住んでいるところが多摩川に近い山の中腹なので、 主要道路のそばでも空気がきれいである。よけいにつらい。
朝が早かったので、コンビニでパンを買い、ホームで食べる。昼は、同行の人たちと筑波の飯屋で食べる。盛りがよく、 定食にはすべて生卵がついていた。水底がアジフライ定食、私が鶏から揚げ定食を頼み、おかずを半分ずつ分ける。帰宅後、一休みして夕飯とする。 水底がつくる。ご飯を炊き、ニンニク、トマトジュース、里芋、カブ、ニンジン、タマネギのシチューと、 昨日のグラタンにジャガイモとチーズを加えて増量したもの、それに春菊のごまよごしである。

食:7時、パン(コンビニ)
食:13時、アジフライ定食、鶏から揚げ定食(外食)
食:20時、ご飯、トマトスープ、増量グラタン、春菊のごまよごし、キムチ、ふりかけ。


12月2日(木) 雨のち曇り
冷え込む。窓の外の紅葉が美しい。葉っぱがどさどさと降っている。仕事をする。昨夜も明け方まで仕事。今朝も早くから仕事。仕事仕事。 休みをたくさん取るから、仕事もたくさんあるのだ。ありがたや。夜、水底の友人来る。鍋をする。水底が買い物に出かけ、予定の雑誌を買い忘れ、 イワシ10尾を買ってくる。ばら売り1尾30円で安かったらしい。小ぶりだが、身はいい感じ。10尾を選んでいたら、 横のおばさんがそんなに買うのかという目で水底を見たらしい。小ぶりなマイワシなど、10尾くらい食べるでしょう。その結果、 鶏鍋の予定をつみれ鍋に急きょ変更。うれしい限り。
水底友人に、「あけがらし」をもらう。米こうじ、粗糖、唐辛子、からし、麻の実、塩でできた飯の種である。庄内の生産者に、米、餅、豆餅を注文。 届く。お正月は安泰の予定。

宅配:レタス、白菜、いんげん、小松菜、カブ、ニンジン、里芋、ミカン、リンゴ、長葱、春菊、 油揚げ、豆腐、鶏肉、鶏手羽先、男爵芋、玉ねぎ、砂糖。

宅配:米10kg、餅、黒豆餅

もらい物:あけがらし。

購入:イワシ10尾。


食:13時、醤油チャーハン、レタスケチャップチャーハン、レタス炒め、トマトグラタンスープ。
食:21時、イワシのつみれ鍋、うどん、ご飯、あけがらし、キムチ。


12月3日(金) 晴れ
昨夜から今朝にかけて暴風。朝、窓を開けたら、遠くの方まで見通せた。葉っぱが落ちてしまったのだ。一晩で、冬景色である。 ベランダは落葉樹の枯れ葉に埋まってしまった。寒い1日。打ち合わせがあるので食事後外出。食事は、昨日の鍋に稲庭うどんとご飯を入れたもの。 雑炊うどん。夜も鍋。鶏肉の鍋である。鶏肉、干し椎茸、白菜、小松菜、里芋、人参、糸こんにゃく、油揚げが入る。お椀に鍋汁を入れ、 味噌を溶き入れて味噌鍋として食べる。時折、酢やごまだれやゆずなども入れてみる。うまい。ご飯をがつがつと食べる。鍋がおいしい季節なり。 水底風ポテトサラダいんげん添えごまふりかけもうまい。

食:12時、雑炊うどん。
食:21時、ご飯、鍋、あけがらし、キムチ、ポテトサラダ。


12月4日(土) 晴れ
水底の友人宅で忘年会。私も参加したかったのだが、仕事を考えて断念。大豆トラストのメンバーでもあり、 大豆と水底を車に積んで午前中の東京を走る。前夜から3時間ほどしか寝ていないので、しんどい。車の中で、 チョコレートやポテトチップスを食べる。帰宅後、ジャコとタマネギの醤油チャーハンと鍋の残り具・ スープに春菊を足したインスタントラーメンを食べる。実は、チャーハンに卵を入れようと思ったのだが、前日、 水底がケーキをたくさん焼いていたので15個ほどあった卵がひとつ残らず消えていた。あとには、紙の卵トレーだけ…。残念無念。
その後仕事。古いパソコンにスカジーカードを認識させるために四苦八苦する。途中であきらめて、別のパソコンに導入し、作業を進める。途中、 バナナやミカン、リンゴを食べる。水底が帰ってから、水底は腹が減っていないというのでキャベツとジャコ入りの焼きそばを作って食べる。 心が満たされない。夜中、リンゴとカップ麺を食べる。満たされないまま、カロリーを取ってしまった。やはりご飯を炊いた方がよかったか。
夜中まで仕事。

もらい物:レバ刺、サバのフィレ。

食:12時、醤油焼きめし、鍋ラーメン(私のみ)
食:12時~、鍋などのおいしいもの(水底、外食)
食:18時、焼きそば(私のみ)
食:25時、カップ麺。


12月5日(日) 晴れのち曇り夜一時雨
一日仕事。午後、仕事がらみで新宿に行く。人ごみにへきえきする。歩きタバコはやめよう! 食事は、午前中にご飯を炊き、味噌汁をつくる。
今回いつものあきたこまちではなく、別の生産者のササニシキ。我々はあっさりした食感の米が好きである。 コシヒカリのような粘りと甘みの強い米ではなく、どんなおかずにもあう、白い感じなご飯とでも言えばいいのだろうか、 いくらでもおかわりできる米が食べたいと常々思っている。ササニシキは寿司屋で使われるぐらいであり、 コシヒカリよりもあっさりして白い感じのご飯である。しかし、我々が常食するあきたこまちよりも、 この生産者のササニシキの方がちょっと重かった。おいしいのである。一般的には、とてもおいしいと言ってよい。香りといい、つやといい、 舌触りといいうまいのである。しかし、ご飯がおいしいと自己主張してはいけない。これはあくまで好みの問題であり一般的ではなかろうが、 ご飯をたくさん食べるためにおかずがあり、おかずとご飯が口の中で混ざり合ったときもっとも光るご飯こそ、 我々二人の食卓に望まれる常食の米であるのだ。
味噌汁は、おとといの鍋の汁と残っていた干し椎茸、昆布をベースに使い、白菜、いんげん、里芋、カブ、油揚げを入れる。水底が先日購入し、 腹を抜いてぴちっとシートで冷蔵庫干しをしていたイワシを焼いて食べる。水底は、朝からレバ刺しに挑戦。しかし、1時間後、あえなく敗退。 体調がよくないところに重たいものを食べるからだ。
そこで、夜は、れば刺をればカツにすることとした。ついでに、牡蠣を買ってきて、牡蠣フライを作ろうと思い立つ。さらに夜になり、 支度をはじめたところで、ジャガイモをゆでてシンプルなジャガイモだけのコロッケを作ろうと思いはじめ、最後には、 ニンジンの天ぷらとサツマイモのフライまでに行き着く。これに雑穀入りご飯を炊き、味噌汁をつくる。ジャコのだしと、ニンジン、白菜、里芋、 カブ、いんげんの味噌汁である。
ちなみに、ればカツは、醤油、ショウガ、みりんに軽く漬け込んだもの。コロッケは、ジャガイモを茹でてつぶし、塩、 コショウをしただけのものであり、タマネギや肉などは入れない。ジャガイモがおいしければ、このコロッケがもっともおいしいのである。

購入:牡蠣、卵、インスタントラーメン。

食:12時、ご飯、味噌汁、れば刺し、イワシの丸干し、キムチ、アオノリ、ふりかけ、あけがらし。
食:21時、ご飯、味噌汁、ればカツ、牡蠣フライ、コロッケ、ニンジンの天ぷら、サツマイモのフライ。


12月6日(月) 曇りのち雨
本日まで仕事。8日から海外に行くため、その準備に追われる。いや、旅行の準備ではなく、いなくなっても問題がないようにするための準備である。 本日の料理は、ニンジンの焼きそば風を選ぼう。これは、ニンジンを細長く切って、いわゆる焼きそばソースで味付けしただけのものである。 焼きそばを作るとき、添付のソースはほとんど使わないため、たまにはこういう料理を作ってみる。食べてみると、市販の焼きそばはただ、 ソースの味が食べたいだけだということがわかる。ニンジンが嫌いな人におすすめしたい。これに、豚肉とキャベツを炒め合わせるとよかろう。

食:13時、ご飯、焼きめし、しめサバ、キムチ、ればカツとコロッケの残り、味噌汁(油揚げ、 小松菜、人参、カブ、里芋)
食:21時、ご飯、味噌汁(呉汁の素、カブ、小松菜、ニンジン)、しめサバ焼き、ニンジンの焼きそば風、キムチ、納豆。


12月7日(火) 晴れ
寒い。仕事終了。髪を切る。ようやく本格的に旅行の準備を行う。残り物を処理するために、生クリームと卵を使ってカルボナーラを作る。 ベーコンがないので、ツナ缶を開け、タマネギを炒めて加える。少し醤油をたらして美味。

食:11時、タマネギ入りツナカルボナーラ
食:23時、カツカレー(私)、コロッケカレー(水底)(外食)

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12月14日火曜日 1999年12月2週 バリ島 (はる食日記)

12月8日(水)  晴れのち空の上のち雨
今日からバリ島である。25日に帰国する。これから先の食事については、私が食べたものを記載し、水底が食べたものについては、 書いたり書かなかったりすることにする。
早朝車で出発し、一路成田へ。空港の近くにある民間駐車場を予約しておいた。ハイシーズンで25日まで6000円である。 高速道路のPAでうどんを食べる。空港でお茶を飲み、飛行機へ。今回はJALである。10時30分頃搭乗。搭乗後、ふたりとも眠り込んでしまう。 機内食が出て起床。食事後、また睡眠。ジャカルタを経由するため、機を降り空港内を一巡。ふたたび搭乗し、バリの空港へ。 前回お世話になっていたJATIホームスティの元スタッフ、クトゥ君が独立してガイドをやっている。そこで、空港まで彼に迎えに来てもらった。 なお、今回は、水底の友人であり、チョウチョの採取家であるA氏が同じJALに同乗。同じJATIを予約しておいた。
また、同じく水底の友人であるH女史が関西空港経由のANAでバリに来ることになっている。H女史が到着するのは深夜になるため、 一晩クタで宿泊し、翌日合流することになっている。
バリ島は雨。少し肌寒いような気もする。
到着後、半年前の定宿であるJATIの部屋にチェックイン。近くのアリレストランでナシチャンプルーとミックスジュースを注文する。 素材がおいしい鶏肉やフルーツ、卵はおいしい。ナシチャンプルーは、ご飯、テンペゴレン、アヤムゴレン、ゆで卵、クルプック、サテアヤム。

食:7時、天ぷらうどん、おむすび(PA)
食:13時、機内食。豆腐と牛肉のそぼろあん、ご飯、パン、甘いもの、サラダ。
食:18時(ジャカルタ時間)、機内食。冷たいサテ、バナナチマキ、フルーツ。
食:22時(バリ時間)、ナシチャンプルー、ミックスジュース(アリ)

 


 

12月9日(木)雨のち曇り
昨夜寝る前に、水底からおおまかな「やりたいこと」を聞き、大ざっぱにスケジュールに落とし込んでみた。おや、なかなか時間がないではないか。 しかも、バリ島の西部、ヌガラのサンカルアグン村で行われている竹楽器ジェゴクの演奏は、毎日曜日ではなく、木曜日の週と日曜日の週があり、 一足先に帰国する予定のHにとっては、本日が唯一の機会であることが分かった。そこで、朝一番に、クタのHがいるホテルへ電話することにした。
朝起きて、JATIの朝食を食べる。雨が降っている。市場へ行き、テレホンカードを購入。前回までの磁気カードではなく、 ICチップカードになっている。進化が早い。
Hに電話をする。水底が今回合う予定のM女史、ジェゴクツアーを企画する旅行代理店にも電話を入れる。 ジェゴクは最小催行人員7名で3人しか予約がないという、こちらが3人だと告げるとやってくれることになった。
昼食は、Aを含む3人で、ワルン・デワタへ。ナシチャンプルーとエステ(アイスティー)を注文。ナシチャンプルーは、ナンカの煮物、 空芯菜とモヤシの和え物、サテアヤム、アヤムゴレン、ゆで卵、テンペと大根の和え物、クルプック。
昼飯が終わる頃まで雨は降ったりやんだり。
さて、午後になり、Hが来るはずのシャトルバス乗り場に行くと、予定の時間のバスに乗っていない。ジェゴクの集合時間までは1時間しかない。 あわてる。
 バスに乗ってやってきた観光客目当てのバイク白タク兄ちゃんの中に顔見知りがいたので、白タクバイクに乗ってJATIまで引き返し、 本日はじっとしているAにHが来たらよろしく頼むと伝言。ついでに、隣室にいた日本人の神楽師Kを誘い、連れ出すことにする。
 バイク白タク兄ちゃんには、バス会社まで戻った後、もう一度JATIに行ってもらい、Kを迎えに行ってもらう。その直後、 Hが別の会社のシャトルバスでやってきた。そこで、別の白タク兄ちゃんにメモを渡し、Aに大丈夫だったと伝言を頼む。どたばたのあげく、 なんとかすべてが丸く収まる。
 集合場所のパノラマホテルにあるカフェでアイスティーを飲む。迎えが来たので、ワゴン車に乗り込み、出発。日本人女性2名のペアに、 日本人男性のバックパッカー。彼は明日帰国するとやらで、天気や村の状況などを情報交換する。
 どうも、今年は雨が多いようだ。
 ジェゴク会場で、箱のナシチャンプルーお弁当やバナナ、バリコピ、お菓子を食べる。ナシチャンプルーは、ご飯、焼きそば、ゆで卵、 アヤムゴレン、空芯菜炒めなど。薄暗くてよく分からなかったが、味も盛りもツーリスト向けよりもちょっと本格的で辛く、おいしかった。
 ジェゴクは最高。雨なので屋根付きの場所であり、前回のような地面から響くということではないが、石の床に直接響いて、体を震わせる。 現地にホームステイしている女性を含め8人だけなので、密度濃く踊りを教わったり、音の出し方を教わったり、ジェゴクの下にうずくまったりする。
 ウブッのJATIに戻ったのは午前1時を過ぎていた。起きていたAと一緒に行ったH、K、それに我々で3時頃までだらだらと話す。神楽師Kは、 楽団スタッフの日本人の女性と中学校が同じだったり、同じ芸能家同士盛り上がっていたので、縦笛をもらっていた。人徳である。
 ぐったりと疲れ切って就寝。

食:8時、卵ジャッフル、フルーツ(JATI)
食:12時、ナシチャンプルー、エステ(カフェデワタ)
食:19時、ナシチャンプルー(箱入り)、水、バリコピ、お菓子、バナナ(ヌガラのジェゴク)


 


 

12月10日(金)  雨時々曇り午後晴れ夜雨
9時に起床。JATIで飯を食う。午前中にJATIをチェックアウトし、クブクへ。クブクでは、2ベッドルームを取り、 Hと3人で宿泊することにする。クブクは水田の真ん中に立っていて、蚊が多そうだったが、 景色がいいので一度泊まってみたかったところのひとつである。少々お高いので、こういう手法を使う。近くのパダン屋で食事。アヤムゴレン、 フーユンハイ、サユール、チャベ。フーユンハイは、油揚げのようなお好み焼き卵焼きである。サユールは、空芯菜のができたてだったので、 ふつうのお茶葉風ではなく、そちらを選ぶ。チャベは唐辛子炒め。うまい。 バリ島のパダン料理はちょっと高めの一膳飯屋で数少ないハラールフードでもある。ハラールフードとは、イスラム教とが食べられる食事のこと。 つまり、ここでは豚肉は決して出ることがない。座って食べていると、バリ・ヒンドゥーに混じって、バリ島に住むムスリムが食べていた。
Hを案内して村を歩く。夜は疲れたので、クブクのベジタリアンレストランで飯を食い、踊りに行かずに寝る。夕飯は、ナシグデとコピスス。 ナシグデは、ベジタリアンナシチャンプルー。玄米クルプックにナンカ、ゆで卵などなど。水底はスパゲティ。見た目はミートソースだが、 ピリ辛のベジタリアンソース。麺はソフト麺より柔らかい。

食:9時、バナナパンケーキ、フルーツ(JATI)食:12時、パダン屋ごはん。ご飯、野菜、 卵焼き、鶏揚げ(パダン屋)食:18時、ナシグデ、コピ(クブク)

 


 

12月11日(土)  雨のち曇りのち晴れのち雨
起きても雨。肌寒い。本日は、まず私がJATIで、Kを迎えにいき、 バビグリンを食べにいくことにする。バビは、子豚。グリンは焼く。バビグリンで子豚の丸焼きである。パリパリの皮、しっかりと焼けた身、 血の腸詰め、それに、野菜と唐辛子がつく。ところが、JATIに行くといない。客が誰もいない。 昨日まで我々がいた部屋のそばでは土砂工事をしている。スタッフに聞くと、ビッグプロブレムがあり、皆、JATI3に移ったという。 JATI3を訪ねると、Kが寝ていた。Kによれば、昨日まで我々がいた部屋にKは移っていたのだが、夜、部屋に戻ってトイレに入っていたら、 ミシリという音がして、5分後、ドンと白い土ぼこりが舞い、部屋が崩れかけたのだという。「糞死するところだった」。 JATI3でしばらく話をした後、バビグリン屋へ。水底とHと落ち合う。
バビグリンはうまかった。そして、辛かった。口の中が火を噴く。うまい。夢中で食べる。華僑系の人が多いのはなぜだろう。 ここに来るのは3度目か4度目だが、はじめて非アジア系の旅行者が食べているのを見た。
その後、クトゥ君の店へ。行くと、Aがいて、明日のトランスポートを依頼していた。明日、クタに行くという。A男、K男、H女と、水底、私は、 クトゥの車で、こちらに1年間暮らしているY女史のところに遊びに行く。クトゥの友人であり、クトゥとのメールを取り次いでくれたり、 メールのやりとりをしている人である。
テレビ、ステレオ、パソコン、電話がそろっていてうらやましい。これで、東京に近ければ、ここで仕事ができるのだが。 長く地域共同体のようなところで暮らす苦労を聞く。田舎の葬式が毎日あるようなものだと思えばよい。
夕ご飯は、Hと3人でクブク近くのタイ料理屋に行く。店構えは高そうだが、それほどでもない。味は、タイほど辛くないが、なかなかおいしい。 Hと水底はカレーを、私はカオッパ、つまり焼き飯を食べる。それに、青いパパイヤのサラダであるソムタムを注文。
夜は、A、Kを加えた5人でチャロナランダンスを見に行く。迎えのマイクロは我々5人だけだったが、後から西洋人が5人ほど来たので安心。 雨期のせいか、踊りの演出が変わったのか、登場人物が少し減っているのは残念。HとKが笛を買って、売っていたおじいさんに教わっていた。 ふたりとも笛の経験があり、あっという間に上達する。おじいさん喜ぶ。私の足に、足を滑らした小さなヤモリが落ちて、私の足を走りあがる。 雨にたたられることなくチャロナランは終わる。
クブクのカフェで5人だらだらする。
夜、従業員の女の子たちに3人がかりで日本語教室。部屋に戻ると2室のうち1室の電灯がつかない。ろうそくで過ごす。

食:9時、バナナパンケーキ、コピ、フルーツサラダ(クブク)
食:12時、バビグリン、エステ(イブオカ)
食:16時、エステ(カフェギャラリー)
食:17時、カオッパ、ミックスジュース、ソムタム(キンカオ)
食:21時、パパイヤジュース、ビール、豆(クブク)


 


 

12月12日(日) 雨のち曇りのち雨
朝から雨。水底は、トッケーの糞攻撃を受け、朝早くに起床。臭いので髪を洗う。朝ご飯は、クブクで昨日と同じバナナパンケーキ。 果物サラダやバナナパンケーキについている生のココナッツフレークがうまい。フルーツは、バナナ、パイナップル、パパイヤ。 午前中に洗濯屋やおばちゃん家のニ・ニョマン・ホームスティやラハユ・バンガローを訪ね、以後の宿泊計画をつくる。そのままサテ・カンビン屋へ。 山羊の串焼きにピーナッツの甘辛いタレ付きのサテ・カンビンと、山羊の内臓肉のカレースープ、ソト・カンビン、それとご飯。 3人とも無口で食べる。うまい、辛い、うまい。山羊を炭火で焼く香りが食欲を増す。店は汚いが、ここもはずせない1カ所。コカコーラなどと同じ、 工業ボトリングのお茶であるテ・ボトルを入れても7000rp(100円)と安いのも観光客にはうれしい限り。
その後、警察署前のスーパー・デルタデワタへ。一通り回って、水やピーナッツを購入。カエルカフェでココナツジュースを飲む。 ココナツの中身の汁とココナッツの実を混ぜたものである。ポカリスエットに甘くて油っこい豆乳を混ぜたような味である。 戻りがてらインターネットカフェでメールチェックをトライするもとん挫する。クブクに戻って、一息ついてから食事へ。 シーフード中華レストランとして日本のガイドブックに必ず載っているお店である。ナシ・チャプチャイを食べる。野菜あんかけ焼きめしである。 カエル足の唐揚げやカンクン炒め、魚の丸揚げ甘酢あん、豆腐揚げ甘酢あんなどを皆が注文する。可もなく不可もない味。 Hがライスワインのブルムを頼むが甘いのが嫌いなHは一口であきらめる。私が飲む。夜は、お金持ちアルマ・ コンプレックスの美術館内で行われるレゴン・ダンスを見に行く。帰りは土砂降りにやられてしまう。

食:8時、バナナパンケーキ、コピ、フルーツサラダ(クブク)
食:12時、サテ・カンビン定食、テボトル(サテ・カンビン屋)
食:14時、ココナツジュース(かえるカフェ)
食:18時、ナシ・チャプチャイ、カエル唐揚げ、カンクン(空芯菜)炒め、ブルム、マンゴージュース(カフェ・テガル)


 


 

12月13日(月) 雨のち晴れ
クブクを出て、ラハユバンガローに移る。ラハユは以前の常宿であるJATIのすぐ近くにある。値段はJATIよりわずかに高めだが、 静かで居心地もいい。ふたりのスタッフであるクトゥとプトゥもしっかりしている。部屋は独立したコテージになっていて、それもまたよし。 夕方にはヒグラシが涼しげな音を出している。それに、今日はここに来てはじめて晴れた。ちゃんと太陽が顔を出している。直射日光がうれしい。 今日は、水底の知り合いで、岩手在住、バリ人の夫を持ち、 夫が日本企業の海外事業部で働いている関係で日本とバリを行ったり来たりしているM女史とその娘に合う。さらに、 彼女の車で自然派ココナッツ石けんを作っているマサコさんの工房も訪ねる。石けん工房は、まさしく手作り。ココナツ油もパームではなく、 ヤシ油であり、手間暇を惜しまずにつくっている。詳しくは、水底ホームページを見て欲しい。できれば、 友人の自然食品店で扱ってもらおうとも思っている。そうなったら、紹介しよう。
食事は、朝、クブクでオムレツとトースト。オムレツは、ニンジンやインゲンなどが入っていて、薄いクレープ場の卵焼きであった。 醤油をかけたい気持ち。
昼は、M親子と一緒。モンキーカフェでナシチャンプルー。ここは2階が座敷になっているので子供連れにいいのだ。なお、 ベジタリアンレストランでもある。ここの特徴は2人でいけば小皿がたくさんのバリ料理を食べられる。二人連れならばおすすめである。 ナシチャンプルーは、テンペゴレン、タフゴレン、豆クルプック、野菜の和え物など。
夜は、ベンディで鶏の唐揚げとサツマイモのフライとフルーツサラダのプレート。
夜遅く、Hがサテカンビンを購入。ご相伴にあずかる。

食:8時、オムレツ、トースト、バリコピ、フルーツサラダ(クブク)。
食:12時、ナシチャンプルー、パパイヤジュース(モンキーカフェ)
食:17時、鶏唐揚げ、サツマイモフライ、サラダ、ご飯、エステ(ベンディ)
食:22時、サテカンビン。


 


 

12月14日(火) 朝から晴れ、夜雨
はじめて朝から晴れる。気持ちがいい。暑い。KとH、それにSさんと一緒に、田んぼ農業ツアーを開催。スバック(水路)博物館を見る。 農具がおかれ、1071年にバリ島で用水を管理するために生まれたスバック(水利組合)について学ぶ。 バリの棚田が水が豊富なためにできたのではなく、人々が運河をたくみに作って水を分配し、形成してきたことが分かる。さらに、農業歴の存在や、 会議用水時計(1時間、4時間)の存在、コピーの存在を確認する。非常に高度な社会システムであり、 今もほぼ同じ形でバリ島全土の共同体として運営されている。それにしても、米づくりのシステムばかりである。 ほかの野菜などは自家用的なものなのだろうか徹頭徹尾、米である。道具も、システムも、台所用品まで。なんと、 バリコピにさえ赤米の粉が入っているというではないか。なるほど、あのまろやかさは、米の味わいだったか。その後、田んぼを見、 案内してくれたクトゥの家に行き、稲穂の保管方法などを知る。実際にやってみてくれたので、とてもよく分かった。ドゥリアンやワニを食べる。 棚田を見てウブッに戻り、そのままサンディ・スワラのケチャを見る。今回はじめての野外公演だったが、終盤雨が降り、演目は大幅にカットされた。 しかし、慌て具合がおもしろかったのでよしとする。
夕食はH、KとともにARIへ。水底は、ナシソトアヤム、すなわち、鶏スープぶっこみご飯を食べる。私は、下記の通り。

食:8時、野菜入り卵焼きジャッフル、フルーツ、テ(ラハユ)
食:13時、バビグリン定食、エステ(タバナン)
食:16時、コピ、ドリアン、ワニ(クトゥ家)
食:21時、テンペゴレンのトマトソースがけに野菜のココナッツあえごはん、パイナップルジュース、春巻き(ARI)

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12月21日火曜日 1999年12月3週 バリ島 (はる食日記)

12月15日(水)晴れのち雨
ウブッを出てロビナビーチに行くので、朝から大忙し。電話をかけたり、両替をしたり、チェックアウトをしたり、人をおこしに行ったり、 果物を持ってうろうろしたり、洗濯物をとったり。
朝食は、バナナエッグジャッフル。味付けは、塩・こしょう。宿のスタッフは挑戦好きであり、これは新しい組み合わせらしい。私の好みではない。 水底は好きらしい。
ラハユをチェックアウトし、Hをニョマンおばさんのところへ連れていく。ついでにHに荷物を預かってもらう。ARIに行き、Kと3人で昼食。 Hはギャニャールへ行き、買い物。しばし別れる。バスに乗り、北部のロビナビーチへ。途中、山越えをするのだが、 チャンディクニンというところに立ち寄る。ここは日本の長野、軽井沢といったところで、湖があり、標高が高くてとても涼しい。 キャベツやレタスなどの野菜がたくさん売られている。涼しさを楽しんでみたいインドネシア人にも人気の場所らしい。たしかに肌寒いくらいである。 水底がマルキッサを買う。パッションフルーツである。種ごとがりがりと食べる。甘酸っぱくておいしい。
約3時間でロビナへ。プラマ社のバスステーション付近で宿をとる。CHIKOという。掃除がきちんとしてあるので、ここに決めた。もうひとつ、 プラマの敷地内のホテルもなかなかすばらしい。海に面してはいないが、きれいで、防犯体制もしっかりしている。チェックイン後、 シャワーをあびてだらだらしていたら突然の土砂降り。雷雨である。1時間ほど降り続き、8時前に小振りになる。 ウブッから一緒だった日本人女性と夕食の約束をしていたので外へ出るが、足首まで水があふれている。どうもすぐに水をかぶる一帯らしい。 日没前にレストラン以外は店を閉めていたが、こういう訳か。飯はプラマ社の中にあるレストラン。カツオの切り身を揚げ、 黒豆味噌の唐辛子和えというようなソースで食べる。この黒豆味噌がとてもうまい。日本人向きの味噌味。水底は、チキンカレーを食べていた。 チキンカレーだが、チキンカレースープのようなもの。それでもおいしかったのでよし。早めに寝る。

食:8時、バナナエッグジャッフル、フルーツ、テ(ラハユ)
食:11時半、ナシソトアヤム、エステ(ARI)
食:16時、ビール、ミーゴレン(CHIKO)
食:20時、カツオ揚げ黒豆ソース、ご飯、エステ(プラマ社)


12月16日(木)晴れ
6時前にたたき起こされる。水底はすでに起きている。イルカ見物である。小さな木造6人乗りカヌーには、両脇に竹の支持棒がついていて、 安定した走行ができる。それに裸のエンジンがつまれている。4人と若い船頭が乗り込んで出発。10隻近くの船に観光客が乗り込んで、 あちこちから船出をしている。寄られるイルカも大変だが、時折大胆なジャンプを見せてこちらを喜ばせてくれるやつもいる。1時間ほど見物し、 往復2時間。我々以外のふたりがシュノーケリングをする間、ぼんやりと空や海面をながめる。帰ってから朝食。しばらくぼんやりする。 海とはぼんやりするところなり。ホテルの人たちは、海砂をコンクリートと混ぜて壁を作ったり、洗濯物を干したりと忙しい。 我々はぼんやりしているだけ。
とてもよく晴れているので、散歩に出かける。海側ではなく、海からちょっと入った幹線道路を歩く。目標は、約4km先のモスクとする。 イスラム教が多いインドネシアだが、バリ島でモスクを見るのはめずらしいからだ。10時過ぎに出発し、広がる畑や街路樹のタマリンド、 ドリアン売りのおばさんや、魚売りのおばあさん、犬などを冷やかす。モスクの周辺には、イスラム教との集落があり、 ハラールフードの食堂がいくつかある。開放的な食堂もあるが、中にはドアがついていて外からは見られないようになっているタイプの食堂もある。 同じ道沿いでも少しだけ雰囲気が違っている。
昼は、ちょっと豪華な中華風レストランに入る。客は誰もいない。風が気持ちよかった。ナシチャンプルーを食べる。 フライドチキンと卵焼きと野菜炒めが出てきた。どれも作りたてなのが、客がいない証拠。でも、おいしかった。水底は、 山羊を所望したが市場まで買いに行かないと食材がないと言われ、バリ風鶏揚げにする。
夕方、ビールを飲み、さらにお茶を飲む。夜は、近くのワルンでナシチャンを食べる。昨日の日本人女性が同行。こういう店ははじめてらしい。 飯の盛りがよく、鶏、野菜、テンペゴレンのシンプルなもの。辛い。なかなかおいしかった。そこの親父にゲストブックを見せてもらう。 96年から続いている。日本人もちらほらいる。
おいしい、親切、押しが強すぎる、などなど、読んでみるとおもしろい。
その後、プラマの食堂に行き、ビールを飲み、フライドポテトを食べておしゃべり。

食:8時半、バナナパンケーキ、フルーツ、コピ(CHIKO)
食:12時、ナシチャンプルー、ミックスジュース
食:13時、ビール(BOMBAI)
食:14時、エステ、水(PERAMA)
食:18時、ナシチャンプルー、パイナップルジュース
食:19時、ビール、フライドポテト(PERAMA)


12月17日(金)晴れのち夜雨
移動日。昨日ずいぶん歩いたので8時頃までぐっすりと眠る。不思議なことだが、ふだんは水底の方が長く眠り、私の睡眠時間は短いのに、 旅行に出て規則正しい生活になると私の方が長く眠り、水底は意外に早起きである。
朝食にCHIKOのフルーツとお茶をとる。その後、PUTUワルンに行き、ナシチャンプルーを食べる。飯が炊き立て。 おかずも昨日より種類が多く、鶏、鶏皮、野菜、サバの焼いたの、テンペ、ミーゴレンなどが入る。ここの飯は盛りがよい。ぶっかけ汁はない。 朝作ったおかずを夜まで使うのだろう。しばらく雑談してPERUMAのバスオフィスへ。すぐにバスが来て、 まずは他の客を乗せるために昨日歩いた方へ進む。数人のアングロサクソン系を乗せて逆方向へ。途中シガラジャを通過する。シガラジャは、 先の大統領選挙の際にメガワティが敗れたため暴動の起こった地域である。町並みは、 バリヒンドゥーの門構えと中華風仏教風門構えにムスリムが混在している。歩いている人にムスリムも多い。そして、 明らかに政府施設と見られる大きな建物がいくつも焼け落ちていた。今も取り壊されずに放っておかれている。シガラジャは昔からの貿易港であり、 言葉も荒く、気性も荒いと、シガラジャ出身のバリ人と結婚した女性が語っていたのを思い出す。
ウブッに戻り、ラハユへ。すぐに部屋に案内される。一息ついてしばらく歩いたらHにばったり会った。飯を食い、Hがいるニ・ニョマン・ ワリニバンガローへ行く。ニョマンおばさんは、気管支の調子が悪いようで昨日までふせっていた。 今日はよいというがまだ本調子ではなさそうである。しばらく雑談。近年、田んぼを売って車を買ったり、観光客用の安宿を作る人が増えているが、 私は田んぼを売らないという。売ればすぐに部屋を増やせるが、売ればなにかあったときに大切なものをなくすからだという。堅実な考え方である。
ラハユに戻り一息。Hが来て、食事へ。ラハユに3人で戻り、フルーツパーティ。ミカン、リンゴ、パッションフルーツ、 トマトのような柿のようなザクロのようなもの、サラックなどを食べながらHと水底が会話をしている。私は疲れていたので横になっていた。 夜10時過ぎ、Hが帰る段になって雨が降り出す。しだいに雨足が強くなってきた。
昼は、酢豚とご飯。豚の揚げたのに、パイナップル、ニンジン、長豆などが入っているもの。夜は、 キエフ風チキンカツの添え物ポテトに代えてごはん。味はそれぞれそれなりに。素材がよい分おいしい。

食:8時、フルーツサラダ、テ(CHIKO)
食:9時、ナシチャンプルー、エステ(ワルンPUTU)
食:14時、酢豚、ご飯、ミックスジュース(カフェデワタ)
食:20時、キエフ風チキンカツ、ご飯、ミックスジュース(アルティニ)


12月18日(土)晴れ。夜に雨
ラハユからニ・ニョマン・ワリニ・バンガローに移る。 ラハユの若いスタッフと日本語会話。その後、ラハユの長期滞在踊り教わり中女性二人組のところに日本人が集まる。Hと日本人女性、 それにAが夕方からデンパサールに行き、クタを経由して空港に行くことになる。帰国するのはH、日本人女性はクタに行き、 Aは時間があるのでついていく。時間までニョマンおばさんの店でだらだらと買い物。H、Aがいろいろ買う。我々も物色しておく。夜は、 ニョマンおばさんが今度こそ唄いに出るというのであらためてサンディスワラのケチャへ行く。目的はひとつ。 今日は雨が降らなかったのでフルバージョンで行われる。ケチャの構成も違っていた。同じ楽団でもいろいろなパターンがあるようだ。 おばちゃんの写真をとる。満足。
食事は、朝、ラハユのバナナパンケーキ。昼と夜は別々のパダン料理屋に行く。昼は、Hとの別れの食事なので豪華に。Hがいろいろとおかずを頼む。 つられて水底も私もいつもより1品多く頼む。ごはんが足りなくなり、ごはんもおかわりする。鶏のサンバル煮、テンペゴレン、コロッケ、野菜、 唐辛子、ソース。夜は一番ひいきにしているパダン屋へ。アヤムゴレン、コロッケ、オムレツと野菜、唐辛子、ソース。やはりこちらの方がおいしい。 ついついおかずを頼みすぎてしまうものだ。これらとは別に、夕方一息付きにカフェに入る。ミックスジュースを頼むが、 ついでに変わったものを頼んでみた。デザートであるが、パイナップルとバナナをココナッツ砂糖とココナッツミルクで煮て、 醤油で味付けしたようなもの。みたらし団子やしいたけだし汁のような味がする熱い果物スープははじめてだ。 バナナを食べたときとパイナップルを食べたときでスープの味が違ってきておもしろい。
今日からしばらくニョマンのバンガローで過ごすことになる。

食:8時、バナナパンケーキ、コピ(ラハユ)
食:12時、パダン屋でご飯、エステ(パダン屋)
食:16時、ミックスジュース、果物煮スープ(スリーブラザーズ)
食:21時、パダン屋でご飯、ミカンスープ(パダン屋)


12月19日(日) 曇りのち雨
バリヒンドゥーの最大の祝祭はガルンガン。210日ごとにやってくる。次は1月5日であり約3週間後と迫った。そのため、 ガルンガンに向けたお供えづくりがはじまっていて朝や午前中はみなそれぞれに忙しい。 小さな方のキッチンでお供えのお菓子を作っていたので写真を撮らせてもらう。これから3週間、 忙しく準備をして約100万ルピーを費やすことになるという。ガルンガン、クニンガンという大祭に加え、 3日に1度とも言われる数々の中小の祭りでも少しずつお金を使う。年にいくらぐらい使うのだろうか。経済を循環させ、持てるもの、 持たざるものへのある程度の分配を行うためとは言え、大変な労苦を要する。
朝は、ワリニでナシチャンプルー。野菜炒めと目玉焼きはここで作り、鶏のおかずとご飯は市場で買ってきたもの。がつがつと食べる。
日本人が実質経営するドリップコーヒーの店アンカサに新聞を読みに行くが、ない。残念。アンカサの正面、 王宮裏では大きな発電器や衛星中継施設が置かれ、扉が新調され、石段が塗り直されていた。NHKのせいである。今日、 ヌガラのジェゴクなど3カ所の中継をするらしいのだ。ずかずかとあちこちで傍若無人なテレビスタッフが目撃されている。これ以上、 バリに日本人を呼んでどうしようというのだろう。
ヌードルズに行き、昼飯に麺を食べる。麺が細くなり、ちぢれている。量も増え、スープも多くなっている。ごま油も使われ、 すっかりラーメンっぽくなった。うまい。
夕方雨が降り出す。BENDIに行き、飯を食う。水底がずっと風邪気味なのでジンジャーティーを頼む。私もならう。 ナシゴレンを今回はじめて注文。スペシャルなので、クルプックの大きいのや目玉焼き、サテもついている。うれしい。 水底はメニューにない春巻きを頼む。頼まれて作るところがBENDI。春巻きが来る頃に店に来た西洋人が「あれは何だ」と聞くが、店の子が 「スペシャル料理だ」と返していた。
その後王宮のレゴンダンスへ。前の席に韓国人男子2人が座っている。ずいぶん日本人に間違えられているらしくちょっとかわいそう。 見やすい席をゆずったりして、ちょっとだけ罪ほろぼし。ダンスは、ひとりの踊り子がやたら上手だったので他がかすんでしまい、後半眠くなる。 戻るなり寝る。

食:8時、ナシチャンプルー(ワリニ)
食:12時、イリアンジャヤミルクコーヒー(アンカサ)
食:13時、スープ麺ワンタン入り、エスレモン(ヌードルズ)
食:18時、ナシゴレンスペシャル、ジンジャーティー(BENDI)


12月20日(月)晴れのち曇り一時雨
朝は、ワリニバンガローでバビグリンナシチャンプルー。バビ=豚、グリン=焼く。子豚の丸焼きをベースにした料理である。 豚の皮や肉と内臓の唐揚げ、ソーセージ、野菜と血の和え物などがつく。これに、バンガローのニョマン君が野菜を炒め、目玉焼きをつけてくれる。 うまい。今日をバビグリンの日とする。
ウブッが属しているギャニャール県の県庁所在地ギャニャールに行く。目的はもちろんバビグリン定食。大きな町であり、市場も大きい。 とりあえず散策する。どうも休みの店が多い。むむむ。目的のバビグリンを食べる。顔がみるからに中華系のオバさんが豚をさばき、 ご飯の上におかずを盛っていく。ここの豚は毛を完全に剃っていない。少し産毛が残ったパリパリの皮を食べる。うまい。 腸詰めもスパイスが利いていてうまい。ここはその日に焼いた皮と肉の他、おそらくさばいた後の骨の周りを翌日揚げているのだろう、 骨付きカリカリ揚げがついてくる。これもまた美味。市場近くのスーパーに寄ってから帰る。現像を頼んでいた写真をとってから、 しばらくだらだらする。夜は、できたばかりの楽団で4回目の公演というものにいく。日本の羽衣伝説とほぼ同じものがあるのだが、 それを分かりやすい音楽劇に仕立てたもの。天女の踊り子が洗濯をしたり、干したり、子どもがたこ揚げするシーンなど、分かりやすくて笑える。 まだ新しいせいか有料外国人観客は少ないが、まだ新しく分かりやすい内容なので地元子ども大人観客は実に多い。あふれかえっていた。
夜は、今回行っていなかったパダン料理屋へ。私は、牛肉の佃煮ルンダンとテンペを煮たものを食べる。今回牛肉料理ははじめて。 水底は鶏肉を食べている。バビの日だが、パダン屋はムスリム食堂なので豚は当然ない。よって、バビの日のしめくくりは非バビの食事となった。

食:8時、バビナシチャンプルー(ワリニ)
食:12時、バビグリン定食、エステ(ギャニャールにて)
食:15時、スイカジュース(チャンデリ)
食:21時、パダンの飯、ミカンジュース(パダン屋)


12月21日(火)晴れ
暑く晴れた日。ニョマンおばさん夫婦が市場へ買い物に出かけている。朝から忙しい。宿のスタッフ・ニョマン君が我々の朝食を準備していたら、 誰かがやってきてニョマン君に彼のおじいさんが亡くなったと告げにきた。我々の朝食を出した後、彼はあわてて近所の自宅に帰っていった。 しばらく誰もいない家。来客あるもいかんともしがたし。隣のドイツ人長期逗留客が朝食を食べたそうな顔をしているが、 こちらもいかんともしがたし。しばらくしてニョマンおばさん戻る。ニョマン君に頼まれていたので、ことの次第を伝える。 ニョマンおばさんの顔曇る。それでなくてもたくさんの正月の準備でたくさんの買い物をしたばかりである。ニョマンおばさん、米、白布、 お金などをカネのボウルに入れて不祝儀衣装の頭の上に荷物を載せて運んでいった。我々はメールチェックをしたりあちこちで買い物。 休憩やら昼飯やらをすませる。ついでに日本の新聞も読む。大したことはない。父からメールが来ていて、 横山ノック氏が辞職するぐらいしかニュースはないという。その程度。なお、九州の山の中でも雪がちらついているらしい。寒そう。 いったん戻って水底は昼寝。私は写真を取りに行ったり、洗濯を出したりする。 明日宿替えをする予定だったのだがニョマンおばさんが隣の親戚のところにするといいいと言う。少々古いが本当に隣であり、 朝食も食べに来いというのでそこにする。夜、ヤマサリの公演。とても遠い。しかも日本人10名ほどだけ。日本では知られているが他では、 この村の中でも知られていない。見てみたらそれほどでもなかった。がっかりして帰る。水底とても疲れた様子。腰が痛いという。 帰ってから熱を出す。頭も痛いと言い出す。困る。
朝は、野菜と目玉焼きのごはんに昨日から煮ていた豚の足や肉のスパイス煮。これがうまい。塩辛いのをちょっとずつご飯につけて食べる。昼は、 ワルンカチュでナシチャンプルー。こちらは、ナンカ(ジャックフルーツ)の鶏スープ煮がある。味付けゆで卵や野菜、サテ、鶏肉など。 これもまたうまい。夜はワルンデワで焼きそば。水底はテンペカレー。安いがふうんという味。

食:8時、ナシチャンプルー、豚スープ(ワリニ)
食:12時、スマトラコーヒー(アンカサ)
食:13時、ナシチャンプルー(ワルンカチュ)
食:17時、焼きそば(デワワルン)

| カテゴリ:はる食日記 | 1999年12月3週 バリ島 | 1999年12月21日

12月31日金曜日 1999年12月4週 (はる食日記)

12月22日(水)晴れ
水底調子悪し。困る。朝、とりあえず薬を入手しにいく。まずは、ラハユの日本人女性を訪ねる。解熱、鎮痛剤を持っていたのでそれをもらう。 飲ませるとしばらくして汗をかきはじめる。一安心する。
今日は、ニョマン君がいないので、ニョマンおばさんがご飯を盛ってくれる。盛りがよすぎるので少し減らしてもらう。鶏を炭火で焼いたのや、 昨日の豚スープの残りの身などが野菜とともにたっぷりついている。鶏の皮が絶品。今週は、ガルンガンに向けた肉の週なのだ。 毎日肉料理が食べられる。うれしい。おなかがいっぱいになる。水底は、汗をかいて一眠りしてから食べる。また薬を飲み、眠る。 みんな忙しそうなので、私はぼんやりとテラスで本を読んでいた。宮沢賢治の詩集である。アメニモマケズ…。
夕方、6時過ぎてから水底とともにARIへ。水底はいつものナシソトアヤム。私はおなかが空いていたので、ビール、パイナップルジュース、 鶏を揚げたの、フライドポテト、ご飯を食べる。ビールがうまい。満足。
ARIの料理人がいつもと違うようだ。味が少々雑。
夜、イブ・ニョマンが山の方の実家で行事があるため帰ってくるという。泊まると言っていたが、あまりに寒く、体調に差し障るので、 夜中に戻ってきた。

食:9時、ナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:18時、ビール、パイナップルジュース、アヤムゴレン、フライドポテト、ご飯(ARI)


 

12月23日(木)晴れ
朝は、もちろんワリニバンガローのナシ・チャンプルー。今日もニョマンおばさんが出してくれる。ご飯の盛りがいい。今日は市場のバビおかず。 豚の内臓を揚げたものや野菜と肉と豚の血の和え物のラワール、豚肉など。うまいぞ。
本日は、ニ・ニョマン・ワリニ・バンガローを出なければならない。我々の部屋は予約が入っているのだ。荷物をまとめて移る。水底の調子はよい。 本当にただの熱射病だったようである。隣のワヤンファミリーバンガローに移る。ここも親戚だとか。
荷物を開けてから、踊りを習っている日本人女性ふたりの総仕上げ練習を見物。薬のお礼は写真ということに。
その後買い物に出かけ、レモンジュースを飲んで休憩。
午後、水底はエステへ。私はいつものパダン屋へ。鶏肉とテンペとコロッケに野菜、唐辛子、ソースに、アイスオレンジジュース。
その後、ニョマンの店に居着く。彼女の半生を聞く。ちなみに、彼女の年齢は私と同じであった。苦労し続けてきた女性である。 そういう人は多いのだろう。彼女はたまたま運にめぐまれて成功したが、人は時々それをうらやむという。彼女は、 そのたびに私の病気と引き替えならば、この運を上げましょうと言う。一時は余命数カ月と言われた人の言葉である。
満月なのでケチャの特別公演に行く。その後、同じパダンで夕食。食べた内容もほぼ同じ。

食:8時、ナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:13時、パダン屋のご飯
食:21時、パダン屋のご飯


 

12月24日(金)晴れ後雨
ワヤンファミリーバンガローの隣に泊まっていたドイツ人娘が夜中までうるさい。クタから来たばかりのようで、 トッケーの声などにいちいち反応している。酒を飲むのは勝手だが、早く寝ろ。
深夜、豚の悲鳴で目が覚める。近くの寺で屠畜している。満月の祭礼である。やがて、皮や肉が焼けこげるにおいがしてきた。かなり強烈。 その中を寝る。人間、何にでも慣れる。
8時前に目覚めて、裏手からワリニバンガローへ。朝飯を食べるのだ。塩味のつくねであるバリサテや、豚肉と内臓を炒めたもの。 それにラワールがつく。このラワールがとてもうまい。夜中に焼かれていた豚の実と野菜、それを殺したての豚の血であえたものである。 炭火焼きのうまさ、ここにあり。これは、本日のこの家の食事でもある。行事食なのだ。
その後、市場で塩やバニラ、ナツメグ、果物などを買い回る。水底のインドネシア語力がフル動員される。一段落して部屋に戻ったら、突然の雨。 やはり最後も雨であった。ここ3日ほどが変だったのだ。やはり雨期。雨が小降りになったところで、イブ・ニョマンの店へ。客が来ていたので、 向かいのレストランで食事。ナシ・チャンプルーにする。標準的なお味。メロンジュースがあったので喜んで飲む。水底は、チキンカレーを選んだ。
食後、ニョマンの店でだらだらする。最後なので、いらないものも買う。お世話になった精一杯のお礼である。いろんな話をする。
荷物をまとめ、クトゥの車でクタへ。お菓子やガルーダ豆などを買い入れ、途中、パダン屋でブンクス(包み=持ち帰り)してもらって空港へ。 空港でパダン料理の夕ご飯とする。私は、卵焼きと鶏の煮たのとコロッケに野菜と唐辛子。水底もほぼ同様。 ご飯の盛りがよかったのでおなかがいっぱいになる。空港のご飯は高いので、これでよし。締めくくりにはちょうどいい。 前回も同じようにしたのだった。
バリの空港では日本の若い人たちがいっぱい。はやりの底の高いサンダル姿をした若い娘さんや、 ブランド品をいっぱい買い込んだ大学生の男性などが多い。そうしてみると我々の格好はみすぼらしい。
テレビでは、ラマダン中のイベントなのか、ワヒド大統領をはじめムスリムの要人が内外からジャカルタのモスクに集まり、 キリスト教でいうミサのようなものをしていた。 テレビではどれほどの人々がこの行事に参加していることだろうとインドネシア語で言っていたと水底が解説する。 ラマダン中の満月の翌日の金曜日である。なお、キリスト教徒にとってはクリスマスイブ。バリヒンドゥーにとっては、ガルンガン前の満月であった。
みんながいろんな言葉と宗教で平穏を祈っている。
空港のゲートにはたくさんの日本人が楽しそうに騒いでいた。
ジャカルタの空港では、今年の仕事を終え、日本に帰国するサラリーマンの人たちがたくさんいた。お疲れさま。ネクタイ姿は暑い感じがする。
ますます私たちの格好がみすぼらしい。
機内食はそうめんと巻きずし、鶏の唐揚げ。前に座っているドイツ人がそうめんにとまどっている。かわいそう。どうしてこんな料理を出すのだろう。

食:8時、最高においしいナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:13時、ナシチャンプルー、メロンジュース(どこかのレストラン)
食:20時、パダンのお持ち帰り(クタ近辺のパダン料理屋、空港にて)
食:23時、機内食、ビール。
食:23時(ジャカルタ時間)、機内食、サンドイッチ、紅茶。


 

12月25日(土)晴れ
飛行機は50分早く到着。気流のせいだが、本当に早い。6時過ぎにはたたき起こされて機内食。なぜおかゆとそばなのだろう。 前の席のドイツ人がとまどっている。もう少しふつうのものを出せばいいのに。しかも、このおかゆがまずい。
8時前に到着。駐車場の車をひきとってクリスマスに燃えるFMラジオを聴きながら一路家路へ。道路は混雑している。 やむなくファミリーレストランで早めの昼食。ランチを食べる。カレーソースの豚カツとトマトソースのチキンソテー。肉に力を感じない。 味が素っ気ない。日本に帰ってきたことを実感。
帰宅後、たまっていた宅配便の不在連絡や留守電・FAXの確認などを済ませ、留め置きしていた郵便物を郵便局の本局へ引き取りに行き、 さらに当座の買い物をして家に帰る。水底がカレーを所望するので、日本のカレーを作る。ハウスバーモントカレーである。煮干しでだしをとり、 豚バラ肉とニンニク、ショウガをじっくりと炒め、タマネギをじっくりと炒める。コリアンダーや唐辛子、カルダモン、クミン、 ターメリックなどもちょっと使ってみる。煮込んでからニンジンとジャガイモを炒めて入れる。煮込む。雑穀入りご飯を炊く。カレールーを入れる。 さらに煮る。その間に風呂に入ったりもする。できる。豆モヤシとワカメと油揚げと長ネギの味噌汁もつくる。食べる。寝る。
秋田の米農家からお歳暮をいただく。餅が3kg。よもぎと豆もちも入っている。うれしい。ありがたい限りである。

お歳暮:白餅、よもぎもち、黒豆餅。

購入:ヨーグルト、長ネギ、ニンジン、チンゲン菜、小アジ、豆モヤシ、豚バラ肉、黒糖蜂蜜のど飴、チョコレート、牛乳、卵、油揚げ、納豆。


食:6時半、機内食。
食:11時半、ランチ(鶏と豚カツとサラダ)、ココア(ファミレス)
食:20時、カレーライス、味噌汁、キムチ。


 

12月26日(日)晴れ
7時ちょうどに目が覚める。その後また寝る。実家から水が届く。Y2K用らしい。その後、実家から晩白柚が3つ届く。実家の庭の木のものである。 チョコレートとカレーうどんが入っていた。さらに、いろんなものが届く。
カレーライスを食べ、だらだらしながら仕事をする。メールを書くなど。
夜、水底がスパゲッティをゆでたので半分もらう。カレースパゲッティ。
夜中、昨日購入した小アジのことを思い出す。タマネギ、ニンジン、長ネギを千切りにする。水底が魚の下処理と三杯酢をつくる。私が揚げる。 実によくあがったので数尾ずつ醤油をつけてかじる。インドネシア語でイカンゴレンという。

宅配:水40リットル、晩白柚、チョコレート、カレーうどん、レトルトスパゲッティソース。

食:12時、カレーライス、キムチ。
食:20時、カレースパゲッティ。


 

12月27日(月)晴れ
寒い。快晴で富士山がよくみえる。真っ白な富士である。この時期になると白く見えていたアオサギが青いことに気がつく。洗濯し、ご飯を炊き、 焼きそばと味噌汁をつくる。南蛮漬けがよく染みている。うまそう。焼きそばは、豚肉、ニンニクを昨日の揚げ油で炒め、 そこに卵を落として炒り卵状態にする。一度取り出して、チンゲン菜、ニンジン、豆モヤシを炒め、麺を入れて炒めるときに肉卵を戻す。ケチャップ、 醤油、ニョクマム、お好みソースで味付けして完成。これはご飯のおかずである。味噌汁は、チンゲン菜、豆モヤシ、ワカメ、油揚げ、長ネギ。
飯を食い、打ち合わせで外出。2時間しゃべり通す。疲れる。夜戻って、味噌汁の残りに豆モヤシ、長ネギ、油揚げ、ニンジン、ジャガイモを入れ、 コチュジャン、キムチ、味噌、ゴマ、ごま油で味を整える。キムチ鍋風味噌汁か。これと昼の残りで夕食を済ます。
このキムチ鍋風味噌汁の具をはじめに食べ、残り汁に飯を入れる。うまい。
南蛮漬けも途方もなくうまい。小アジの骨が気にならず、酸味も効いて魚のうまみと野菜のうまみが調和している。がつがつ食べる。 あと数日は食べられる。

食:11時、ご飯、味噌汁、南蛮漬け、カレー、焼きそば、キムチ。
食:19時、ご飯、キムチ鍋風味噌汁、南蛮漬け、カレー、焼きそば。


 

12月28日(火)晴れ
買い物の日。午後ふたりで車に乗り買い出しへ。ガソリンを入れ、食品類を数カ所で買い、途中立ち食いそばなどを食らいつつ、夕方帰着。

購入:三浦大根、鶏もも肉、豚バラ肉、豚もも肉(いずれもかたまり)、すだち、豆モヤシ、クワイ、 里芋、長ニンジン、ごま油、なたね油、ブリカマ、ブリアラ、タコ、カレールー、こんにゃく、豆腐、納豆、油揚げ、白菜、キャベツ、ゴボウ、 長ネギ、ミカン、小松菜、レンコン、スパゲッティ、トマト缶、オリーブ油、クミン、ニンジン、富士酢、海苔、昆布、黒豆、めんつゆ。

食:11時、ご飯、ラーメン。
食:15時、立ち食いそば(外食)
食:21時、ご飯、味噌汁、ブリカマ焼き、ブリ大根、タコの刺身、南蛮漬け。


 

12月29日(水)晴れ
忘年会。仕事仲間のS、U、バリに同行した水底友人のHが参加。Sは数日前まで仕事でフィリピンのマンゴー農家を訪ねていたという。 運動不足の彼は、フィリピンの山歩きでほとほと疲れたらしい。お互いに写真を見る。バリの写真にいちいち豊かだと反応するが、 飢餓を背負っている地域と観光で食べている地域の差である。バリの食文化や棚田に感銘を受けていた。一度一緒に行こうという話になる。 Hは帰国後、青森などに仕事で行っていたという。ホタテ貝を持ってくる。写真も見せてくれる。さすがプロ。全然違う風景が写っている。
食事は、水底が焼いたバリバニラ入りケーキ、ピエンロー、大根とワカメの酢の物、タコのマリネ、ブリ大根、ホタテ貝の炭火焼き、ご飯、 お餅とビール。

届きもの:モロゾフのチョコレートセット

みやげ:ホタテ貝、ビール、ミカン、リンゴ。

購入:ビール、日本酒。


食:12時、餅。
食:17時、忘年会料理。


 

12月30日(木)晴れ
水底体調を崩す。疲れが出たようだ。私はなんともないので昨日の鍋の残りとご飯を食べ、ぼちぼち働く。水底には、鍋の汁で雑炊をつくる。 夜も雑炊をベースに昨日の残り物ですませる。

食:11時、ご飯、鍋の残り。(私のみ)
食:13時、雑炊(水底)
食:20時、雑炊、南蛮漬け、マグロの漬け、タコマリネ、大根とワカメの酢の物。


 

12月31日(金) 晴れ
本日も快晴。帰国後一度も雨はない。水底体調戻る。仕事、年賀状づくり、 おせちづくりなどをしてあっという間に1日が終わる。気がつけば、そばを茹でている間に2000年が訪れていた。昼は、水底の希望でラーメン。 棒ラーメンを茹でる。具には、味噌豚、豆モヤシ、ネギ、キクラゲ。味噌豚は、29日の忘年会前に仕込んでおいたもので、 私が大学生の頃に作った料理である。豚モモのかたまりに全面味噌をぬりたくり、アルミホイルを何十にも巻いてオーブンで蒸し焼きにする。 学生の頃はフライパンで時間をかけてつくっていたものだがオーブンならば入れてタイマーをセットするだけである。 豚から出た肉汁が一度味噌を溶かし、さらに豚に戻っていきながら塩味をつけていく。味噌もうまい。肉もうまい。さて、今年のおせちは、 水底が黒豆を煮、酢ゴボウ、アーモンド入り変わり田作り、千草焼きをつくり、私が煮しめと、例の煮豚、それにちらし寿司と年越しそばである。 煮しめは、こんにゃく、干し椎茸、干しタケノコ、干しイモガラ、ニンジン、里芋、油揚げ、レンコン、ゴボウ。ちらし寿司は、レンコン、干し椎茸、 ニンジン、鶏肉、油揚げ、ちくわの具に、紅ショウガ、錦糸卵、大根葉、海苔が散らしてある。年越しそばは、私が温かい鶏そばで、 水底は冷たい盛りそば。今年もよく食べた。

購入:茹でそば、生そば、ポテトチップス、わさび、豚挽肉、ちくわ、パスタ、ミルクココア。

食:12時、ラーメン。
食:17時、餅、ポテトチップス、ビール(私のみ)
食:24時、そば、寿司、おせち。

| カテゴリ:はる食日記 | 1999年12月4週 | 1999年12月31日

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