倉渕村就農スケッチ・「田んぼと結い」
和田 裕之、岡 佳子

 10月上旬に稲の収穫を終え、はざ掛けをして約一ヶ月間乾燥させた稲穂を11月中旬に脱穀した。毎年のことだが、自分で手を掛け、汗を流した新米はたまらなく美味しい。
 倉渕村の稲作は春の田んぼの準備から約9ヶ月間におよぶ。水路の整備、苗作り、荒くれ、畦ぬり(くろぬり:田んぼの水が漏れないように田の縁を泥で塗る)、代かき、田植え(手植え)、水見(水量の管理、田植えからしばらくはほぼ毎日、9月上旬まで毎週の仕事)、畦や土手の草刈り、草取り、そして稲刈り、はざ掛け、脱穀、籾すり、そしてようやく玄米になる。
 わが家は露地野菜農家だが、3年前からお米も作っている。私はパンも麺も大好きだが、やはり主食はお米である。稲作1年目は畑の忙しさに田んぼまで手が回らず半年分のお米しかとれなかった。2年目からは、翻訳家の和田穹男(たかお)さん・稔子さんご夫妻と共同で田んぼの面積を増やし、穹さんの熱心な水見のお陰もありお米の収量は4倍近くにもなった。もっとも、わが家のお米の消費量も倍近く増え自家用のお米は秋になる前に足りなくなってしまった。そして今年のお米の収量は昨年並みの出来だった。
 穹男さん・稔子さんとわが家とでの結(ゆい:共同農作業)はとても楽しい。どちらの家族も稲作に関しては素人同然なので、まわりの人に教わり教わりしながらのお米作りだ。だから小さな失敗は数え切れないほどで、1年目の秋には、稲を掛けている途中で「はざ」が倒れそうになったり、種籾(収穫したもみの1部を翌春の種として取って置く)を玄米にしてしまう(結局食べてしまった)などという大失敗もあった。最初のレベルがあまりに低いので「私たち毎年米作り上手くなるね」「上達率でいえばすごく高いんじゃないかな」などと本気で言い合っている。そんなこんなで毎年笑いの種は尽きない。
 作業の休み時間は、お互いの手作りおやつの交換をしたりと楽しいひと時だ。おやつのパンやケーキの交換から始まった物々交換はその後、野菜や漬物の交換、そしてもらったものを分け合うような形で結以外の仲間にも広がっていった。それは「お裾分け」により喜びを分かち合える仲間がいるということだ。「お返し」は必ずしなくてはならないものでもなく、ものが無いときはしなくてもいっこうに構わない。ものがあるときに分け合えばそれでいい。そのうちにどれがお裾分けでお返しか判らなくなってくる。仲間うちでの物々交換は等価交換である必要はまったくない。そこには、お金のやり取りは無くとも、ものが、心が行き交う豊かさがある。
 穹さんはまめで、きめ細かな水管理をしてくれる。稔子さんは左官屋さんのような畦ぬりで「畦ぬりの女王」(収穫の宴ではボサノバの女王とも)と呼ばれた。トラクターは裕之の担当で、お昼の用意は佳子が引き受ける。互いの役割や四人の得意不得意もいつの間にか何とはなしに了解して、気負いや負い目もなく、主食共同体はゆっくりとふくらんでゆく。一昨年からは麦作の結も始まり、今年の春からは、新しく倉渕村で就農することになった鈴木康弘くん・知美さん夫妻が私たちの結に加わることになった。
 互いの忙しい時季(わが家では夏の農繁期)が重なったり、あるいはどちらかが上手過ぎたり、働き過ぎたりしたらもう一方が精神的に負担を感じたりしていたかもしれないが、さいわいそんなこともなく、私たちの結は実を結び続けている。
 ところで、倉渕村は山間の村で一枚一枚の田んぼが小さく大規模な機械化が出来ない。年々米作りの後継者も減り、「米作りは合わない」と地元の人は言う。手間が多く収益が少ないのだ。それでも米作りを続ける人は「自分で作ったお米はおいしいから」と言う。倉渕村のお米は、ほとんどが「はざ掛け」による天日乾燥だ。水もきれいで昼夜の寒暖差も手伝って、とても美味しいお米がとれる。ただ、大量生産できないため市場にはあまり流通していない。それ故に、美味しいのに有名にはならないのである。
 田んぼは、水を張る都合上、平らでなければならない。それを考えると、この山あいの村で、最初に田んぼを作った人たちの苦労は並大抵のものではないと想像できる。また、水路に関しては、現在年に1・2回の掃除や整備で済んでいるが、沢から水を引くのに山の下にトンネルを掘り(しかも当時はすべて人力で)、水を通したのだそうだ。私たちは、その田んぼを借りてお米を作っている。つまり、過去の遺産、先人達の労苦のおかげで今の田んぼがあり、秋の実りがあるのだ。私はそれら先達の偉業に対し感謝と畏敬の念を抱かずにはいられない。
 そして、秋の実り「田からのもの」はお米だけではない。稲藁、もみ殻、米ぬかなど有機栽培には欠かせない田からの恵みだ。私たち農家にとっては、まさに「宝もの」なのだ。田からものは、田に還り、畑に還り、土に還る。
畑の作物も、天の恵み、地の恵み、植物自身の力、様々な人たちの協力などがあり、ようやく豊穣の季節を迎えることが出来る。そして、この恵みを共に味わい喜んでいただける人たちにも感謝したい。(和田裕之)

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