いまさら聞けない勉強室
テーマ:狂牛病とプリオン

牧下圭貴

 2001年9月10日、農水省は、千葉県の乳牛1頭が狂牛病(牛海綿状脳症)に感染している疑いがあることを発表しました。
 日本での狂牛病パニックのはじまりです。
 それまで、農水省が「日本の牛は大丈夫」と言っていたり、発生確認後の対応のまずさ、報道の過熱が市民の不安を広げたのですが、ここではいまだつきとめられない感染原因や行政対応についてひとまずおき、牛海綿状脳症(BSE)とはなにか、プリオンとはなにか、基本的なところを現段階の知見をもとにまとめました。

【どんな病気なのか】
 狂牛病は、長い時間をかけて牛の脳がスポンジ状になり、行動がおかしくなって死んでしまう病気です。同じような病気は、羊のスクレイピー、人のクロイツフェルト・ヤコブ病などがあります。古くから羊のスクレイピーについては知られていました。また人のクロイツフェルト・ヤコブ病についても、散発的に発生していました。
 人のクロイツフェルト・ヤコブ病は、100万人にひとりという割合で発生しています。主に50代〜60代で発症する病気です。
 このクロイツフェルト・ヤコブ病は、かつて死者を埋葬したのち儀礼として食していた地域で、それが原因で感染していた例があるほかは、人から人に感染していません。
 ただし、脳手術などで移植を受けた結果感染するなどの例があります。なお、この移植による感染については、患者と遺族が国や業者に対して裁判を起こしています。
 それ以外で、感染するとは考えられませんでした。しかし、感染した羊の脳や、感染した牛の脳などを食べることで人が感染する可能性が1996年に示され、狂牛病パニックをイギリスに引き起こしたのです。狂牛病から感染したと考えられるクロイツフェルト・ヤコブ病は、10代、20代で発症している例が多く、これまでのクロイツフェルト・ヤコブ病とは異なります。もちろん、患者から別の人に感染することはありません。同じように、感染している牛を触ったり、牛のそばにいるだけで感染することもありません。あくまでも、感染するには、異常型プリオンを食べる(移植するなども含む)ことが条件です。

【プリオン〜ややこしい話】
 この海綿状脳症の病原は、細菌やウィルスといった病原体ではありません。動物の身体の中にあるたんぱく質の1種「プリオン」が何らかの理由で正常型から異常型にかわり、異常型プリオンが次々に正常型のプリオンを異常型に変化させ、分解されずに脳や脊髄などに蓄積して、それが原因で発症するとされています。
 異常型プリオンを食べたり、移植されることで感染することから、専門家の間では「感染」ではなく「伝達」という言葉が使われており、「伝達性海綿状脳症」と呼ばれています。
 そもそもプリオンとは、細菌やウイルスとは異なる病原性のたんぱく質があるという仮説から生まれた「タンパク様感染粒子」を意味する言葉です。しかし、その後、感染性をもつプリオンと同じたんぱく質が動物の中に存在することがわかったため、一般に感染性のないものを正常型プリオン、感染性をもつものを異常型プリオンなどと呼び分けています。このプリオンは、人やほ乳類では脳に多く存在しています。正常型プリオンの働きについてはよく分かっていませんが、睡眠機構などと関係しているのではないかという説もあります。
 正常型と異常型の違いは、たんぱく質の立体構造で、アミノ酸の種類や数は同じです。異常型プリオンはなんらかのしくみで正常型プリオンを異常型プリオンに変えていきます。これまでの病気の発症とはとても異なる発症のしくみであり、いまだにすべて解明されているわけではありません。

【羊から牛、牛から人へ…】
 解明されていないことのひとつに、種の壁、があります。牛と羊のプリオンはよく似ていますがプリオンをつくるアミノ酸264のうち、6つ違います。ちなみに、人と牛では30以上違うとされています。たとえば、感染した羊の脳を羊が食べれば、感染可能性は格段に高くなりますが、感染した羊の脳を人が食べて感染するには、この種の壁を越えてプリオンが変化しなければなりません。
 今のところ、次のような感染ルートが考えられています。
 まず、イギリスで牛や羊などを肉として処理したあとの骨や内臓、脳などを加工した「肉骨粉」が、牛や豚、鶏の餌として利用されはじめました。この中に、スクレイピーを発症した羊が混ざり、それを牛が食べ、種の壁をこえて感染したと考えられています。
 異常型プリオンを含む肉骨粉を食べた結果、感染した牛が、処理され、肉骨粉に混ざり、イギリス国内での感染を広げていったと考えられます。そして、イギリス国内で、牛の脳や脊髄を食べた人が感染したと考えられています。
 さらに、イギリスの肉骨粉はヨーロッパ、日本をはじめ世界中に輸出されていました。1986年にイギリスで狂牛病が確認されたのちも肉骨粉の輸出は続けられており、日本でも牛に対しては使用しないよう通達されましたが、鶏や豚用として出回っていました。日本での感染ルートは明らかではありませんが、この肉骨粉が背景にあるものと見られています。

【牛のすべてが危険なのではない】
 繰り返しになりますが、異常型プリオンを食べない限り、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に感染することはありません。この異常型プリオンは、脳、せき髄、眼、小腸の一部の回腸部分に主に蓄積し、この「危険部位」を食べない限り問題はないとされています。これは、イギリスなどの調査、研究を元にOIE(国際獣疫事務局)が定めているものです。つまり、今の知見では精肉や牛乳などは大丈夫だということになっています。
 日本では、現在、と畜されるすべての牛について狂牛病の検査をしており、基本的に狂牛病に感染した牛の肉が市場に出回ることはありません。つまり、出口のところで押さえようということです。ただし、感染ルートが解明されていないことや、豚、鶏の肉骨粉使用を再開しようとするなど、入口のところはあいまいです。

【牛肉を食べること、牛を育てること】
(命の軽視、自然のしっぺ返し)
 狂牛病については感染ルートなど、まだ分からないことも多くあります。また、安全とされるアメリカやオーストラリアでも100%安全が保証されているわけではありません。そもそも、なぜ、今、狂牛病なのでしょうか。
 草食動物の牛に羊や牛の肉や骨を食べさせる、そこから、狂牛病がはじまっています。肉骨粉を牛や鶏や豚に食べさせる理由は、「経済効率」です。早く、安く、肉をつけ、乳をたくさん出すために、品種改良だけでなく、エサの中身や与え方まで、動物が本来持っている命のありようとは大きくちがったものにしてしまいました。その結果、人間は予想もつかないしっぺ返しを受けているわけです。
「そのおかげで、安く、たくさん牛肉や肉が食べられるようになった」という言葉が返ってくるかもしれません。しかし、日本の食卓や学校給食、外食産業、スーパーなどで日に日に捨てられる大量の食物残さを見れば、人間がいかに食べもの=いのちをおろそかにしているかが分かります。

(食べものの安全への不信)
 O−157とカイワレ大根、ダイオキシンとほうれん草、雪印の牛乳問題、そして、今回の狂牛病、近年の食べもの事故・事件のたびに、「風評被害」が言われます。安全かどうか分からないけれど、よく分からないから、とりあえず買わない、食べないでおこうという消費者のすなおな気持ちです。一方で、それが過剰になり、生産者が苦しむという結果をまねくことも少なくありません。現に、国内の酪農家、肉牛生産者、焼肉などの外食産業、肉屋さんなどが経済的に追いつめられています。しかし、一度うかんだ不信はそうそう引っ込みません。誰が、どこで、どんな風にして作っているかが分からない、これこそが、一番の不信の原因です。食材を、どこで、だれが、どんな風に、どんな気持ちでつくって、加工しているのか、それを知らずに、この不信が不信を呼ぶ流れは変えられません。
 逆に、生産者を知り、加工を知り、流通を知ることによって、問題点が明らかになり、お互いに解決することで信頼を作り上げることができます。本当は、「安全です」というお墨付き以上に、「お互いの信頼」こそが、安心の道なのです。
 今回の狂牛病さわぎで、厚生労働省が、全国の食品メーカーに対し、牛肉エキス、牛肉スープなどで危険部位を使っている、使っているかどうかわからないものを自主回収するようもとめ、その結果をまとめたところ、報告のあった10数万の食品のうち回収するとあったのは、22件、うち、17件が、有機農産物流通団体の大地を守る会の法人「株式会社大地」のものとして報道されました。この22件という数字には、「ほんとうにほかはだいじょうぶなのだろうか」という疑問がありますが、それはともかく、大地を守る会に聞いてみたところ、この報道を期に会に入会した人もあり、たしかに牛肉の売上は落ちているが、一般的に言われているほどには落ち込んでいないということでした。「お互いの信頼」を生むひとつの事例だと思います。

(牛肉は食べてもいいのか)
 安全とされている「牛肉(精肉)」を食べてよいのか。正直に言って、分かりません。処理場で、解体時に脊髄液が付着していないことが分かったり、そもそも付着しないようになっていれば、これまでの報道を信じる限り、食べてもよいのではないか、と思います。むしろ、濃縮したり化学的に抽出されている加工食品などの方に不安が残ります。
 食べものへの不安を考え出したら、すべての食べものが不安になります。農薬、添加物、遺伝子組み換え、ダイオキシン汚染…。これまで安全だと思っていたものでも、調べてみて安全性に疑問が出ることはよくあることです。次々に新しい技術が生まれ、予想もつかない事態も発生します。空気も、水も、土も、けっして昔のままの汚染されていない状況ではありません。
 少なくとも、今、国産牛すべてが危険で牛肉を食べてはいけないとパニックになる必要はどこにもありません。心配なら、牛の生産者に会い、処理場を見学し、スライスなどの加工場を見学して、自分の目で確認することです。そのためには、繰り返しになりますが、作り手を知っていること、由来を知っていることが大切です。


注:本文は、2001年12月1日現在の情報をもとにまとめました。その後の新しい知見で情報が不正確なこともあります。
注:本文は、筆者が「学校給食ニュース」用にまとめたものをベースに加筆訂正したものです。

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