大人と子どもが暮らす町
堀内美鈴



 縁あって、この秋から福岡県八女郡広川町の久留米かすり工房へ通っている。久留米かすりの染め・織りの技術を学びたい! と飛び込んだのだが、久留米かすりの技はもちろん、3世代で暮らすそのお宅での暮らしぶりから学ぶこと、感じることもたくさんある。

子どもと年寄りは似たもの同士!?
 このお宅は、大きいばあちゃん、小さいばあちゃん、じいちゃん、若夫婦、小学4年生と幼稚園の男の子の7人家族。田舎でも珍しくなってきた大家族で、昔ながらの家族の風景が残っている。いつもオモシロイなぁと思うのが孫とじいちゃん、ばあちゃんの関係だ。「(育てる責任のない)孫はわが子よりかわいい」とはよく聞くが、孫とお年寄りの仲良しぶりを見ていると、根本的に似たもの同士??と思えてくる。
 例えば、味覚。おやつの趣向がすごく似ていて、黒棒、みかん、まんじゅう、せんべい…もちろん、市販のお菓子も大好きだけど、年寄り好みのしぶいおやつも子どもたちはよく食べる。年寄り向けの地味なおかずや昔ながらのおやつって、仕方なく食べさせられている…というイメージだったのに、実は味覚が敏感な子どもの舌とシンプルだけど本物を食べてきたお年寄りの舌はとても近くて、きちんとおいしさを感じているようだ。
『ただ、おいしいけん食べるとたい』てな雰囲気のおじいちゃんと孫が、並んで黒棒をもぐもぐ食べている姿は、なんともいえずほほえましくってうれしくなるのだ。
 そういえば、遊び心も似ている気がする。こどもの興味津々なココロを、お年寄りが上手につかんでしまうのは、経験というより楽しみのツボが近いように感じるのだ。
 ある日。幼稚園の帰り道にたくさんひろった椎の実で、なんか遊びたいとせがむ弟くん。大人たちはもう一仕事残っていて、相手できないなぁというムードで、その気配を察してか、しだいにぐずりはじめた。その時、大きいばあちゃんが「つないで篭作ろうか」と一言。弟くんはがぜん元気になり、目を輝かせながらおばあちゃんと一緒に篭づくり。手芸が得意なおばあちゃんも、楽しそうに作っている。
 遊んであげる、と構えなくても、庭の柿をもぐ…竹ざおの先端に割れ目をいれておいしそうなものを狙ってちぎる…などの昔ながらの風習の中で過ごすお年寄りは、どうも子どもたちの興味をそそるよう。もちろん、ご多聞にもれずテレビゲームも大好きだけど、身近なものが楽しいものに変身することも十分刺激的でわくわくするようだ。
 遊び上手な人ほど子どもに尊敬されるものはない。よって、じいちゃんばあちゃんと孫たちの親密度は高まる一方。親たちは安心して?仕事に精をだせるのだ。

大人と子どもが地域で暮らす
 広川町に来て一番驚いたのが、このように大人と子どもが一緒に過ごす時間がすごく長いこと。子どもは大人が働く姿を普段から目のあたりにしているし、大人も子どもたちがどう過ごしていいるのかを知っている。兼業農家の娘である私の子ども時代を振り返ると、そういえばそんな生活が当り前だった。でも、マチで暮らしていると大人と子どもの生活圏があまりにも違っていて、見えない部分、理解できないことがたくさんある。それが無秩序になりつつある日本社会の一因ではないのかな…なんてことを考えたりもする。
 また別の日の出来事。小学校の課外授業でヘリコプターから校区内を見学するという日、大人たちはあちらこちらでヘリコプターに向かって手をふったり、旗をあげたりして子どもに負けないくらいその時間を楽しんでいた。もちろん、その日の団らんはこの話題で持ち切り。同じ出来事を大人と子どもが共有できる、地元で働く醍醐味だー!とえらく感動した出来事だった(地元の人はそんな大袈裟なことは感じていなかったと思う…)。
 日常なんて、小さな出来事の積み重ねで、小さいからこそココロのひだひだを隅々まで満たしてくれる。非日常しか人間らしく過ごすことができなくなりつつある都会の生活の苦しさを思い出しながら、ムラの暮らしが息づいているこの町で働く喜びをかみしめているのである。

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