仕事、暮らし、遊びが地域で膨らむ
新しい里地の文化をそだてよう

竹田 純一

1.21世紀直前の封建制ムラ社会
「田舎の人が田舎を離れるのは何故?」

 その一つの理由は、閉鎖型の社会にあります。地域社会が、家父長制や、家の制度、親族間の序列、水の分配方式など、生まれたときから上下左右が定まっているような地域社会の構図では、かつての若者達は自分自身の役割を地域社会の中に見いだせず、自由な社会、民主的な社会を求めて都会へ出て行ったのではないでしょうか。あなたの地域の今はいかがですか?

2.閉塞型ムラ社会から都会型社会へ
「田舎の人が田舎に留まるのはどんな場合?」

 田舎には広大な土地と自然環境、あったかな人情があります。野菜やお米を栽培し、海山川の恵みを受け、狩猟採取や飼育を行い、食べものの生産を行えます。町内に温泉を掘り、釣りや自然散策、クラフトの素材、テニスや野球のグラウンドもほぼ無料で活用できる環境がそろっています。最新のファッションを追求しなければ、住まいと食べものの価格は格段に安価です。
 留まれる前提条件とは、21世紀に残された過疎地の豊富な自然資源と魅力とを見つめ直すこと。封建制やムラ社会のしがらみが都市化によって多少なりとも薄められていることだと思います。
 もし、あなた自身が半歩前を歩いてゆこう、21世紀にふさわしい新たな地域社会をつくろう、というような意志をもっていれば、なおさら、ムラ社会に留まり新たな地域社会づくりを実践できるのではないでしょうか。21世紀は、都市と変わらぬ程、情報通信網や交通網が整備され、外との交流が容易なのですから。

3.かつて若者たちを定着させなかった影の力
「老人たちは後継者を何故地域から出してきたのか?」

 日本の近代化は、農村から都市に人材を送りこみ、経済の復興と高度経済成長を実現させました。優秀な人材は都市で出世させるべきだという教育と、我が子の出世競争の意識が有能な後継者を田舎から追いやる結果となり、人材は都市にという意識が生まれてしまいました。このような潜在化した意識は、今日もまだ田舎に根づいているかのように思えます。田舎に老人しかいなくなっても、生涯現役の老人たちは、寝たきりになる直前まで、自分の息子には「帰ってきても息子が誇りをもって働けるような場がないから」「自分のところへは帰ってきて欲しいが、地域社会には帰ってきてもらっても困るだろう」と、老人の意志というよりは世間体を気にしたお話が気になります。後継者不足という嘆きの裏にある戦後教育のひずみが見え隠れしています。

4.都会は持続するのか?消費経済の行方
「都会を離れる人がいる。何故?」

 都会には、地域経営や集落機能というものがありません。地域をどうしていくかとか、人をどう育てていくかとか、地区の清掃、上下水道の維持、町の美化や人づくりなど。田舎で言う「結い」や「共」の役割が都会では行政や企業に委託されています。21世紀に私たちが暮らしてゆくための根幹にあるものは、食べものやエネルギーの地域内自給だと思います。しかし、都会の暮らしには、モノづくりに携わる場やシステムが存在していません。都会での暮らしは、敷地内の清掃までも業者に任せる暮らし方。お金でモノとコトを買う消費生活が実態です。金を儲ける。知識英才教育を受けさせる。専門的な病院に通う。買い物を楽しむ。という暮らし方が、都市の暮らしの象徴的なもののように思えます。
 このような楽天的な消費生活にも、将来ビジョンをみいだせないような、いくつかの弊害が見受けられるようになってきました。子どもを産める社会ではない。育てる自信がない。知識詰め込み型の教育がもたらした情緒の不安定感。モノづくりと食べ物を育て、生命と接するという体験を欠いた生活からくる人間性の喪失。疑似的な暮らしに潜む社会の病理が現れはじめました。都会を離れて田舎に向かう人は、このような都会の矛盾に気づき、自らの人間性の回復を図ろうとしている人ではなかろうかと私は思います。

5.魅力ある地域に人々が集まる。
「では、魅力とは何?」

 過疎地といっても、最近では、都市生活と変わらないほど、通信や交通が整備されてきました。地域社会の中が不便でも、すぐ近くの地方都市に行けば、さまざまなサービスが受けられ、快適な暮らしを送ることができます。このような平均的な日本の地域社会の中で、21世紀の「人を呼びよせる魅力ある地域」とは何でしょうか? どこにでもある都市型の田舎、箱モノ施設が充実している地域でしょうか。人を呼び込む地域の魅力とは、便利さや快適性だけではない魅力がないと、人々を過疎地にまで、国内物価から見ると異常に高い交通費を出してまで、人を移動させることはできません。では、その魅力とは一体何でしょうか?
 なぜ、人々はその土地を選び、土地に滞在し、土地の人々との交流を楽しむのでしょうか。人々を呼び込み、人々を幾度も訪れさせる魅力とは何でしょうか?
 私なりの解釈では、田舎と都市に潜在する弊害を乗り越えた、新たなる魅力を創りだしている地域社会(里地)が、新しい里の文化が生まれている地域社会ではないかと思います。
 新しい里の文化とは、封建制が都市化によって薄まったような文化ではありません。地元に住む人々自身が、自らの地域に継承されてきた封建的なしきたりを壊して、外との風通しの良い文化を築いた地域社会です。外の風を受け入れ、新しい文化や技術、アイデアを地域の中に吸収して、永々と継承されてきた地域固有の風土や暮らしの上に、新しい文化を築いている里地。
 この新しい里の文化をもった里地では、老人達はかつてから地域に伝わる技術や生活文化を後世に伝え、21世紀に生かせるものを若者たちが取捨選択して継承し、地域固有の伝統芸能や食文化、生活文化を里地の宝物として、伝統文化の学習や体験学習プログラムとして活かされてゆきます。さまざまな活動が、多様な人々のそれぞれの生業となり、仕事、暮らし、遊びが混在となりながら、地域の中で膨らんでゆくときに、里地の人々はますます活気づき、そのきわめて自然な人間本来の生きざまが、大きな魅力となり人々を呼びよせるのではないかと思います。いいかえれば、日本人として、自ら誇れる文化をもった人、森の文明、循環思想を取りもどした哲学をもった人が住む地域ではないでしょうか。
 大切なことは、土地に住む人々全員が地域の固有性を把握し、地域の生活文化、食文化、伝承技術を理解していることです。地域の固有性の把握とは、裏を返せば、外との比較なしには浮き彫りにすることはできません。比較とは、とりもなおさず、ヨソ者を機会あるごとに、または、機会を作り出して、地域内に呼び込むことです。このたゆまない努力の結果として、住民自身に、地域の個性が見えてくるものだと思います。同時に、地域の人々が、外の文化を見る機会をふやし、見聞を広め、自分の住む地域に活かせるアイデアを吸収し、地域固有の風土の違い、生活文化や風習の違いなどを的確に把握していくことが王道だと思います。

6.人を呼び込む町の特徴
「何故、小国や水俣に人が訪れるのか?」

 熊本県小国町には、「トッパスの精神」新しもの好きの精神が元々あったそうです。元々というのは、宮崎町長の言葉をお借りすれば、外との交流を閉ざしたら、3県の県境にあるために、情報は入らず、人々は訪れず、本当に独立した小さな国になってしまう。だから、地域をあげて外との交流を大切にする文化が創られていったようだと。この小国町では、地元にどのような人が住んでいて、逆に、地元にいて欲しいのにいないタイプの人材を常日頃から考えて「人の誘致」を計画、実践されているようです。誘致された人が、地域の中に風を送りこみ、地域に刺激を与え、活性化し、場合によっては、生業が起きてゆくこともありました。
 水俣市では、有名な市役所の課長さんが全国を旅(放浪、視察、調査)しながら、ユニークな人材の発掘と産品の開発、生活文化の比較を行っています。一つ一つの出会いを通じて構築されたホットでユニークな人材ネットワークは、水俣市の個々の政策に反映されているようです。多くの人々が水俣の山村を訪ね、また、多くの水俣の人々がヨソの土地を訪れているのは、まさに先進的な事例です。
 愛知県美浜町布土地区では、集落の人々が、老若男女を問わず、それぞれの里山保全活動を行い、外との多様な交流が始まっています。竹を切る人、炭を焼く人、ピザを焼く人、ネックレスを創る人、水を浄化する人、山菜採りをする人、環境教育を実践する人…。ここでは、地域固有の自然資源と生活文化を把握したことで、従来、農家だけが行っていた地域や里山の管理を、住民自身が、それぞれの興味と暮らし方に応じて、楽しみながら、暮らしに活かしています。ここでは、お婆さんもお爺さんも、お母さんも、子どもたちも、それぞれの里山との関わり方があり、押しつけではない地域社会への参加が行われています。

7.人を呼び込む地域を創ろう
「どこから、何から、手をつける?」

 地域には地域ごとの個性があります。いまだに封建的な色彩が強く残っている土地では、いきなりヨソ者を入れ込むと発作を起こしたり、過敏な反応が起きて危険なことがあります。しかしながら、どのような土地でも、皆が楽しめそうなこと、封建的な人々が気にしないような、小さな楽しいイベントを起こすことは可能ではないでしょうか。企業でも、人間でも、自らを変化させるときには、さまざまな直接体験をすることが手っ取り速い方法です。ですから、地域社会が崩壊しない程度のイベントを、たくさん重ねて、地域社会の中に、多くのヨソ者を呼び込み、ヨソ者との交流を通じた、地域文化の掘り起こしをおこなうことが、結果的に一番の近道になるのではないかと思います。
 ある程度開かれた地域であれば、ヨソ者と共に行う地域資源の調査「あるもの探し」を行えば、老若男女、子ども達までもが、地域の生活文化や自然資源とは何かの把握ができます。この住民自身による住民自身のための地域資源調査を、幾度か繰り返して行えれば、年齢性別を問わず、土地の情報に関する情報の格差がなくなり、コミュニケーションが活性化してゆくと思います。一部の人のみが知っている情報から、住民全員が知っている情報へと変わることで、その情報の活用の仕方が根本的に変わっていきます。
 あなたの地域は魅力ある地域ですか?
 そして、人を呼びよせる魅力とは、あなたの地域では、いったい何なのでしょうか?

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