倉渕村就農スケッチ・「別の方へ」

和田 裕之、岡 佳子


 今年の春で育苗保温用の落ち葉温床を始めて4年目になる。前年度の落ち葉床を管理機と呼ばれる小さな機械で細かく砕き、約1年間風雨にさらして今年の育苗の土にする。作物によって山土や平飼いの鶏糞を加えたりと試行錯誤の途中ではあるが、今年でなんとか育苗土自給の目処がついた。この3年間で少しずつ温床を増やし、育苗土を購入の土から自作の(天然・自然に近い)土へと切り換えて来た。3年前は直径12
cm〜9cmのポットから始め、今春はレタスの2.5cm穴の育苗土数万株分のほとんどを賄った。自作の土は肥料分の混ざり具合が不均一なせいか、苗の生育にばらつきが出たりする。また落ち葉温床を風雨にさらしている間に雑草の種が混ざってしまい育苗中にたくさんの雑草が生えてくる。育苗中の苗はとても小さいので注意深く雑草を取らないと野菜の苗まで抜けたり傷ついたりしてしまう。レタスは定植時に雑草を取りながら植えたのだが、通常の3倍以上の時間と労力を要した。茄子やモロヘイヤ、セロリなど発芽や初期成育の遅いものは非常に苦労した。来年は発芽の遅い野菜には、芽出し用の土に雑草種の少ない川砂を取ってきて使ってみようと思う。
 育苗土を自作のものに切り換えたために随分余分な時間と労力を費やす事になったわけだが、考えようによっては今まで購入の育苗土を利用してきたために随分楽をさせてもらっていたとも言えるのだ。幾らかはそろいのいい野菜を生産できていたものを、これからはふぞろいな野菜たちの中から良い物(流通規格に見合うもの)を選び出して収穫出荷することになる。労力は増えて生産量と売上は減る事になると容易に想像がつく。誰かに購入の土を使ってはいけないと言われた訳でもない。でもそれが私たち「農園たお」らしい選択のように思える。

「無農薬栽培についてのこだわりが過度ではないか」との指摘をある人達から受けた。「人間が原体を直接飲んでも安全な農薬さえある」ことまで教えてもらった。確かに、せっかく心を尽くして野菜を育てても、その野菜たちが病気や害虫でものにならず、消費者の食卓・口まで届かなければ残念なことだ。被害の程度が大きければ、野菜農家としても生業として成立しなくなってしまう。消費者の理解を得ながら安全な農薬を使って、安定的な生産・供給を目指すというのはひとつ在り方だと思う。そしてもちろん、欠品の言い訳として「無農薬だから」というのは、私自身も生産者としてよくないと思う。ただ、私は農薬の知識もほとんどないし、それらを使いこなす技術も持っていない。そして安全な化学農薬の勉強をする前に、生態系や自然の力を生かした本当の有機栽培の知恵や技術をもっと学び身につけていきたいと考えている。
 無農薬に限らず、野菜の安定供給を考えた時、生産する野菜の作目をしぼって専門化し、知識・技術+設備をその1点に集中するというやり方がある。消費者の安全指向を考慮すれば、その中で無農薬(あるいは減農薬)を目指すという方向。一方こちらは無農薬が先にあって、複数の野菜の生産を輪作の中で組み合わせ、単品目の年間安定供給ではなく、旬の野菜の複品目での安定的な供給を目指すというやり方がある。後者は大量生産には向かないし、設備投資もやりづらい。栽培管理も複雑で私のような未熟者は頭の中がパンクしそうになる。おまけに、夏にほうれん草、冬にトマトを欲しがるような消費指向とは逆の方を向いている。それでも、私たちが向かおうとしている方向は明らかに後者の方だ。

 私たちの自作の土はまだまだ未完成で、改善の余地が大いに残されている。日々の労働の試行錯誤に喜びを見出し、袋に密封された購入の土では見ることの出来なかった無数の蟲たちが育苗土の中でうごめく姿に生命の力を感じながら、自分たちの生きていく方向を見定めていきたい。

2005年6月   和田裕之・岡佳子


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