特集:熊本県水俣市 生活文化祭参加記
生活文化の懐の深さ…身体がよろこぶ食に出会う


牧下圭貴



 熊本県民文化祭の一環として熊本県水俣市で開かれた食の生活文化祭にモニターとして参加する機会に恵まれ、3日間、水俣の秋と生活文化の懐の深さを身体で体験することができました。前号に続き、水俣の生活文化をご紹介します。

■水俣の秋、そして海、山、川を食べる
 東京を早朝に出発し、鹿児島空港からバスで水俣まで直行、午前中のうちには水俣に到着します。今は新幹線もあり、水俣までの交通はずいぶん便利になりました。

 熊本県民文化祭の一環として、水俣では「食の生活文化祭」を催し、食にまつわるさまざまなイベントが行われました。
 もやい館では、水俣の家庭料理を見て、食べるイベントですが、市内中心部とあって、多くの市民が集まっていました。
 会場にはいると、まず、ノンホモパスチャライズのビン牛乳・湯野牧場の水俣エコ牛乳のお出迎え。自家搾乳、ノンホモ低温殺菌を200ccビンで水俣市内に宅配しているとのこと。 500ccで120円、200ccだと60円。値段も安くお手頃です。私はあちこちの牛乳工場や酪農家を知っていますが、なかなかここまでやっているところはありません。味は、ほのかな甘みがあり、あるさらりとした飲みやすい牛乳です。水俣に暮らしている人は、望めば毎日、この牛乳を宅配で飲めます。
 料理には長蛇の列ができていて、皿を持って並びます。みんな首を伸ばしてテーブルに並ぶ料理に目を皿のようにして見つめています。その顔は真剣そのもの。料理を出したり、並べるスタッフの動きはすばやいのですが、それ以上に並ぶ人たちの熱気が伝わってきます。

湯豆腐、干し竹の子のきんぴら、がねあげ(さつま芋の短冊揚げ)、おからのひじき和え、酢ごぼう、アロエベラの刺身、といものサラダ、なすの甘辛煮、煮しめ、漬物、鶏ごぼうおこわ、天ぷら(つけ揚げ)、いきなり団子、しただご、さつま芋のかりんとう…などなど。とても一皿には乗りません。

 テーブルには、乳児を連れた若い夫婦や老夫婦、他市町村の視察職員など年齢も性別も組み合わせも様々な人たちが座って、わいわい食べています。
「あの煮しめがおいしかった」と、聞きつけてテーブルに皿を持っていく人あり、といものサラダを食べながら「これ何だろう」と首をひねる青年あり、団子やまんじゅうのおいしい店や場所の情報を交換する人もいました。
 食べ終わると、皿を返し、汁もの、生ごみ、もえるごみと分けて捨てます。生ごみ類はほとんど出ていません。バイキング形式でしたが、皆、自分が食べる分を大皿から取り、取ったものはどれもおいしかったのでしょう。残食がほとんどないというのは、作り手にも、食べ手にも喜びを与えた料理の証拠です。
 また、ごみの減量と分別に市民も参加して取り組んできた成果もあるのでしょう。

■生活文化〜身近な素材が道具になる
 水俣には多くの「百姓」…いろんな仕事や生活の技を身につけた人がおり、そのなかでも秀でて竹籠細工や藁細工など伝統的な職人となっている方がいます。

 古里地区(茶の木)の竹籠細工職人Iさんを訪ねました。竹籠細工職人を目指し、全国を歩いて師匠となる人を捜し、水俣で師匠に出会って修行し独立した職人です。今は、古い民家を借りて仕事を続けています。作品は商品として引き取られていくため、手元にはほとんど残っていません。そこでIさんは、作品を写真に撮って残してあり、そのアルバムを見せていただきました。
 ページをめくっていくと、おや、わが家にあるのと同じ形のものがありました。実家で以前、飾ってあった古い竹籠をもらってきて、今はわが家の玉葱置きになっているものとそっくりです。ご飯じょけでした。聞くと、ふきんを敷いてご飯を入れ、日陰の木にひっかけておくもので、冷蔵庫や保温ジャーのなかった時代に、ご飯を保存し、猫などにも食べられないようにする道具だそうです。わが家にある物は作られてから40年は経っていることでしょう。写真に写る新品は、これから先何十年も使われると思います。Iさんがいる限り、もし、竹がほつれたりしても、修繕して使い続けることができます。今のプラスチックの道具では、そうはいきません。黙っていても、日光の紫外線で劣化し、数年で使い物にならなくなります。捨てるときは、埋め立てるか、設備の整った焼却炉でダイオキシンなどが出ないように焼くこといなります。一方、こちらは竹です。もし、運命のいたずらでその使命をまっとうしても、燃料になり、肥料にります。炭にすることもできます。Iさんがどのようないきさつで竹籠職人を目指したのかは聞きそびれましたが、竹籠細工とはなんと智恵の満ちた道具だろう。それを生み出す人が水俣にいました。

 湯の鶴温泉でも職人さんに出会いました。しばし温泉を楽しんだ上で、湯の鶴温泉の通り(水俣出水線)をぶらぶらと歩くと、竹細工をしている方がいました。なかなかの高齢です。座りっぷりも堂に入ったもので、広いとは言えない作業場で、長い竹を器用に加工していました。「これまで作ったものはみんな売り物で手元に残っていないから、作ったことのある竹細工をひとつずつでも作り直しておいておきたいんだが」「Iさんが水俣に来たので、この前は誘われて一緒に竹を切りに行った」いろんな話をしていただきました。話す間も手が動いています。
 もうひとり、藁細工をしていた方を見かけました。元大工さんで、大工も藁細工も独学で学んだそうです。藁細工は、羽釜を置く台や、馬のくつ、牛のくつという、馬や牛を山に登らせるときにはかせたもの、海で作業するのに地下足袋の上からつけるわらじのようなものなどが飾られていました。
 全国でも数少なくなった竹籠細工、藁細工職人。Iさんのようにこの技を受け継ぐ人がいることは、生活文化の希望であり、懐の深さだと思います。

■宿泊〜石飛地区天野茶屋
 夜は、石飛地区の天野茂さんのところにやっかいになりました。水俣の山のグリーンツーリズムで案内人として紹介されている天野さんです。
 お茶の加工場には囲炉裏があり、夜な夜な水俣をはじめ、熊本県内、九州内、いや、日本国内、世界各地から人が集まる世界のへそのような場所です。ここには、主の天野茂さんと家族、しばらく前から滞在している女性、水俣の人々の写真を撮るために住み込んでいるカメラマンがいて、我々をもてなしてくれました。すでに囲炉裏には薪がくべられ火が燃されていて、その上には羽釜がかけられ飯が炊かれつつあります。炊いているのは天野茂さん。近くでとれた銀杏が入ったひすいご飯です。部屋の中が薪の香りに満ちています。時にはけむい感じもありますが、心が落ち着くにおいでもあります。
 夕食で最初に出てきたのが、長芋の天ぷら。すりおろした長芋をまとめて軽く下味をつけ、揚げたもので、アクセントにあおさがちょっとのっていて、何もつけなくてもあおさの香りでおいしくいただけます。テーブルには、かぼちゃのサラダ、干し竹の子のサラダ、人参と大根のなます、干し芋がらの煮浸し、干し大根の炒め煮、ごぼうのサラダ、きんぴらなどがのっています。さらに、茹でた里芋と親芋が出てきました。
 囲炉裏の火にフライパンをかけて、細かく刻んで塩と胡椒をした鶏肉を炒りつけます。これがまたおいしい。

 そして、おでん。卵、干し竹の子、里芋、厚揚げ、こんにゃく、大根、竹輪、天ぷら、いわしの燻製(かまぼこ)などがぎっしり入っています。これもまた囲炉裏で温めます。
 あとは、焼酎と紅茶。
 小屋のすぐ前にあるお茶畑は無農薬。肥料もほとんどやりません。「肥料がたりないから、木がなんとかしようとがんばっている」お茶です。緑茶だけでなく、ここには自家製の紅茶もあります。これがなんともいえず甘くておいしいのです。
 この紅茶で焼酎を割って飲むのが通。囲炉裏の煙と紅茶の香りがからみあい、良い感じに酔わせてくれます。
 一段落したら、五右衛門風呂に入ります。小屋の外に五右衛門風呂があるのです。
 以前、台風で水俣のインフラが止まったときも、ここの五右衛門風呂に、小川から水を入れて薪でわかして入った記憶があります。外には満月あけの明るい月。絶景、極上の夜でした。
 翌日、小屋の外を見ると、竈があり、入り口には、唐辛子やイタリアントマト、里芋などがざるに入れて置かれていました。食べものがあちこちにあり。空気がおいしい石飛です。

■久木野地区 おいしい久木野家庭料理大集合
 久木野地区では、「おいしい久木野家庭料理大集合」に参加。今回で3回目となる催しで、今回は食の文化祭の一企画として開かれました。久木野地区の各家庭から料理を1品(以上)もちより、ずらりと並べて、見て、話して、最後に試食をするという楽しい食の文化祭です。会場となった久木野の愛林館には、雨の中、濡れないように体の前に包みを抱えて女性たちが次々と入ってきます。まわりの料理を見回し、少し照れくさい様子で受付をすませ、用意されたシートに、料理名やレシピ、一言コメントなどを書いています。スタッフが、1作品ずつきれいに写真をとっていきます。そうしてラップにくるみ、みんなが揃うのをじっと待つのです。お皿もそれぞれ、飾り付けもそれぞれであるが、ずらりと並んでみると、これがなんともいえず色とりどりで、壮観です。なにより、見て回る人たちの目が輝きます。私の目も輝きます。しばらくはみんなで料理を眺めます。どれを食べようか、というだけではありません。この時間が、料理や食材の情報交換会の場、交流の場になります。
「これなんね」「レモングラスのお茶よ」「レモンとはちがうとね」「ハーブの一種で冬を越すのが大変だけど、すぐに株が増えて育つの。レモンと同じように酸っぱくて香りがあって、お茶やお風呂にもいいのよ」
「この団子は私が作ったとです」「おいしそう」「あっちの人のが、上手かとよ」「いえいえ。どっちも食べます」
「これは、ゴーヤの酢漬け、こっちは、みそ漬け、あれは梅しそ漬け。いろいろでくっとですよ」
 シートに書いてあるコメントもなかなか楽しい。みんなに一番受けていたのは、行きつけのイタリアンレストランのレシピでつくった納豆ピザ。「チーズを忘れました。すんません」とあったが、後で食べたところチーズがなくてもおいしかったです。
「私が小さい頃、おやつに。母がつくってくれた」という、ねったぼ。
「子どもの頃よく母がつくってくれたおやつです」という、うしの舌だんご。
「ゲートボールに行くときに作って食べてもらいます」という、むらさき芋のコロッケ。
「下払いの時とか仕事のときのおやつ。ゲートボールの時も」という、かぼちゃ団子。
 なるほど、ゲートボールでのおやつも、小さな食の文化祭なのか。
 煮しめも何種類と出ています。自家製のこんにゃく、地魚の南蛮漬け、赤飯におこわ、巻きずし、チャーハンもある。パエリアもあります。伝統料理も、最新料理も、創作料理も、主催した愛林館の館長・沢畑亨さん一家の料理も出ています。
 いよいよ試食。作った人、見に来た人、食べに来た人が一斉に、お目当ての料理に群がります。もちろん、試食は試食です。たくさんとってはだめよ、みんなに少しずつと分かってはいても、同じ傾向の料理を食べ比べてみたり、つまんでみたりしているとあっという間にお腹が一杯になりました。
 それでも、モニターである我々は、「次もあります」という声に、少しだけ抑制しようと思ったのです。料理の前に、この意志は弱りがちでしたが。
 ところが、「次」の予定であったところから連絡が入りました。「もう料理がなくなった」かの地でも作った人、食べに来た人たちの目の色が変わったのでしょう。さもありなんです。

■袋地区〜だしと塩にこだわりました 杉本水産
 袋地区の杉本水産では「食の生活文化祭・田舎の丸ごと食べあるきツアー」が開催されました。主な参加者は、水俣市内の女性たちです。
 料理の準備の横では、今朝、船で海から水揚げしたばかりの生しらすを大きな釜で茹でたり、干す作業が行われています。
 出てきた料理は、海の恵みです。いりこと塩でだしをとり、そうめんに竹輪とかまぼこ、葱をのせてだしをぶっかけたぶっかけ素麺。生しらす、茹でただけのしろごには、いかやたこも混ざっています。これがまた市販品では得られない楽しさ。太刀魚の刺身は銀色に光っていて美しく、焼いた太刀魚は白身がクリームのように口の中でとろけていきますたこの刺身と、焼いたたこ。干し椎茸、干し竹の子、里芋、蓮根、干しぜんまいを塩だけで炊いた煮しめ。塩だけで味を付けた短冊さつま芋揚げのがね揚げ、それに、柿、みかん、うべ(パッションフルーツ)。すべて地の物です。水俣病患者であり、海で働くことで癒されると語る、杉本栄子さんは、「今回のテーマは塩とだし」と説明します。自然塩を使い、いりこなど素材のだしを活かした料理の数々。素材の力に圧倒されます。なかでも圧巻なのが、しろごの茶漬け。ごはんにしろごをたっぷりののせ、醤油をふりまわし、お茶をかけてご飯をかきこむのです。これは、もう、頭がまっ白になってしまううまさです。言葉はおいつきません。今、その目の前の海で獲れ、それを茹でただけのしろごは、魚の臭みなどまったくなく、うまみしかないようです。お茶も、醤油もごはんとしろごをただちょっとだけ支えるだけで、この支えがあると、ごはんとしろごのうまさが、ぐいぐいと表に出てきます。舌に溶け、鼻に開き、のどをこす。おいしい。命の力、海の、自然の力、ここでしか食べられないおいしさです。

■身体がよろこぶということ
 10月30日から11月1日まで、7食、水俣の食を水俣で味わい、楽しみました。目で楽しみ、鼻で嗅ぎ、耳で知り、音を喜び、舌で味わったわけですが、もうひとつ、とても大切な喜びを感じていました。
 私は各地を出張すると、どうしても便秘気味になります。野菜や芋、豆類を食べる機会が少なくなり、ふだんの食生活とはずいぶんと違ってくるからです。
 今回、宿泊は天野茶屋、食事は、水俣の食材、しかも、旬の食材と保存食(乾物など)中心で、すばらしい空気、水、土、緑、海、川、そして、すばらしい人たちとともに味わうことができ、なにより、頭でどうこう思う前に、身体が反応していました。身体が素直に喜んでいました。
 その証拠に、毎日、11月2日まで、その結果としての私の身体がつくる「産物」が実に立派でみごとだったのです。色も、大きさも、硬さも、理想的なものが続きました。
「良い食べもの、良い空気、良い水、良い土、良い人」とともにあることが、身体と命にとっていちばん必要なもの、宝物だとあらためて感じました。




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