ドイツ風景〜乳母車天国

広瀬珠子


 今回は食や農といった話題からはちょっと離れてしまいますが、大人だけでなく乳母車の赤ちゃんまでみんなにとって暮らしやすい住環境という点で学べるところがあるのではないかと思ったことについて書いてみたいと思います。

 ドイツの町で幅を利かせているな〜と思うのがベビーカー。まずサイズが違います。いわゆる「乳母車」というのでしょうか、ゆりかご型の、赤ちゃんが完全に寝たまま乗れるタイプをよく見かけるのですが、日本の感覚からするととにかく大型なのです。車輪も自転車についているようなしっかりとした大きなゴムタイヤが4つ。そこにさらにバネをしっかりきかせて振動が抑えられており、赤ちゃんの乗るスペースは高い位置にあり、下の部分には荷物がたくさん積めます。日本の小型ベビーカーはプラスチックの小さなタイヤのガタガタという振動が乗っている子供にそのまま伝わり、しかもコンパクトなタイプの場合、子供の座る位置が低めで自動車の排気ガスなどにさらされやすいような気がします。この点、巨大で頑丈なドイツの乳母車はかなり優秀で乗り心地も抜群に見えます。ただ、当然たためる代物ではありません。でも要するに、たたむ必要がないのです。日本ではベビーカーは特に公共交通機関では邪魔者扱いされることが多いようで、大荷物を抱え子供を抱っこしてたたんだベビーカーを片手にがんばっているお母さんをバスや電車で見かけますが、ドイツ社会はベビーカーにかなり寛容です。というよりは、別に故意に邪魔をしようとしているわけではなく必要があるものなのだからそれだけの場所をとって当然、と社会が受け入れているような気がします。都市規模が小さく、公共交通機関もそれほど混雑せず、ビジネスマンが寿司詰めになっていてベビーカーなんて入り込む余地のないほど殺人的なラッシュアワーなどというものが存在しないという面もあるとは思いますが、それにしても乳幼児を抱えた母親が面倒くさがることも臆することもなく気軽に外出できる環境だと思います。

 地下鉄でも電車でも、トラム(路面電車)でもバスでも、大型の乳母車や車椅子を乗り入れることができるだけのスペースがドア付近に確保されており、乳母車が乗ってくるとその辺に立っていた乗客はスペースを空けます(気がつかないでいると「どいて」と言われることもある)。それ以前に、まわりの乗客が乗り降りの手助けをするのも当然のこととされています。トラムやバスの最近の新型車両は車椅子や乳母車、お年寄りなどの乗り降りがしやすいように段差がかなり低い設計となっているのですが、古いタイプの車両だと狭いステップを3段くらい上がらないと乗り込めないのです。こういう場合、乳母車の母親が待っている停留所にトラムやバスが止まると、ドア付近に乗っている乗客は降りて、よっこらしょと乳母車を担ぎ上げるのを手伝います。これは車椅子でも同じことで、我々も停留所で待っているときに車椅子の女性に「トラムが来たら乗るのを手伝ってね」と声をかけられたことがあります。担ぎ上げるには多少時間がかかるわけですが、その間待たされる乗客も運転手さんもいやな顔をしたりはしません。一度夕方のそれなりに混んでいる時間にトラムに乗っていたときに乳母車が停留所で待っていて、こりゃ乗れないんじゃないか、と思っていたら、乗客のおばあさんが「さぁ、乳母車よ」と声をかけ、みんな少しづつ奥につめて大きな乳母車が無事収まったこともありました。でも、乳母車が乗ってきて文句をつけている人というのも実は一度だけ見たことがあります。しかしこのときは「狭いとこでぶつかって痛いじゃないの」とブツブツ文句を言ったおばさんに対して20代くらいの若い母親が負けずに自分の立場を主張して言い合いとなり、乗客はどちらかというと母親の味方だったようで、その後おばさんが降りていったあとで近くにいた中年のおじさんが、「よくやった」というふうににっこり笑ってこの母親の肩をたたいていきました。

 いずれにしても、赤ちゃんも社会の構成員なのだから、バスにも電車にもトラムにも乳母車がいて当然、という考え方なのだと思います。ただしもちろん、子供がどこでも幅を利かせていいというわけではありません。子供の空間と大人の空間というのはきちんと住み分けされているようで、たとえば夜のレストランで子供の姿を見かけることはありませんし、コンサート・ホールや歌劇場なども同様です(その代わり子供向けの公演というのが年に数回用意されています)。公共交通機関は道路や公園と同じように赤ちゃんから老人までみんなの空間なので、乳母車も子供もビジネスマンと同様に使う権利があると認識されているわけです。
 赤ちゃんに関していえば、育てる親のほうもあまり固定概念にとらわれず、自分自身を主軸に置いて生活を楽しもうとしているような気がしました。たとえば、最近日本でもごくたまに見かけるようになりましたが、スポーツタイプのベビーカーというのがあって、丈夫で大きな自転車のようなゴムタイヤのついたスポーティーな三輪ベビーカーなのですが、これを颯爽と押しながら緑の公園をジョギングしたり、ローラーブレード(インライン・スケート)で走ったりする若い夫婦などをよく見かけます。ベビーカーとローラースケートという組み合わせは日本では考えられないでしょうね。



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