倉渕村就農スケッチ・「7年ひと巡り」

和田 裕之、岡 佳子



 今年の5月で就農8年目となった。家の前の畑の一番奥の場所にインゲンの苗が植わった。就農1年目に初めてインゲンの苗を植えた同じ場所だ。
 インゲンは連作を嫌うらしい。ものの本によると4〜5年は休ませるか別の科の植物を栽培するのが良いという。同じ種類の植物を続けて栽培すると土壌の養分バランスが崩れ、生育が悪くなったり、特定の病気や害虫が発生しやすくなる。マメ科とナス科は特に連作を避けるべきなのだそうだ。
 輪作は有機農法のすべてではないが重要な基本の一つである。何かの事情で輪作ができなければ病虫害の発生や収量の減少という形で返ってくる。輪作なしで土壌のバランスを整えるためには、頻繁に土壌分析が必要となり、高価な土壌改良資材や天敵資材(害虫の天敵が資材として売られている)を購入しなければならなくなる(「有機」ではない慣行の栽培では土壌消毒や殺虫剤・殺菌剤を使用するのが一般的のようだ)。病虫害や減収を避けるためには高価な資材の購入もやむを得ないことかもしれないが、それは別の形でエネルギーを消費していることにならないだろうか。畑と野菜をうまく巡らせることで土壌の消耗を出来るだけ抑え、原材料の確かな自作の堆肥とぼかし肥料、芳賀さんの平飼い発酵鶏糞など最小限の補いで作物を栽培することを私は心がけたい。
 1反5畝(1反は約300坪、1畝は約30坪)のインゲン畑は毎年別の場所、別の畑へと移動していった。1年目から3年目は「前の畑」で場所の移動。4・5年目は「向こうの畑」。6年目は「上の畑」と「権田の畑」。7年目は「青山さんの畑」。インゲン畑の移動に追いつかれないように毎年1反から1反5畝の畑を新しく借りていった。
 畑を巡らせるとその年その年のその場所その場所の想い出もついてくる。1年目、生まれたばかりの太一を交代で見ながらインゲンを朝から夜まで取り続けた。2年目、歩きはじめた太一はインゲンの木陰でよく遊んだ。前の畑では太一が家で寝ていても起きると泣き声が聞こえるので安心して仕事ができた。2人目の太緒はベビーカーに乗せてインゲンの木陰で過ごした。大きすぎる規格外のインゲンを持たせてやるとなめたりしゃぶったりして機嫌がよかった。子どもたちの成長とともに家から離れた畑にインゲンが移動していった。大人がインゲンを取っている間、兄弟2人でよく遊ぶ。50mあるインゲンのトンネルを「よーいどん!」でかけっこ。かくれんぼにはもってこいのインゲンの林。よ〜く見るとてんとう虫やかまきりなどいろんな虫がうごめいている。ある時にはクワガタムシやカミキリムシもいた。雉がネットに引っかかっていたこともあった。動物の足跡や糞もよくある。向こうの畑にはおいしい桑の実、上の畑には甘い木苺、青山さんの畑と萩原さんの畑は浅間山と白根山が一望できる。いろんな畑を巡りながら子どもたちも私たちもいっぱいの楽しみを見つけている。
 畑は初年度耕作3反から今では1町5反(1町は約3000坪)ほどになった。インゲンの輪作をするには十分な面積だが、3年前からナスとピーマンを1反前後作るようになり、畑の輪作がますます複雑になってきた。レタスやズッキーニ、かぼちゃなど面積を必要とする作物、輪作に組み込むライ麦やえん麦などの緑肥作物のことを考えるともう少し畑を広げてもいいように思っている。
 山間地なので畑の傾斜や日当たり、水はけの良し悪しや獣害のあるなしで作付けできない畑と野菜の組み合わせがある。例えば、権田の畑以外はイノシシの被害が大きいのでイモ類やかぼちゃなどイノシシの好む作物を植えるときは周りをネット等で囲うか近くに犬をつながなくてはならない。また上の畑と権田の畑はウサギの被害が大きいので小松菜などの葉のものやブロッコリー、枝豆(大豆)などは作りづらい。畑の都合以外にも人間の都合で、急な下り坂のため雨の日に軽トラックで近づけない向こうの畑や上の畑では大根などの重い収穫物を作付けするにはかなりの覚悟がいる。作業性が圧倒的にいいのが家のすぐ前の畑。ここだと子どもを家で遊ばせておいても作業が出来る。人参や春の春菊など草取りや間引きに手間のかかる作物はいつもこの畑で作ることになる。
 わが家のインゲン畑は7年でひと巡り。就農8年目にしてようやく2巡目のインゲン、畑の巡りとなる。7歳になった太一、3歳になった太緒と一緒に畑でまたいっぱいの発見ができるだろう。今年は色々な野菜の種も取ってみたい。


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