倉渕村就農スケッチ・「冬住みの日々−暮らしの中の仕事」

和田 裕之、岡 佳子



   鶏の餌や堆肥用に米ぬかをうちから1時間弱のところにある長野原まで取りに行った。
 その先に六合村(くにむら)という何となく名前に惹かれる村があったのでちょっと寄り道をしてみた。川沿いの狭い土地に細々と家々が建っている。畑は少なく、あったとしてもほとんど傾斜地。その役場近くに「冬住みの里」という看板があった。ますます惹かれてしまった。おそらく(想像だが)冬の間炭を焼いたりの山仕事、また雪深くなると家の中での様々な手仕事があったのだろう。「出稼ぎ」に行くのではなく「冬住み」。そしてその冬にこそ様々な手仕事や技が引き継がれていたのだろうと想像する。細々とだけどとても豊かなくらしであっただろう。私たちの「冬住み」の「仕事」についても考えてみた。

 ぷらっと農園の坂本さんと一緒に作った雑穀が豊作だった。アマランサス・もちきび・もちあわ・たかきびの4種を作った。5月種まき、6月間引き、草取り、9月収穫と行い、我が家のビニールハウスに干した。冬になって脱穀をはじめた。週1回女組(坂本泰子さんと佳子)で丸1日。男たちはそれぞれ大工仕事に精を出している。アマランサスに1日半、もちきびに半日、もちあわに2日半、たかきびに半日、合計脱穀にかかった日数は5日間。これからまだとうみにかけて精穀の作業がある。すごい手間だが農閑期の冬だからできる仕事だ。青いビニールシートをひいてその上にどかっと腰を据え、手をより合わせながら1房ずつ丁寧に脱穀をしていく。「これって買ったほうが安いよね」「もしこの雑穀に値段をつけるとすごく高くなるよね」などおしゃべりしながら。冬の貴重な時間、このおしゃべりがなかなか大切なのだ。
 雑穀の料理法から最近の食生活に。「冬の間野菜がないけどなんか悔しいから絶対野菜は買わない」「貯蔵野菜のハクサイ、ダイコン、ニンジン、じゃがいも、ねぎを使った料理をいろいろ」「おかげでレパートリーは広がるよね」「おとといはダイコンの煮物、昨日はダイコンのステーキ、今日はダイコンの天ぷらでもしようかな」
 と、そこで急に夫婦喧嘩の話も。「食事の後の片付けもしてくれないからあったまきちゃって」「でもお宅はお茶入れてくれるからいいよね」などなど。「畑のことは向こうのいいなり」「でも自家用野菜のことは私が種から考える」
 と、ここからは今年の畑の計画。「雑穀、今年はうちの畑でしようね」「今年はもちきびを増やそうね」「産直用に端境期になる6月、9月頃なんかいい野菜があるといいね」「ちょっと手間かかるけどセロリ植えとくと9月に助かるよね」等々話は尽きない。  あんまり有意義な話なので2人じゃもったいないと友達も誘ってみた。「雑穀の脱穀をしてるんだけど織枝ちゃんもなんか手仕事持ってきて話に加わらない?」と。彼女は野鳥の巣箱を作るべく大工道具を持ってやってきた。もうひとり、久仁子さんはどうやって始末をつけようか一人で途方にくれていたエゴマを持ってきた。
 暖かいビニールハウスの中でそれぞれ思い思いの手仕事をしながら過ごす。昔からこういう女たちの井戸端会議はあったようで、家庭内のうまいガス抜きになるし、情報手段としても結構重要な役割があったにちがいない。
 子どもたちも4人集まって畑やハウスの中で遊んでいる。時々こちらの仕事に興味を持ち、手を出してみたりもする。農繁期の夏は親の忙しくしている姿ばかり見せているようでちょっと気が引けていたが、冬のこういう姿もいいもんだ。

 大豆やあずき、花豆の脱穀、選別にしても、お金に換算するととてもやってられないくらい手間のかかる仕事。でもこういうのは言わば「生活、暮らしていく上での仕事」なのだ。農業という職につくとき職業としての選択ではなく、暮らし(生き方)の選択としてきた。だから経済性うんぬんではないのだ。子どもたちにはこういう暮らしの中の仕事をいっぱい見てほしい。
 例えば、パンを食べるために麦を育てる。麦の種を蒔いて暑い時期に収穫し、天日乾燥、脱穀、とうみかけ、天日乾燥、製粉所へ持って行って最後にやっと粉になる。自然の酵母を集めて育て、生地をこねる。薪を集め切って割って乾かし、その薪で火を起こし、窯を熱くする。子どもたちには、パンを得るために必要な幾つもの手を、仕事を見て育ってほしいと思う。
 例えば、温床作り。軽トラックに山と積んだ落ち葉を2台分以上集める。稲わらをもらいに行ったり。安く手に入る米ぬかを遠くまで取りに行ったり。平飼い養鶏の発酵した鶏糞を丸一日かけてもらいに行ったり。温床の材料を一通り集めるだけで一週間以上は軽くかかる。さらに言えば、この材料を手に入れるまでの歳月は何年にも及ぶ。それでも、そこに至る道のりは、大変だとか苦労とかではまったくなかった。さまざまな情報や「つて」は、人間関係が少しずつ広がり、深まってゆく中で喜びと感謝とともにもたらされた。
 個別の労働もまたなんとも楽しくて仕方がない。四季便り会員の長藤さんの別荘地での落ち葉集めはピクニックのようだ。稲わらをいただく農家・澤太郎さんは田んぼの先生でいろんな百姓事を教えてくれる。米ぬかを取りに行く酒蔵は景色のいい渓谷にありドライブ気分だった。平飼いの養鶏家・芳賀さんは前職からの知り合いで、毎年お伺いできるのが嬉しい。芳賀さんご夫妻は牛も飼っている。動物相手なので休みの日が一日もないはずだが、芳賀さんたちはいつも明るい笑顔で私たちを出迎えてくれる。
 野菜を育てるための温床作り。時間と手間を必要とする温床。この温床は今年の野菜苗に使われ、翌年一年間雨ざらしで置いておく。その次の年、この床土は野菜の育苗用の土となる。
 温床作り、パン焼き、お米や雑穀、野菜作り……暮らしの中の仕事はなんでこんなに楽しいのだろう。人に指図されたり管理されたりしないからだろうか。それもあるかもしれない。でも、それだけではない気がする。私たちが生きていく上でもっとも必要なこと。自分たちが食べたいと思う食べ物を育てること。身の回りの生き物たちが生き生きと生きていること。自然や動植物、関わりのある人たちに心から感謝できること。私たちの暮らしの仕事には、これらのすべてがある。
 そして、私たちが楽しげに働く姿を子どもたちが見ていてくれる。そのことがまた、私たちの喜びでもある。


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