今さら聞けない勉強室 ねもはも版
テーマ:病原性大腸菌O157


牧下圭貴




 2004年は、アメリカ産牛肉のBSE(狂牛病)と鳥インフルエンザで幕を開けました。そこで、病原性大腸菌O157についてまとめます。思い返せば、1996年の病原性大腸菌O157食中毒によるパニックは、その後の多くの食品をめぐる事件・出来事のさきがけでもありました。いまさらながら、きちんとまとめておこうと思ったのです。

■病原性大腸菌O157と1996年
 1996年の夏から秋にかけて、日本はパニックになりました。
 5月に岡山県邑久町で病原性大腸菌O157:H7による食中毒が発生し、患者数468人、死者2名を出しました。6月に、岐阜市の小学校で患者数530人、岡山県新見市でも患者数364人、そして、7月には大阪府堺市で患者数約6500人、死者3人と大規模な食中毒事故が起こります。この3つはいずれも学校給食が原因ですが、その後も、学校給食あるいは散発な場所で病原性大腸菌O157による食中毒が起こり、WHO(世界保健機関)は「けた違いの記録的な患者数」と、この事態に驚きました。
 堺市の食中毒で原因食材とされたカイワレ大根は、ほぼすべての売り場から姿を消し、生産者は次々と倒産します。レタスなどの生食野菜は売れず、レバ刺が焼肉屋から消え、刺身が売れなくなり、売れるのは消毒薬と逆性石けんや合成洗剤ばかりになりました。プールでは殺菌のため次亜塩素酸濃度を上げ、学校給食から生野菜が消えてしまいました。夏休みの野外活動は次々とキャンセルされ、あちこちに対策のためのポスターが張り出されます。「今まで子どもの食生活を考えておやつは手作りしていたけれど、衛生のため袋入りのものを買って食べさせるようにしました」という親まで現れました。
 消毒薬のコマーシャルが増え、そのころ流行しつつあった「除菌」「無菌」が「常識」に変わりました。
 この年、消毒薬の誤飲などによる被害が例年より多かったとも記録されています。
 1996年の病原性大腸菌O157食中毒は、厚生労働省のまとめで発生件数87件、患者数10322人、死者数8人となりました。

■なぜ学校給食で
 1996年の食中毒事故で大規模なものはいずれも学校給食が原因でした。学校給食の調理が不衛生であったり、原因菌の多い食材を使っているわけではありませんが、学校給食のしくみそのものが食中毒を大規模化させました。岡山県邑久町の場合、学校給食センターで一括してつくっていたこと、大阪府堺市の場合、各学校に調理場がありましたが、献立や食材購入は市全体で行っていました。これらはコストを下げるために行われていることです。
 食中毒事故は大規模化すると、地域の医療体制が追いつかず、被害を拡大させたり、死者を出すことにつながります。
 この病原性大腸菌O157による食中毒事故を受けて、文部省(当時)は、学校給食食品衛生マニュアルを作成します。それに対応するため、生野菜に過剰な次亜塩素酸ナトリウム消毒を行ったり、生野菜を出さず、また、ジャムを煮返したり、中心温度を高くするため加熱しすぎの料理を出すなど混乱を招きました。しかし、本質的な問題である大規模、低コスト体制には手を付けられず、潜在的なリスクは高いままです。
 そして、現在でも、多くの学校給食現場では過剰な殺菌や生野菜を出さないなどの現場対応で食中毒を防ぐことを最優先にした給食づくりが行われています。

■病原性大腸菌O157とは
 大腸菌は、健康な人の腸内に存在する好気性菌で、家畜や動物の腸内、自然環境中にも存在します。ほとんどが病原性をもちませんが、中には人への病原性を持つ大腸菌があり、そのひとつが病原性大腸菌O157:H7です。赤痢菌の毒素と同じベロ毒素(志賀毒素)を作り出します。O157とは、大腸菌の分類方法で、O抗原(細胞壁由来)の157番目に発見されたものであり、H7とは、O157の中で、H抗原(鞭毛由来)の分類です。
 感染し、発症すると、腹痛や水溶性、出血性の下痢、乳幼児や小児などでは、まれに溶血性貧血、急性腎不全などの溶血性尿毒症症候群(HUS)となり、脳障害や死に至ることがあります。
 病原性大腸菌O157は100個程度でも感染しますが、無症状や軽い下痢、腹痛の場合も多くあります。
 ベロ毒素は赤痢菌と同一のもので、この毒素を作る遺伝子がバクテリオ・ファージとして大腸菌に移動したとも考えられています。
 この病原性大腸菌O157は1982年アメリカで発生したハンバーガーの挽肉を原因とする食中毒で発見されました。病原性大腸菌O157は、もともと大腸菌の中でもまれな存在で、主に牛の腸から発見されており、牛の糞便や腸などが最初の汚染源とされています。
 日本では、アメリカの食中毒発生を原因に過去にさかのぼって調査を行い、1984年の事例で確認されたのが最初です。しかし、その後は散発的にしかみられず、なぜ1996年だけ突出して発症が多かったのか、いまだにわかっていません。

■腸内細菌と無菌思想
 病原性大腸菌と一般の大腸菌に大きなふるまいの差はありません。人間の腸の中ではさまざまな腸内細菌が細菌群となっており腸内細菌叢と呼ばれます。便(うんち)の固形分半分から3分の1がこの腸内細菌やその生成物です。菌には酸素が好きな好気性菌と酸素が嫌いな嫌気性菌があり、腸内での主流は嫌気性菌です。大腸菌は好気性菌です。
 腸内細菌叢は、300種類ともいわれる多様な菌で構成され、腸内でバランスをとっています。
 腸内細菌叢のバランスがよければ、病原性大腸菌が入っても、ただちにその菌ばかりが繁殖することは難しいようです。
 ところが、たとえば抗生物質などの抗菌剤を飲むと、一時的に腸内細菌叢が壊れてしまいます。一時的であれ腸内を「除菌」してしまうからです。そんなところに感染力の強い、繁殖力の高い菌が入ったらどうなるでしょう。一気に増殖し、発症するかもしれません。
 病原性大腸菌O157をきっかけに「常識」となった過剰な除菌・無菌思想は、腸内細菌叢や身体の表面にいる皮膚常在細菌などと共生して健康を保っている人間の生命のあり方そのものと矛盾しているのです。

■食のあり方から考える
 1996年の病原性大腸菌O157の流行原因は分かっていません。しかし、おおもとが家畜である牛由来であることはわかっています。
 合成抗菌剤などを多用し、過密に育て、餌も本来の粗飼料(牧草など)だけでなく、穀物や動物性のものを与える育て方の中に問題があるのではないでしょうか。
 家畜の餌のほとんどは輸入です。また、日本人の食料の過半数が輸入品です。堺市の原因食材として最初に上げられ、その後、違うとされたカイワレ大根も、その種子がアメリカ産だったために疑われました。世界各地からの輸入食料に頼ることもひとつの問題です。
 そこにきて過剰な除菌・無菌思想が加わり、1996年の流行を引き起こしたのではないか、そんな風に思えてなりません。
 もちろん、原因は明らかにならないままです。
 しかし、その後、家庭では生野菜が食べられており、レバ刺や、魚の刺身も元のさやに戻りました。あのパニックはなんだったのでしょう。
 その後に起こった様々な食品事件のたびに、ひとつひとつ食材が一時的に食べられなくなり、いずれまた元に戻っています。
 ただ、そのたびごとに、除菌・無菌思想だけが強力になっています。


参考
厚生労働省ホームページ
「食品汚染とHACCP」久慈力(三一書房)
「腸内細菌のはなし」光岡知足(岩波新書)
「免疫と腸内細菌」上野川修一(平凡社新書)
「ヒトは細菌に勝てるのか」吉川昌之介(丸善)
「日本人の清潔がアブナイ」藤田紘一郎(小学館)

腸管出血性大腸菌O157による食中毒の発生状況
    発生件数 患者数 死者数
平成8年  87   10,322 8
平成9年  25     211  0
平成10年   13    88 3
平成11年 6 34 0
平成12年 14 110 1
平成13年 24 378 0
平成14年 12 259 9
注)腸管出血性大腸菌O157による食中毒事件として、厚生労働省に報告があったもの(厚生労働省HPより)




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