北海道から農楽だより

徳弘 英郎


 1999年の春に北海道へ来て以来5年目のシーズンを終えた。農業を始めるに当たって私たちがはじめに考えたのは、消費者と生産者が直接結びついて農産物のやりとりをするいわゆる「提携」。自分たちの野菜をセットにして直接消費者に届けたいと考えていた。

 しかし現実は厳しく、旭川まで行って数千枚のチラシを配っても反応はわずか1件。近くの富良野市は農村地帯で、街に居る人でも親戚は農家、庭では家庭菜園という土地柄。離農して街に住んでいるという人も結構居るので、家庭菜園はかなり気合いが入っている。

 一方で食べてもらうことを当てにして作った野菜を捨てなくてはいけない悔しさと経済的損失。ある程度予想していたことではあったが、私たちの理想の形は難しいと思った。ちょっと嫌な言い方だが現実は「売ってナンボ」だなと思った。現実的に対応するべき所はそうして、少しづつでも理想の部分を増やして行けばと考えることにした。

 そんな状況にあって北海道へ来てからずっと続けているのが我が家のじゃがいも・玉葱などを箱詰めにして道外の知り合いなどに送る事だ。そして昨年からは平飼い養鶏もはじめ、農家として独立して3年目の今年は、道外への直送と地元での卵の販売を合わせて売上の半分程度になった。残りは地元の無農薬栽培のグループを通じての出荷。わずかだが農協を通しての市場出荷もある。

 いくつかの販売の形をとる中でつくづく思うのは、直接自分たちの野菜や卵を食べてもらえるという楽しさとやりがい。そしてこれから自分がどんな百姓を目指して行くのか色々なヒントもいただいているような気がする。

 じゃがいも、玉葱を送る10月中旬から11月の上旬にかけては様々な電話、FAX、メールが届いて、色々な声が聞こえてくる。どんな食べ方が美味しかった、ふだん余り食べない子どもがたくさん食べた、友達を紹介するよ等々。また、古くからの友人とは1年に一度この時期に久しぶりに会えるような気持ちだ。じゃがいも・玉葱を箱詰めするときこの箱は誰に送るものかを確認してから箱詰めするようにしている。送り先の人に思いを巡らせながら一つ一つ箱に入れる。

 また卵では個人だけでなく地元のレストランでカレーやピザ、プリンに我が家の卵を使ってもらっている。もうチョット卵の黄身の色を考えて欲しいということも言われる。

 野菜・卵を食べてくれる人達との交流の中で考えさせられるのは、これから農家としていかに「よい物」を目指して行くかということ。そして「よい物」とか「ホンモノ」ってつい簡単に言ってしまうけれども、一体何が「良く」て何が「ホンモノ」なのかということを考えさせられてしまう。「無農薬、無化学肥料、無添加、平飼い、国産飼料等々」は確かに「良い物」「ホンモノ」という枠でくくられやすいけれども、本当なんだろうか。これだけ汚染された環境の中で安全性からみて「良い物」なんてあるんだろうか。そんなことも考えてしまう。食べる人によっても「良い物」「ホンモノ」の基準は違うんではないだろうか。我が家においては「自分で喜んで食べる物」をみんなに食べてもらいたいと考えている。「美味しい物が穫れたから食べてみて〜」という感じだろうか。もちろん情報だけはしっかりと伝えたい。

 ひるがえって地元の農家を考えたとき、ほとんどの農家は味や安全性ではなく見た目だけで自分の農産物を評価されている。そして市場価格が下がれば廃棄。地元富良野では昨年は玉葱の廃棄、今年は人参の廃棄と大量の基幹作物が捨てられた。後継者不足が叫ばれる昨今だが、こんな状況では百姓を一生の仕事として考えられなくなってしまうのはある意味当然ではないだろうか。自分の努力が見た目でしか評価されないのだから。また実際に色々な農家とおつきあいする中でこういう状況から脱しにくい状況も分かるような気がする。

 これから先の自分たちの農業の形を考えたとき、やっぱり食べてくれる人達との関係を大切にしたいとつくづく思う。

 先日我が家のじゃがいもを食べてくれているという書家の方から和紙に一筆いれていただいた。
「魂のじゃがいも」

 自分たちの今の思い、いままでの思いを一言で表してくれたような気がする。じっくりとしみ出してくるような言葉。
「美味しい物が穫れたよ」をたくさん増やして「魂の〜」をたくさん食べてもらいたい。



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