リトル・タジャン・プロジェクト
3年間のまとめ…継続への足がかり


鈴木敦




育苗場の問題点、やはり日照が強すぎること 少ないながらも水があるところに、水牛あり。

 2003年10月、育苗場の情況視察とプロジェクトが今年で3年目となることから参加者の評価・感想を聞くためリトル・タジャンを再訪した。

育苗場の現状
 育苗場は周囲の雑草も刈り取られており、良く管理されていた。前回(6月)播種したジミリーナとアカシアは順調に発芽・生長し、すでに移植したとのことであり痕跡が見られるのみであった。その他のマンゴー、ニーム、アボガド等も30cm程度の苗に生育していた。特にマンゴーについて前回ポット不足のため、ベットに植えた種子が90%以上発芽し、育苗場の中はマンゴーの苗で覆われているといった状況であった。
 今回は2日間かけてこれらの苗をポットに移植したが、用意した1000個のプラスチックポットをすべて使い、合計1100個もの苗が得られた。移植作業は中腰の姿勢で行うためなかなかきつい作業であったが、皆根気強く作業を行いマンゴーへの期待の大きさが感じられた。これらのマンゴーの苗は約3カ月後に接ぎ木処理を予定しており、その際は専門家を呼び、接ぎ木技術の講習会を開く予定である。

 前回の訪問時、Simonは自宅の庭に小さな育苗場を設けたが、そこではニームの苗を中心に順調に生育していた。その苗をバランゴンバナナのプロジェクトも手がけているCORDEVのGreg氏が買い取り、バナナ生産者へ販売する商談がまとまり、小さいながらも育苗によるビジネスが成立していた。また新たに数名が個人の育苗場を作るためGreg氏にプラスチック・バックを注文していた。その内のひとり、Emilio氏の圃場へ昨年購入・配布したマンゴーの苗の生育状況を見に行った。枯らしてしまう人がいる中で、Emilio氏のマンゴーは10本ともすべて順調に育っていた。そこはかつてはトウモロコシが植えられていた緩やか斜面でまだ十分余裕があり、今後も移植可能になった育苗場の苗をこの場所に追加していき、マンゴー果樹園としていきたいと話していた。

プロジェクトに関する会合
 日中、育苗場での作業を行った後、夜は3年間行ってきたプロジェクトの評価・感想および今後の展開等についての会合が持たれた。この会合にはこのプロジェクトの現地コーディネーターであるGreg氏をはじめ村民17名が参加した。まず最初に育苗場プロジェクトに対する率直な感想を述べてもらったが、その内容は以下のようなものであった。

・鉱山会社で働いていた若い頃、育苗プロジェクトの担当をしていたが、会社の方針にそれほど関心がなかった。しかし今回のプロジェクトは自分たちの育苗場であり、その点が大きな違いでありしっかり管理していかねばならない。(Alban Yadan氏)

・このプロジェクトは小規模ではあるが環境を保護し、そのために自分達自身で活動することの動機付けとなった。またこのプロジェクトによって植林の重要性を理解することができた。(Emilio Dekket氏)

・このプロジェクトにより将来新たな収入が得られるようになると思う。(Simon Yadan氏)

・育苗を自分自身で行う方法や接ぎ木などの技術を取得できとても有益である。(Manuel Yadan氏)

・とても良いプロジェクトである。マンゴーが定着すればそれがプロジェクトの記憶となり、村の歴史に刻まれることになると思う。(Alexander Simongo氏)

・かねてから自分の農場にマンゴーを植えたいと思っていたが、そのためには品質の保証のない苗木を買わねばならなかった。しかし自分たちの地域に育苗場を持ったことにより、確かな品質の苗木を無償で得られるようになった。このことは現在このプロジェクトに関係しているものだけではなく、リトル・タジャンの住民全員にとっても有益な事である。(William Simongo氏)

・育苗場はリトル・タジャンの将来にとって明るい材料である。今後他のプロジェクトについても共に行っていきたい。(Anthony Songag)

 また会合では育苗場の管理をする順番が決められ、育苗場の維持に必要な消耗品(防虫ネット等)購入費を積み立てるため、各人に苗を配布する際に、少額を支払うようにすること、引き続き各人が種子を収集することなどが確認された。

 新たな試みとして、モスビーンの試験栽培を提案した。モスビーンについては、たまたま読んだ本でその存在を知った。インド原産で乾燥地帯に適応した植物とのことで、現地では最も乾燥した地域で栽培されており、雨期に植えた植物を収穫する少し前、すなわち乾期にに入る直前に播種され、土壌に残ったわずかな水分を利用して元気に生長するという。根元から多数の茎が広がり地表を被覆することから、生きたマルチとして土を太陽光から守り、土壌中の水分の蒸散や有機物の急速な分解を防ぐ。また傾斜地では土壌流出を防ぐ効果もある。マメ科なので当然窒素固定により窒素を補給し、豆は食用ともなる。
 リトル・タジャンの気象データは最初の1年間に収集済みであり、この地域でも乾期には数カ月雨が降らないことが分かっている。このような気象条件下で輪作体系に組み入れることができる耐乾性のマメ科作物をかねてから探していた中モスビーンを偶然見つけたわけである。
 問題はフィリピンでもモスビーンが入手できるかということであった。
 これに関する写真入りの資料を持って、Greg氏等に見せたところ、現地名で「キンサイ」という豆ではないかとのことであり、現物は意外にも簡単に見ることができた。というのもJulius氏の母親がかれらの出身地であるマウンテン・プロビンス州で購入したものを持っていたためであった。キンサイは当然のことながら食用として売られており、マウンテン・プロビンス州では豚肉とキンサイ煮込んだ料理は一般的なものとのことであった。早々簡単な発芽試験を行ってみたが、発芽率は80%以上と良好であった。
 モスビーンはフィリピンでもまったく新しい作物ではないことや種子が入手できることが分かり、会合でその特徴や可能性を説明したところ皆関心があるとのことで試験栽培を行うことになった。Greg氏の提案より、試験栽培は最初各自に1リットルずつ種子を提供し、新たにモスビーンに関心を持った生産者にも種子を提供できるようにするため収穫時に同量を返してもらう方式を採用することとなった。
 輪作体系の一環として落花生を栽培したいとの要求が参加者よりあり、これについてもモスビーンと同様な方式で試験栽培を行うことになった。これらの試験については記録を取り、情況を知らせてもらうことにした。

 この1年間は育苗場プロジェクトに力を入れてきた。「身の回りものを最大限活用し、極力お金をかけず、自分達自身で行っていく」という基本路線が参加者にかなり理解されてきたことが彼らの感想からも伺えた。小さい育苗場ながらその中が苗木で埋められている光景はなかなか圧巻であり、わずかな資金と労働投入量でこれだけのものが得られること示すデモ育苗場としての効果は大きいと思う。また最初のプロジェクトとして収集した気象データを活かし、輪作体系作りのためのモスビーンや落花生の試験栽培が始まることとなり、個々の事例がつながり発展するようになってきたように思える。参加者の自主性も育ってきた中で、今後もさらに彼らの意見等を引き出すような形で既存のプロジェクトを継続し、新しいことも進めていきたいと思う。




実際に苗が育ってくると、うれしくなります モスビーンです。台所に智恵は潜んでいた
水やりが一番の重労働、井戸の近くだからいいけれど 家の裏に小さな育苗場をつくる人も


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