しずみんの まう・まかん
お題:自家製あんこの幸福


水底 沈




●豆のジャム
あんこ。小豆を柔らかくなるまで煮て、砂糖を入れるだけ。アジアの誇る豆のジャムである。近所のスーパーにはジャム売り場に「あんこジャム」という名でつぶあんとこしあんが売られていた。これだけ世の中に洋菓子が浸透しても、根強いあんこファンというのはいるのだなあ。
先日久しぶりに家であんこを煮た。家であんこを炊くと言うとめんどうなようだが、小豆は大豆や黒豆と違って水に一晩ひたす必要もなく、小粒なので比較的短時間で煮上がる手間の少ない豆なのだ。
煮る間も、何もずっと鍋の番をしていなくともよい。小豆が煮上がるまでは、鍋を火にかけていることさえ忘れなければ、時折煮詰まっていないか様子を見に行くだけでいい、砂糖を入れた後は焦げやすいので集中勝負で練り上げなければいけないけれど、水と小豆だけの時には弱火でことこと煮ていればいいのだ。多少煮すぎで豆が崩れてしまっても、あんこなのだから気にすることもない。
なにしろ、自家製のあんこはおいしいのだ。なぜだろう。まだほかほかと湯気を立てているあんこをカレースプーンで味見すると、ばくばくとさじが進んでやばい雰囲気である。このあたたかみがいいのだろうか。ほかほか炊きたてあんこを分厚いバタートーストにたっぷりのせていただく「小倉トースト」は市販のあんこにはない至福の甘味なのだ。

●純粋あんこはどこだ
作りたてのあんこがおいしいのはもちろんのことだけれど「混ぜものがないおいしさ」というのも重要だ。あんこなんて、小豆と砂糖、それに少しの塩(甘味が締まる)でできるのに、なぜだか市販品にはよけいなものが入っている。水あめや甘味料を使っているものは多いし、菓子に加工されているものだと保存料も使っていることが多い。
以前、京都のおいしい店のを食べてしばらく豆大福に凝り、帰京してからあちこちのものを食べてみたのだが、おいしいものに出会えなくてがっかりしたことがある。餅がゆるゆるだったり豆がぼそぼそしていたり。しかし、やはり決定的にまずいのはあんこだった。京都の店のものは、しっかり豆の香りがしていて、甘いのにほっぺの内側がきゅんと来ない上等のあんこだったのだ。それをつきたての餅でくるんだ大福餅がまずいはずがない。市販のおいしくないあんこに水っぽいものが多いのは、豆の質がよくないところをさらにごまかしの甘味料で練り上げてあるからではないだろうか。
漬け物などでもそうなのだが、シンプルな材料で作られた加工品ほど、価格が高いものが多い。梅と塩だけで作られた梅干しをスーパーで探したら、1種類だけ、しかも5粒で\500もした。1粒100円の高級梅干し。おいそれとおむすびにも入れられやしない。
たくあんでもそうである。普通のスーパーで、混ぜ物のないたくあんを見つけるのはとてもむずかしい。いろいろ入れてくれてあるものの方が高いってのはいったいどういう魔法なのだ。
高くても手に入ればよいが、「炊きたて純粋あんこ」なんてのは自分で煮るしかないのだ。結局、自分のほんとうに欲しいものを食べたければ自分でこしらえるしかないのか。世の中は加速度的に便利になっているようで、実はどんどんめんどくさい手間が増えているのではあるまいか、と思いながら今日もあんこを練るのであった。



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