リトル・タジャン・プロジェクト
フィリピン3景 リトル・タジャン、ソラノ、マニラ


牧下圭貴



リトルタジャン 育苗場づくり

 3月、鈴木氏と一緒にフィリピン・ルソン島北部のリトル・タジャンに行って来ました。2年ぶりの訪問です。2年前、手作りしたペットボトル雨量計は今も少々くたびれながら活躍していました。とはいえ、ここ2カ月ほど雨がなく、干ばつが心配です。もう雨季になるので、雨を期待したいところ。
 昨年は、植林をしていますが、今年は、まず苗作りです。まずは自生していたザボンのような大きな柑橘を食べ、種を取ります。また、マホガニーやイピルイピル(豆科の木)など見つけたら、種を確保しています。
 育苗場の建築は、鈴木氏が書いているとおりですが、私も2日間、もっぱらカメラマンとして立ち会いました。
 借りた敷地の草を払う。
 斜面を重い木を2本も3本もかついで運ぶ。
 堅い土に穴を掘り、杭を打つ。
 豚や水牛が入り込まないように鉄条網を二重、三重に巻いては釘を打つ。
 人が通れるように木のドアを立てる。
 苗に強い日差しや強風が当たらないよう網のフードで囲いをつくる。
 囲いの中に平らな面を作っていく。
 雨が降ると流されるので、溝を掘る。
 山の乾いた土と買ってきた有機たい肥を混ぜる。
 プラスチックポットに土を入れる。種を入れる。
 そして、水をかける。
 山火事で、育苗場が燃えないよう、周囲に火入れをする。
 2日間、第一号試験育苗場の完成です。
 NGO・CORDEVのスタッフ、グレッグとジュリオス、それに、ジュリオスのお父さんはずっと参加し、あとは入れ替わり、立ち替わり人が参加します。
 育苗場は、リトル・タジャンに最初に入植してきた人の敷地を借りています。しかも、井戸のすぐそばです。育苗場は水の確保が大事。水やりも大変です。育苗場の第一条件です。
 2日目の夕方、土をプラスチックポッドに入れる作業をやっていると、カラバオ(水牛)に水を浴びさせようとやってきた少年が興味深そうに近づいてきて、じっと見ています。作業をしている大人達は知らんぷり。少年は、たまらず、鉄条網の内側に入り、やがて手伝いはじめました。
 当の大人達は、全員が男性ということもあって、女性の話や冗談に花が咲きます。時々、グレッグが翻訳してくれましたが、きっと、あたりさわりのないものだけだったのでしょう。
 日本でも、男性だけのとき、女性だけのとき、農作業や力作業をしていると、そういう話で盛り上がるものです。みんな疲れているようでしたが、笑いの力で最後まで楽しく作業を続けていました。

夜のひととき
 リトル・タジャンでの滞在は、ジュリオスの家でのホームスティです。
 以前にも紹介しましたが、ジュリオスのお父さんは、元鉱山労働者。入植後に、家族総出で半年以上かけてため池を手作業で掘り、それにより、カラバオの水遊び場、小さな田んぼ、ため池での魚の収穫、ため池周辺の木陰や果樹などを得て、自給することができるしくみを作っています。
 もちろん、換金作物として飼料用のトウモロコシも作っていますが、まず、主食である米を自給し、魚などタンパク質も自分で確保して最低限の生活を築き、その上で子どもの学費などのために換金作物を育てたり、牛を飼っています。
 この強い意志と現実の池や田んぼを見て、リトル・タジャンでのプロジェクトはスタートしました。
 ジュリオス自身も、そのお父さんの元で、農業カレッジまで進み、そこで伴侶を得て、リトル・タジャンに戻り、CORDEVのスタッフとして各地を回りながらも、ふるさとであるリトル・タジャンを何とかしようと頑張っています。

 陽が落ちてあたりが暗くなり、満天の星がまたたくころ、日本から持っていった日本酒を酌み交わしつつ、グレッグがジュリオスのお父さんの言葉を英訳してくれます。
「日本から友人が何度も訪ねてきてくれ、一緒に考え、働いてくれる。そして、長い夢だった木を植えて将来のために森をつくり、水の心配をなくすことが、少しずつ回りの理解を得て実現していく。このことに感謝したい」
 一度、完全に伐採され、表土が流れるような山でため池を作り、安易に換金作物に走らず自給に軸を据えて生活を作るジュリオスの一家。その暮らしの姿勢を学ぶことができて、私もとても感謝しています。



ソラノの市場
 今回は、帰路、時間を見つけてCORDEVの事務所があるソラノの市場を歩き回りました。ソラノは、北部ルソンの山岳部では一番の大きな市場だと言います。まさしく、巨大で迷路のような市場には、肉、魚、野菜、米、穀類、乾物、雑貨、衣料品、伝統薬などありとあらゆるものが揃っていました。もちろん、肉も魚も野菜も新鮮です。市場特有のにおいと活気に満ちています。人の姿も様々で、東南アジアの市場に必ずいる中国系の人、山岳の少数民族の人、ムスリムの衣装を着ている人など、雑多な人種、宗教、生活文化の人たちが、思い思いに買い物をしていました。特に大きな市が立つ日の午前中でしたから、市場の外の通りが延々とフリーマーケット状態になります。人と、トライシクル(自転車タクシー)、バイシクル(バイクタクシー)でぎっしりの路地の両側に、トマトだけを売る人、スイカを売る人、干し魚を売る人、野菜だけを売る人、手作りのお弁当やお菓子を売る人、鍋にぐつぐつと何かの生き物や根っこを煮て、その効能を叫んでいる人、ブリキの空き缶をリサイクルしてじょうろやちりとりを作り、売る人など、その勢いに圧倒されました。






マニラの商業施設
 これと対比する意味で圧倒されたのが、帰国前日に宿泊したマニラです。私は、10年ほど前から何度かフィリピンの農村部に行っていますが、当然、行き帰りにマニラに宿泊します。たいていは、中心の商業・金融エリアであるマカティ地区のホテルに泊まります。10年前は、少し大きなデパートがあるなあ、という程度で、停電がない日はめずらしいという状況でした。ところが、今回、マニラのスーパーマーケットを見学しようと出かけたところ、その周辺に広大な複合ショッピング施設ができていました。それはまさに東京のお台場など、ここ数年日本で登場している再開発複合商業施設そっくりです。ブランドショップ、ファストフードと高級レストラン、それに、映画館やゲームセンターなどの娯楽施設…。高層オフィスビルの谷間には人工の公園、テラスでコーヒーを飲む人たち。
 これもまた、今のフィリピンのひとつの姿です。









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