しずみんの まう・まかん
お題:めしを炊こう!


水底 沈



●火で炊く、ということ
わが家では、毎日ごはんを土鍋で炊いている。と言うと、友人などから「すごいねー」「難しそう!」「面倒でしょ?」と言われることが多い。
しかし、本当に親しい友人や家族なら、私がズボラ星からやって来たズボラ星人であることを知っているので、「あいつでも炊けるのか」と思うはずだ。
鍋を使って火で炊く、ということへの抵抗は、おそらくほとんどの家庭で電気炊飯器を使うことがあたりまえになってしまったところから来ているのだと思う。
米をといで内釜に入れ、目盛りまで水を入れて、スイッチを押す。すると、数十分後にごはんが炊けている。確かにラクだし、テクニックもいらない。
しかし、釜の中で何が起こっているのかは、わかりにくい。だから、それを火と水と鍋で再現しろと言われても、途方にくれるのだ。
わが家も5年ほど前まで、当然のように電気炊飯器を使っていた。タイマーもついてるし、おいしく炊けるし、「鍋で炊く」なんてひまなグルメの道楽だと思っていた。
「はじめちょろちょろなかパッパ、赤子泣いてもふたとるな」の呪文(に聞こえる…)にある通り、なんだかずっと様子を見ながら始終火加減を気にしてついていなくてはいけないようだし、そんな面倒はごめんだ。
ところが、ある日ゆゆしき事態がわが家を襲った。炊飯器の内ぶたにくっついている、小さなパッキンが消えたのだ。どうやら洗い物をしている時に誤って流してしまったらしい。
こんな小さなパッキンひとつないだけで、突然ごはんが炊けなくなった。なんだかぐじゅぐじゅして生煮えな、どうしようもないごはんになってしまったのだ。
炊けないものは仕方ない。わが家はふたりともめし食い人種である。同居人が、やにわに土鍋を取り出して、米を炊き始めた。耳をすませ、鼻で湯気の嗅ぎ、五感をすべて使っての格闘ののち、めしは炊けた。これがわが家の鍋炊飯の黎明である。
その後、「パッキンを取り寄せるまで、鍋炊飯でしのごう」などと言いつつ、なんだかんだと乗り切ってしまい、気が付いたらパッキンのない炊飯器は物置にしまわれていた。
どうして原始的な鍋炊飯に落ち着いてしまったかと言えば、そこはやはり、「うまいから」にほかならない。うまいのだ。鍋で炊いたごはんは、ほんとうにうまいのだ。
そうそう変わるもんじゃないだろう、と思うかも知れないが、これがアナタ、全然違うのですよ。
ふっくらつやり、ぷりりんと炊けた米粒は、甘くて香ばしい。冷やごはんになっても、そのツヤは消えない。なにしろ、最高にうまいのが「冷えた塩むすび」なのだ。
また、押し麦や雑穀を炊き込んだごはんも、大変おいしい。私は銀シャリ派だったのだが、鍋炊飯になってからむやみに雑穀類を混ぜるようになった。ことに、分搗きの押し麦など、今や米:麦が2:1の高割合である。
なんで、鍋で炊くとうまいのだろう。それは、ひとえに「火力」である。
火でごんごん沸かされると、米の芯まで十分に熱が入る。「ちゃんと炊ける」のだ。だかた、冷えてもおいしい。
以前お米農家の方に教わったのは、「豊作の年の米は、粒もでかい」ということである。大きな粒だから、中まで火が通りにくい。
電気炊飯器だと、せっかくのうまい米に、中まで火が入らない。豊作の年の米ほど、おいしくない、ということになってしまう。
押し麦などの雑穀類や玄米も、火の入りにくい粒である。これらも、鍋で炊くと雑穀感が変わるほどうまい。
また、「おこげ」という香ばしい副産物ができるのも鍋炊飯のたのしみである。おこげが行きすぎると「こげた!」になるのだが、そこんところをうまく調整できるようになると鍋炊飯もしめたものである。
直火の鍋炊飯にあって電気釜炊飯にないもの、それは「香ばしさ」に他ならない。
そして、まあこれはおまけなのだが、「わたしが炊いた!」という充足感がそこにはある。炊飯器にまかせて炊いて、うまく炊けなかったら炊飯器メーカーのせいにできるだろう。しかし、火にかけた鍋で炊いたごはんが焦げたり固かったり柔らかかったりしたら、それは他ならぬ自分のせいである。そのかわり、つやつやほどよい水分でふっくら炊けためしの表面にカニ穴なんて開いてごらんなさい。「どんなもんだ!ザマミロ!!」と叫びたくなるものだ。誰に向かってなのかは知らぬが。

●土鍋炊飯のすすめ
さて、「土鍋で炊飯」というと、思いつきがちなのが「釜飯の器」である。駅弁で有名な、あれだ。どこの家にも、なんとなく捨てられずにとってあるのではないだろうか。
結論から言うと、あれでめしを炊くのはちょいと難しい。初心者にはお勧めしない。それには、いくつか理由がある。
(1)小さい
まず、容量が小さい。あれは、がんばっても1合が限度だ。しかも、余裕がないのでふきこぼれやすい。容量が小さいから、中身の水はすぐに沸騰する。米に十分水分が吸収され、芯まで火が通る前に水分は蒸発してしまう。
また、炊きあがった後、鍋とめし自体の保熱力が小さいので、冷めやすい。炊飯にとって一番のキモと言える「蒸らし」が十分に行われない可能性がある。
土鍋の最大のメリットは「保熱力」だが、全体が小さければそれだけ保てる熱も、小さいのだ。
(2)素焼きである
あの容器は、素焼きの土鍋である。釉薬をかけて高温で焼き締めるきちんとした鍋用の陶器ではなく、低い温度で短時間で焼き上げる。その分、安く簡単にできるのだが、壊れやすい。
炊飯などの、水分と熱が何度も加わる調理をしていると、ある日耐えきれずに「ぱかり」と割れてしまうことがある。
(3)ふたが軽い
やはり素焼きの一枚板のふたが、あれにはのっている。ちょっと炊飯にはたよりない。
昔の羽釜のふたというのは、分厚い木の円盤に、これまた分厚い取っ手用の木がかませてある。ふた自体、そうとう重い。
あれにはちゃんと意味がある。ぐらぐらふつふつ煮え立ってきためしの粘りけのある湯気を、重みでぎゅうと押さえつけるのだ。
このせいで、釜の内部には軽く圧力がかかる。これも、米をふっくら炊きあげるのに一役買っているのだ。
つまり、逆を言えば
(1)ある程度大きさと重さがあり、
(2)きちんと釉薬をかけて焼き締めてあって、
(3)重いふたがついている
というような鍋であれば、炊飯に向いていると言えるのだ。
実際、最近炊飯用に売られている土鍋は大抵深くて丸っこい形に、重い内ぶたまでついている。(あそこまでしなくても炊けるが)
「ころんと丸い、羽釜の形」も、中で煮えた米がぐるぐる対流してまんべんなく炊けるのでよい形なのだが、何もわざわざ羽釜を探して来たり、めし炊き専用に売られている「ころん型土鍋」を購入せずとも、家にある鍋物用の土鍋で、十分めしは炊ける。
未体験の方は、ぜひ一度やってみるといい。あっけないほど、うまいめしが炊けるものだ。そのうちわが家のように、毎日土鍋が活躍するようになり、冬になって「これでは、鍋物をつつきながらめしが食えない!」と叫び、炊飯専用の鍋がほしくなったりする。
そうなったら、ひとつふんぱつして専用の土鍋をあつらえればいい。炊飯専用のもので、\5,000〜\18,000ぐらい。IH式の電気炊飯器よりも、ずいぶん安く済むはずである。

●普通の鍋でも炊ける
私が土鍋炊飯をすすめるのは、それがいちばん簡単だからであって、別にアルミの雪平鍋であろうが、ホウロウのシチュー鍋であろうが、フライパンだって、果てはジュースの空き缶だって、めしは炊ける。
要は「きっちり水と火を入れる」「そして十分保熱しながら蒸らす」というポイントを守ればいいだけだ。
土鍋炊飯に慣れると、そのポイントが体でわかってくる。
土鍋より冷めやすい薄い鍋だったり、少ない量なら、火にかけてやる時間を長くして、じっくり米を煮てやればいい。そのためには、少し水分を増やしてやろう。給水時間を長くするのもいい。沸騰するまでの時間をかせぐため、弱火で炊き始めてみよう。火を消したら、蒸らし時間に冷めないように、スチロールの箱に入れてみたり、毛布でくるんでみてはどうか…などなど。
米に火と水が入って十分蒸らされれば、それはめしなのだ。
「はじめちょろちょろ」のおまじないを思い出そう。
あれは、「弱火でちょろちょろ炊き始めて」「沸騰したらぐいっと火力を上げてごんごん炊き」「火を止めたらじっくり熱を逃さないように蒸らす」ということだ。
分厚い土鍋なら、強火や中火で炊き始めても全体が温まるのに時間がかかるため、自然と「ちょろちょろ」状態になる。沸けば、その火力でごんごん沸騰する。そして最後は、じっくり蒸らし。この時多少「ふたとって」も、熱が逃げにくいので安心なのは土鍋の強み。
手持ちの鍋のくせや弱点を見極めて、めしを炊こう。今日からだって炊ける。
めし炊きを征服すると、なんだかとても自信がつく。何かあっても(何が?)大丈夫だ、という気がするから不思議なものである。



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