白菜をたたいてみれば、文明開化の音がする!?

成田 国寛




「うまいな〜」
 この原稿を書きながら白菜たっぷり・ワカメ少々のみそ汁を朝飯代わりに食べているが、白菜の軸のところを食べるとじわーと甘みが口の中に広がり、いつ食べてもうまい野菜だとしみじみ感じる。さらに、鍋一杯、つまり白菜半割を食べるとそれだけで(一時的ではあるが)満腹になるのが、なんともうれしい。ダイコンのカテ飯もこんなんだったのかなと想像してしまうが、腹持ちが悪く力が入らないのが唯一の欠点である。

 最近よく買って食べる野菜は、ダイコン、キャベツ、白菜であるが、共通するのは次のような点である。
「みそ汁の具にしやすい」
「量が食えてお腹にたまる」
「比較的保存しやすい」
 特に冬場になると白菜の出番が多くなり、みそ汁や鍋物には必ずと言っていいほど入れている。また、今なら冷蔵庫がなくても1〜2週間は保存できるのもありがたい。
 国内生産量ではダイコンが不動の1位でキャベツが2位、白菜は4位となっているが、自分が食べている量の順番もほぼそれに近い。(ちなみに生産量の3位はタマネギであるが、私はそんなに食べていない。理由は腹が一杯になるほど量が食べられないからである)

 さて、その白菜を調べる機会があり、その来歴を知って驚いたのだが、日本で白菜の生産が始まってまだ100年ほどしかたっていないのである。
「ざん切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」と歌われた時には白菜はまだ庶民に食べられていなかった! 明治維新前後の鍋物の具には白菜がはいっていたと思いこんでいたのだが、それは大きな間違いであった。
 これは実に不思議なことである。
 白菜は、お隣の韓国や中国山東省あたりで昔から栽培されており、もっと前に伝来していてもよかったはずだからである。日本の従来からある漬け菜類と比べてもアクやクセもなくおいしい野菜であることは一口食べてみればすぐわかるもので、だれもが食べてみたいと思う野菜のはずである。
「みそ汁の具としてもこんなにうまいのに、なぜ栽培されなかったのだろう。昔の日本人の味覚は今と違ったのか。昔の白菜の味が違っていたのか。宗教的に食ってはいけないという御上からのお達しでもあったのか。それとも種の入手が非常に困難だったのか」
 そんな疑問がふつふつと沸いてきた。

 ものの本によると明治維新以後(明治8年)に初めて導入されたとあり、新政府の役人が中国から新しい野菜の種苗として持ってきた中の1つであったらしい。しかし、はじめの頃はいくら種をまいても結球する白菜は1つもできなかった。施肥や播種時期がよくわからなかったこともあるが、自家採種をすると数年のうちに白菜とは異なる形質の植物になってしまったのである。当時はその原因がよくわからず、多くの育種家が途中でさじを投げてしまった。
 一方、日清戦争の時に、清国におもむいた軍人が「山東菜(白菜)」を見つけ、味がすこぶる良いということで明治天皇に献上し、明治天皇もことのほか喜んで食べたとの記録も残っている。また、日清戦争で徴兵された農民にとっても清国の白菜の味と姿は忘れがたく、どうしても食べたい栽培したい野菜となったらしい。

 そんな中で、白菜の栽培に情熱をかけた男たちが愛知県や茨城県に相次いで現れ、清国より種を取り寄せながら、最後まであきらめず施肥条件と播種時期を変えながら試験を繰り返し、苦労の末ついに日本でも結球する白菜を栽培することに成功したのである。これにより白菜の栽培面積は徐々に増えていった。
 ところが、栽培は成功したものの種取りだけはどうしてもうまくいかなかったようで、当初は清国より種を継続して輸入せざるをえなかった。品質の良い種が安定して国内でもとれるようになったのは実に大正時代に入ってからのことである。
 きっかけは、他のアブラナ科植物の花粉が白菜に受粉しない条件下で育てれば良いと気づいたことであった。数年で形質が変わってしまうのも、在来のアブラナ科植物の花粉をつけた昆虫が白菜の花について、交配が進んでしまった結果だとわかったからである。
 ある人は松島湾の無人島を借り切って、他のアブラナ科の花粉が入らないようできる限りアブラナ科植物を根絶やしにし、野鳥の襲撃から大切な白菜を守りつつ、やっとのことで品質の高い白菜の種をとることに成功している。

 同時期の愛知県でも、側面を網で囲い上面をガラス張りにした圃場で、受粉を仲介する昆虫が出入りできないようにして、はじめて安定した種子がとれるようになっていた。

 種子が安定して採種できるようになってからは品種改良も順調にすすみ、各地で白菜が生産され、漬け物だけでなく煮物や炒め物にも広く使われるようになり今に至っている。先人たちの努力のおかげで白菜をおいしくいただけるようになり誠にありがたいことである。

 ところで、もしダイコンと同じ時期に白菜が日本に伝来したならば、と空想をめぐらすとおもしろい。桜島ダイコンのように30kgもあるようなジャンボ白菜や、トーテムポールのような白菜などが日本各地で地方品種(固定種)として選抜されたかもしれないからである。しかし、残念なことに現在は交配品種(F1)の時代であり、そのような地方品種が生まれる可能性はなくなってしまっている。残念なことである。
 この地方品種(在来品種・固定種)については、またの機会に述べたいと思う。



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