倉渕村就農スケッチ 予告編…不安と所有、身につけること
和田裕之、岡佳子


「就農にあたって大変な決意が必要だったでしょう」と聞かれることがある。
からだひとつ、あとは家族がいれば、食べるものは畑にあるから飢えることはない。なんとかなる。…これを重大な決意と思う人もいれば、気楽な決断と云うこともできる。確かに、それなりの覚悟と準備はあった。いまでも自分なりの覚悟はしているつもりだが。

先日、農業をしている仲間から「不安で眠れない夜がある。」と聞いた。さて私の場合、そのような不安があっただろうか。毎年春になると「今年の野菜の出来はどうだろう」と少々心配になることはある。しかし、それは「不安」というほど重たいものではない。

学生の頃、「所有することをやめると楽になる。」という話を聞いて、捨てられないものをたくさん抱えていた当時の私には、それは非常に難しいことのように思われた。しかし今、この「不安」について考えた際、失うものなど何も持っていない自分に気がついた。「所有しない」とは物質(モノ)に固執・執着しないことなのだ。

家族とは「共に生きる者」で、現象的には離れたり別れたりもあり得るが、自分の心の内側では、常に「共に生きて」いる。友人や同士にしても、人と人との絆とは、本来そういった性質のものではないだろうか。一方、お金・財産・地位・名誉、履歴・学歴・資格・免許のようなものに固執してしまうと、身動きがとれなくなる。それを失わないために振る舞わなければいけなくなるからだ。逆に云うと、「所有する」ことを止めたとき、人は自由になり、いつでも飛べる。翼を持つ生き方とは、そういう在り方なのだろう。
所有するのではなく、身につけること。それは、技、芸、知恵、教養、経験などと呼ばれるもので、失ったり誰かに奪われたりすることがない。いや、奪われれば奪われる程、与えれば与えるほどその豊かさが深まり広がるような性質のものだ。

就農してまだ3年目だが、農業は生命を育む仕事だとつくづく感じる。自分が手をかけたお米や野菜を食べ、ひたいに汗して日々の糧を得る。冬には、竹細工・いちこ編みなどの手しごとや太極拳を仲間同士で教え合う。妻は手作りの石窯で天然酵母のパンを焼く。…この豊かさを感謝せずにはいられない。
大地に根をはり、翼を失わず、心のある道を静かに歩む。「農」に携わりながら、そんな生き方をしていきたい。心のある道を行く仲間が増えることを願いつつ。

影響を受けた文献
真木悠介著『気流の鳴る音』(筑摩書房1977年)

※今回は、観念的・抽象的な文章(和田)になりましたが、次回よりは風景描写や詩歌などの入った情緒的・叙情的?なもの(岡)になると思います。

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