2003年1月12日〜18日


1月12日(日)

水底起き出す。朝、ご飯を食べ、昼はDewa Warunにてナシソトアヤムとする。ソトアヤム、つまりチキンスープにご飯である。Dewa Warunは、場所を移していたが内装はそのまま持ってきたようでまったく同じかと錯覚するぐらいぼろぼろ。しかし味はおいしく、安い。夜は、Noodlesにて麺を食べ、影絵のワヤンクリッを見、パダン料理屋でブンクスして帰り、食べる。

食:8時、ナシチャンプルー、フルーツサラダ。
食:12時、ナシソトアヤム、エステ(Dewa Warun)
食:18時、麺、エステ(Noodles)
食:22時、春巻、鶏、揚げ物などのパダン料理ご飯ブンクス

ピーナッツなどのふりかけがいかす朝 ソトアヤム
麺でっせ 夜食にブンクス


1月13日(月)

朝、ナシチャンプルーを食べる。昼は、みんなでWarun Catuにてご飯を食べる。私は今回もナシチャンプルー。夜は、水底とふたりでパダン屋に行き、そこで食べる。テンペと鶏のカレー煮。美味。

食:8時、ナシチャンプルー、フルーツサラダ。
食:12時、ナシチャンプルー、スイカジュース(Warun Catu)
食:19時、パダンご飯、エステ


1月14日(火)

数日前から、ステイ先の家では15日に向かって家の寺の祭りの準備に忙しい。集落の寺のお祭りもあるのでいつもよりも倍忙しいようである。本日は早朝より男達が料理をする。そこで起き出して、鶏をもも肉から包丁でたたいてミンチにしたり、茹でた豚の顔を刻んだり、野菜を刻んだり、鶏をしめて血を抜いて伝統的な血を混ぜたサラダのラワールメラをつくったり、トゥムと呼ばれる肉と野菜の蒸しもののようなものをつくったりするのを見物する。朝の5時からずっと料理をしていた。そして、朝は遅めで、このラワールを食べさせてもらう。昼は、トゥムや鶏の煮たのをいただく。夜は、水底とナシチャンプルーを食べに行く。先日水底母と行ったところ。本日のは実に辛かったがやはりテンペがおいしかった。水底も気に入る。

食:9時、ナシチャンプルー、フルーツサラダ
食:14時、ナシチャンプルー、フルーツサラダ
食:20時、ナシチャンプルー、エステ(無名)

朝のウリ。ヘルシー 昼はごーか。
夜は辛い 鶏をつぶしたお裾分けのラワール
おそなえ制作中 これもおそなえ
昼はナンカも美味 水底のドリアン
夜はテンペが美味だった かえるの卵。パッションフルーツ


1月15日(水)

朝、ナシチャンプルーを食べ、その後歩いてから今回行きそびれていたKUBUKUカフェに行きスイカジュースとバナナパンケーキを食べる。そして、Warun Nyomanで鶏と海老のナシチャンプルーを食べながらビデオのインドネシア語版ドラえもんを見る。部屋に戻ると、なんと最終日ということでさらにご飯を出されて、うんうんいいながら食べる。水底は、Warun Nyomanのナシチャンプルーを回避したが、おばあちゃんのおかゆ屋でおかゆ2種類を買ってしまったので、これもまた大変であった。夜、空港に入る。行き便は直行であったが、帰り便はジャカルタ経由。そのため2回機内食がきちんと出た。ジャカルタで日航の成田行きがキャンセルされたとかで日本人ビジネスマンが大挙して乗り込んできた。少し遅れる。

今回のバリ島の旅行で印象に残ったのは、アメリカンクラッカーがはやっていたこと。2カ月前からはやったらしい。そして、観光客が極端に少なかったこと。2001年の911に続き、昨年10月のテロが響いているようである。何人ものバリ人にテロについて聞かれる。ウブッの道がきれいになっていたこと。宿の子どもたちが大きくなっていたこと。
インドネシア語版ハリー・ポッター1〜4巻を入手したこと。
円ルピアは1円=74ルピアぐらいだった。
ご飯はあいかわらずおいしい。
物価は日常品が上がっている。外国人向けのものはあまり上がっていないが、ウブッで行われる踊りのほとんどが50000ルピアになっていた。2年前が値上がりして25000で5年前は8000ぐらいだったのでなかなかの値上がりである。同様に空港税が100000ルピアになっていた。前回は50000ルピア。その前が25000ルピア。
インフレもまたすごい。
バリ人はお祭りがあるのでお金がかかる。特にお金が入る人は、それだけいろいろしなければならなくなる。
インターネットの環境はあいかわらずで、56kの電話回線。ただ、パソコンがよくなっている店も多い。日本語も見るだけでなく入力可能になっている。これなら、フリーメールなどのWEBメールでいいかもしれない。
あいかわらず、人々は何もかもを川に流す。プラスチックごみがすごい。
あいかわらず、川で洗えばきれいになるという意識もまた高い。
バリ人のみならずインドネシア人全般がそうだと思うのだが、子どもは生まれたときから親、親類のみならず、近所の人、知らない人など多くの人に取り囲まれ、コミュニケーションを受けて育つ。現代日本では、ともすると、母親とだけで幼少期を過ごしかねない。この違いが精神的成長の違いを生むのではないだろうかと感じる。
そして、バリ島の神々は今もまた深い力を持っている。
水底は、2年分の日本の毒を出したところで帰るはめになった。
私は、暖かいところだったので腰の調子がよかった。そして、よく眠り、よく食べた。約1kgほど増えた。

食:8時、ナシチャンプルー、野菜サラダ。
食:12時、バナナパンケーキ、スイカジュース(KUBUKU)
食:13時、ナシチャンプルー、エステ(Warun Nyoman)
食:15時、ナシチャンプルー(宿で)
食:23時、機内食


1月16日(木)

晴れ。朝9時半成田着。零下1度。しかし、行きはもっと寒く、風も冷たかったので、暖かく感じる。が、やはり、寒い。早朝機内食を食べる。帰路、東関東自動車道の最後でかき揚げそばを食べる。帰宅後、水底妹がこしらえておいた煮物を食べ、夜は、水底がインドネシア風カレーをこしらえ、それを食べる。H氏が北海道の羊肉を持ってきてくれたので、それを焼いて食べる。早々に寝る。

宅配:白菜、えのき、蓮根、さつま芋、ふきのとう、小松菜、わけぎ、セロリ、りんご、ゆず、さつま揚げ、豆腐、納豆、油揚げ、厚揚げ、塩鯖、豚バラ肉


食:6時、機内食。
食:12時、かき揚げそば。
食:14時、芋の煮物、果物など。
食:19時、ご飯、カレー、羊肉焼き、ポークビーンズなど。


1月17日(金)

晴れ。夜、満月が隣家の竹林に映える。プールに行く。朝起きたらパソコンがクラッシュしている。幸いバックアップのあるサーバなので、修復する。しかし4時間以上作業にとられてしまう。考えものである。その後仕事。水底は、新宿で京王百貨店の駅弁フェアに行く。私は、朝、昨日の残りを食べる。昼、餅を焼く。夕方、水底が買ってきたいなり寿司とめはり寿司を食べる。夜、ご飯を精米して炊き、味噌汁をこしらえ、納豆でご飯を食べる。味噌汁は、煮干し、人参、大根、蓮根、里芋、さつま芋、白菜、葱、小松菜、油揚げを入れる。美味。

購入:牛乳、葱、納豆、マヨネーズ、カレールー、冷凍うどん、生そば、焼きそば麺、竹輪。


食:9時、ご飯、カレー、ポークビーンズ。
食:12時、餅。
食:16時、いなり寿司、めはり寿司。
食:21時、ご飯、味噌汁、納豆、ふりかけ。


1月18日(土)

曇り。日経新聞のコラムで、千葉の大学教授がセンター試験について書いていた。毎年昼食用のごみ袋を用意するが年々出るごみが減っている。弁当を食べている姿も少ない。共通一次試験が始まったころは、皆、寒い中でもご飯を食べていた。めっきり受験生の食が細くなっているようである。そして、午後には疲れて寝る受験生も多い。聞くところによると、小中学校でも食の太い子どもほど成績はよいという。食の細さに将来を懸念する。というようなコラムであった。しかり。インドネシアやフィリピンに行き、その食の「がさ」にはいつも感銘を受ける。もちろん、ご飯主体でおかずが少なく、栄養的には問題があるのかも知れないが、ご飯をもりもりと食べている。かつて日本でもそうであった。底力とは、そういう食べるところからも来るのではなかろうか。
昨日の夜体重計にのったら前日より1kg減っていた。その1kgは、バリ島の最終日に食べた大量のご飯と飛行機に乗っている間に摂取した水分量によるものであったか。乾燥した日本でお茶をいくら飲んでも、そのくらいの水分量は減るらしい。
しかし、昼、ご飯と味噌汁に、水底が機内食では満足できなかったそばを茹でて食べ、さらに夜になって鍋をしたせいか、プールに行ったにもかかわらず、体重は元に戻ってしまった。
鍋は、豚バラ肉、干し椎茸、えのき、蓮根、人参、白菜、葱、竹輪、さつま揚げ、豆腐、餅入りきんちゃく、里芋、うどんの水炊き。

食:12時、ご飯、味噌汁、納豆、そば、ふりかけ。
食:21時、ご飯、餅、鍋、ビール。

最後の朝ご飯。毎日おいしかった バナナパンケーキとスイカジュース
水底のおかゆ、その1 水底のおかゆ、その2
最後の最後に、宿のごはん 機内食に変わる
機内食、朝ご飯 機内食、朝ご飯もうひとつ
帰ってすぐも、ナシチャンプルー風 さあ、日常再開

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