2001年6月15日〜21日
油揚げに幸あれ。これほどうまい寿司はない 油揚げに幸あれ。これほどうまいうどんはない

6月15日(金)
晴れ。リトルタジャンからソラノ、ソラノからマニラ。結局雨は1日も降らなかった。朝、5時に起きてT氏の調査に同行する。グレッグも一緒。中心エリアから一番遠い井戸までの高度と距離を確認。この井戸は、干ばつ時に最後まで枯れなかった水源である。しかし、周辺はすべてトウモロコシ畑。水は畑の地下を経て井戸に集まる。深さはわずかに4メートル。井戸のまわりには農薬の缶や箱が落ちている。2-4-Dの影響が大いに心配される。ふだんはあまり使われていないという。
途中、T氏とグレッグがもう少し先まで調べるというので、私はそのまま井戸の近くの道路で彼らを待つことにする。20分ほど歩いたのでおなかが動きはじめた。あたりに人はいない。それほど人は通らない。おもむろに道から少し下がった草むらにしゃがみこむ。野に糞を放つのは実に気持ちがよい。最後に同じことをしたのはいつのことだろうか。それほど昔ではないが、思い出せない。 戻って、いつものインスタントコーヒーを飲み、朝食を食べる。昨日、池でジュリアス父が網を打って揚げた小さなテラピアは、その場で腹を割かれて塩漬けにされていた。今朝は、それの唐揚げである。テラピアは、トゲトゲの多い顔のこわい魚である。針のようなトゲに気をつけながら、頭からがりがりと食べる。小アジの唐揚げがもっとトゲトゲしているようなもの。さらに、遠くから買ってきたミルクフィッシュを醤油で煮付けたもの。ここの醤油味煮付け料理の基本は水気がなくなるまでちゃんと煮付けることである。1日、あるいは、明日の朝まで食べることがあるので、保存性を高めるためであろう。さらに、調理用の小さなトマトをサラダがわりに。生食用の大きなトマトもあるが、これはとても高価だという。とりわけ大きなものは、マクドナルドなどの外資系ファストフードチェーンに買われていく。このほか、昨日の牛肉とジャガイモ煮もでる。ごちそうである。毎日、非常なごちそうを出してもらっている。もちろんお金は払うのだが、調理時間や使う水の量、手間を考えると申し訳ない。ミルクフィッシュも甘めの醤油で煮付けると、ちょうど煮ウナギのように皮と脂と白身のバランスがひきたつ。ごはんに合うおかずであろう。
ジュリアス家、フリオ家とも、調理は薪の火が基本であった。ネグロスの土地なし農民に比べれば、使う薪の量や火力は大きい。しかし、油が高いのと水が少ないせいか、炒めるという料理法はあまりなかった。せいぜい、今日の唐揚げぐらいである。そのかわり、煮物料理は実にすばらしいバランスだった。これが、リトルタジャンでの最後の食事となる。
食後、ジュリアスと別れの挨拶をして、昨日の大型輸送車風ミニバスに乗り込み、リトルタジャンを離れる。時刻はまだ7時半だが、もう外は30度を超えている。行きと違って車が大きいので車のスピードは速い。山を下りるとそこは水田地帯である。1本植えをしていたり、直播きをしている。もう直播きしてから1カ月は経っている田圃もある。ここらになると川があり、水があるのだが、それでも雨期をあてにして稲を植えていることには違いない。今年は雨が少ないので、心配である。アウロラには、ATCの緑バンが待っていた。事務局長のテッドとCODEVのスタッフがやってきていて、ATCの運転手ではない。あとは黙々とソラノののCODEV事務所をめざす。11時頃に到着。ATCの社長のダンやロイと再会。ロイは覚えていてくれた。
本来なら、深夜バスでマニラに向かう予定であったが、ダンとロイが途中、中央ルソン大学によってからその日のうちにマニラに戻るため、彼らの車に乗せてもらえることになる。運転手はマリオ。この1週間で2往復しているらしく、少々疲れている。
S氏は別のプロジェクトのために、そのまま今日はCODEVに残留。ここで別れる。
昼は、CODEVの事務所で手作り。カレカレという牛肉テールスープが登場。牛テール、インゲン、タケノコ、バナナの花、ナスなどが、ショウガ入りピーナッツソースで煮られたもの。スープはたっぷりめ。実においしい。作り方を聞いたら、日本人はいつもこのレシピを聞くと言って笑われた。これに、テラピアを焼いたもの、小さなスルメイカを串焼きにしたもの、さらに、フィリピン風ワンタンスープが出る。肉入りワンタンを塩、こしょうと酢のスープで煮て、最後に青葱を散らしてある。これまた実に美味。降参。まいりました。
時間がないので急いで食事をして、マリオの運転する緑バンにて出発。爆睡。中央ルソン大学は広大でいかにもユニバーシティという感じ。そのなかにCollege of Arts and Sciences というのがあった。私が出た広島大学総合科学部は、Integrated Arts and Sciences なので少しうれしい。彼らの会合が終わるのを待ち、出発。マニラが近くなるにしたがって車の量が増えてくる。マニラ郊外にある唯一のハイウエイに乗る。渋滞。もっと渋滞がひどくなる場所に近づくというので、高速道路沿いのピザハットで夕食をとるはめになる。マンゴージュースはおいしかった。ピザについては言うことがない。トッピングの野菜は、おそらく日本のものより味が濃かっただろう。あとは、これで1食つぶれたことが残念だったというほかない。
長い長い渋滞を経て、チャーターハウスホテルへ。ここは、かつて数回泊まったことがある。ところが、表から中まできれいに改装してあり、とても立派に見えるホテルになっていた。部屋の作りはそのままだから、内装を変えただけだが、チェックインもコンピュータだし、ドアもカードシステムになっている。時は流れる。
バーエリアでフィリピンのレモンというか、山みかんであるカラマンシーのジュースを飲む。酸っぱくておいしい。朝の7時半から夜の11時まで食事時間をのぞくと車に乗り続けてきた。さすがに疲れる。それにしても、重ね重ね残念なのはピザハットである。あれがなければ、ここで食事がとれたのに。

食:7時、ご飯、小テラピア揚げ、ミルクフィッシュ醤油煮、トマトスライス、牛肉とジャガ芋のスープ煮。
食:12時、ご飯、カレカレ(牛テールと野菜のピーナッツソース煮)、イカ焼き、テラピア焼き、フィリピン風ワンタン。
食:20時、ピザハットのピザ、マンゴージュースほか。


6月16日(土)
晴れ。マニラから東京へ。朝、チャーターハウスホテルにて中国粥の朝食を食べる。白粥に卵が落としてある。スルメを細かくでんぶのように裂いたものと、キュウリの漬物がついてきて、白粥の味付けはこのふたつ。外にでると専門店があるのだが、めんどうなのでホテルで食べる。卵の黄身が黄色い。月日の経過はこんなところにも現れる。鶏の飼育時にカロチン分を与え、黄身を黄色くしているのだ。以前は黄身も白身も白かった。養鶏といっても伝統的な庭先放し飼いと大差なかったのであるが、今は、日本の高度な集約型養鶏と大差なくなってきたようだ。当然、味は落ちている。残念。しかし、スルメだしはいい。私の九州の田舎では、正月の雑煮にスルメだしを使う。中国大陸とのつながりを感じる。
早めにチェックアウトして空港へ。15分ぐらいの距離であるが、1時間以上かかることが多いからだ。ところが、渋滞もなく、スムーズに到着してしまった。航空券のチェックインまで時間が余る。そこで、この日記で1週間をまとめている。
出国カウンターを抜けて、免税店などで買い物。ドライマンゴーなど、とにかく今回はおみやげを買いそびれているので高くても買う。それから、レストランで昼食。チャプスイを食べる。鶏、海老、カボチャ、玉葱、人参、キュウリ、インゲン、練り製品などまさしく八宝菜。チャプスイもチャプチャイもチャンプルーもチャンポンもみんな同じ語源である。野菜はおいしい。
JAL便に乗り込み、機内食を食べ、本を読み、成田に到着し、新宿までのバスに乗り、電車に乗り、タクシーに乗り、帰宅。
水底が大量のいなり寿司を準備してくれていた。大根と油揚げの味噌汁、キンキの塩焼き、大根おろし、沢庵、梅干し、不在中につくったアドボの煮汁で煮たじゃが芋、大根、人参。トマトなどのサラダ。食べて、しゃべって、寝る。長い1日、長い1週間だった。

食:8時、中国粥、コーヒー。
食:12時、ご飯、チャプスイ、カラマンシージュース。
食:16時、機内食
食:23時、ご飯、いなり寿司、味噌汁、野菜の煮物、キンキの塩焼き、トマトサラダ、ワカメ、もずく、大根おろし、沢庵、梅干し。


6月17日(日)
曇りのち晴れ。水底妹が1週間泊まっていたので、水底とともに車で家まで送ることに。昼ご飯は、昨日のキンキの塩焼きをほぐして葱と卵で焼きめしをつくる。車で買い物をして家に戻り、一仕事して、うどんをつくり、食べて仕事して寝る。うどんは、キンカとイワシの煮干しでだしをとり水底かえしを入れたものを汁にする。葱をたっぷり入れる。明日は冷凍してあるカレーを食べよう。

購入:ミカンジュース、ヨーグルト、冷やし中華、もずく。

食:13時、焼きめし、鮭のお茶漬け、いなり寿司、野菜の煮物。
食:21時、きつねうどん、野菜の煮物、板わさ、バナナ。


6月18日(月)
晴れ。昼飯は、カレー。フィリピンに出かける前につくったカレーを水底が冷凍しておいたのだ。大麦とグリーンピース入りご飯を炊き、カレーを温める。カレーはおいしい。いついかなるときでも。午後は、車で外出。ねもはもの印刷が上がるので印刷所に取りに行く。そのまま新橋の事務所へ。メールがウイルスに汚染されているようだということで騒いでいる。ウイルス駆除ソフトを購入し、インターネットでウイルスファイルを更新した上でチェック。メールソフトがマイクロソフト社ご謹製ではないため、感染はしていない様子。やはり、マイクロソフト社ソフトを使わないように設定しておいて正解であった。しかし、今後のこともあるので、全パソコンにウイルス駆除ソフトを導入することで合意する。今度、パッケージを購入し、導入する。すでに、先日私がシステムを決めたパソコン2台が到着しているのでそれの設定を21日に行うこととした。
夕方水底が合流し、みんなで居酒屋へ。スタッフの一人が家族ぐるみでスイスのジュネーブに3年間暮らすため、その壮行会である。母子で参加。父親は家で荷物整理をしているという。ジュネーブでの食事と子育てについてメールで原稿をもらいたいとお願いする。楽しみ。
居酒屋の料理は、魚料理をうたっているわりに、刺身が水っぽくていけない。もちろん、私は酒を飲まないし、車でもあるのでウーロン茶も控え気味。ずっと水底とおかずばかりを食べていた。
帰宅後、満ち足りない気持ちだったが、一仕事して寝る。

食:12時、豆ご飯のカレーライス。
食:19時、居酒屋で刺身、鉄板焼きなど。


6月19日(火)
晴れのち曇り一時雨。九州などでは大雨とか。梅雨である。朝から宅配や電話やFAXやメール。仕事だ、仕事だ楽しいな。いや、もちろんフィリピンも仕事だったのだが。まだ頭が戻っていない。数日経ってから鮮烈な印象になるような気がする。まだ、早い。
インターネットの接続環境がまもなくADSL化すると思ったら、YAHOOが8メガで低価格のDSLサービスをはじめるという。通信の世界で低価格化はものすごい勢いだ。まいった。しかし、しばらくは1.5メガのADSLで過ごそう。それから考えることにする。
昼は、九州棒ラーメン、キクラゲ、葱、海苔、ごま入り。それに昨日の残り。夜は、気合いを入れる。水底の希望で、干し椎茸の煮物。それだけだと何なので、人参と大根も入れる。味付けは醤油と日本酒。干し椎茸の戻し汁で味噌汁。大根、小松菜、アオサ。水底が下処理して冷凍保存していたアジフライを揚げる。タマネギ、トマト、卵をオリーブオイルで炒めて塩胡椒で味付けする。納豆、もずく、残っていたカレー。ご飯は、昨日同様グリーンピースと大麦のご飯。豪華絢爛。肉はアジだけだけど。

食:13時、ご飯、ラーメン、カレー。
食:21時半、豆大麦ご飯、アジフライ、卵タマネギトマト炒め、椎茸と野菜の煮物、納豆、もずく、味噌汁、カレー。


6月20日(水)
曇り、夜に雨。午前中、少しだけ仕事をすませ、昨日と同じようにタマネギとトマトを、今度はニンニクも加えて炒め、卵を落とした具をつくる。これに国産スパゲッティを茹でて混ぜると、洋風焼きうどんとでも言えるものができる。午後からは、千葉市まで足を運ぶ。多摩からは、とても遠い。環境運動を続けている私よりも年下の女性が次の参議院議員選挙で千葉県選挙区より立候補することになった。応援がてら、勉強会の講師に呼ばれる。農業や食料についての動向、農政について。今、そんなことをしているときではないのだが、当選するには歩き回り、話し続けるしかない。大変だ。がんばって欲しい。
夜遅く帰還。水底がご飯をつくっておいてくれる。とは言っても野菜などがあまりない。水さらしの玉葱とワカメのサラダ、サンマの缶詰、お麩と小松菜の味噌汁、マカロニとアボガドのサラダ、昨日の煮物の残り。それに、冷凍してあったキーマカレー。ごちそうじゃないか。家はいい。

食:12時、洋風焼きうどん風スパゲッティ。
食:24時、ご飯、味噌汁、サラダ、煮物、サンマ缶、マカロニサラダ、カレー。


6月21日(木)
雨。朝早くから外出。新橋の事務所へ。終日パソコンのネットワーク設定を続ける。2台新たにウィンドウズ2000の高性能マシンを組み入れ、そのうち1台をファイルサーバにする。それにあわせ、各パソコンのセキュリティを強め、また、ネットワーク環境を変える。プリンタにサーバを導入する。そんな作業をずっとずっとずーっと、続ける。朝の9時から夜の10時半まで続ける。帰宅は深夜。ぐったり。水底のご飯を夜中に食べて寝る。ご飯、サバの缶詰、納豆に、トマトとキャベツが鶏を煮たスープで煮込まれている。小松菜のごま和えがある。キュウリの酢の物がある。ビバ、おかず。ビバ、ご飯。味噌汁は、油揚げが大切りにしてあって、とてもおいしかった。ビバ、味噌汁。家はいい。

宅配:キャベツ、レタス、しそ、アスパラ、キュウリ、トマト、トウモロコシ、小松菜、スモモ、メロン、豆腐、油揚げ、納豆、鶏もも肉

食:9時、パン(買い食い、私のみ)
食:12時、立ち食いそば
食:19時、立ち食いそば
食:24時、ご飯、味噌汁、トマトとキャベツのスープ煮、小松菜のごま和え、キュウリの酢の物、サバの缶詰、納豆、カレー。



ナスです。きれいにむけてます。 もうなんだかわからないスパゲッティ

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