2000年1月1週

7日のクリームシチュー

1月1日(土)
晴れのちやや曇り、午後北風が吹くもおおむね暖かな新年を迎える。水底は明け方までテレビのインド映画を見ていたらしい。私は午前4時就寝、昼前に起床。年賀状を取りだして一読。その後、ようやく年賀状の仕上げに取りかかる。水底起きて今年最初の食事。干しエビと鶏肉、昆布でだしをとり、薄口醤油とみりんでしあげたつゆに豆モヤシと小松菜、餅を入れて雑煮をこしらえる。ちらし寿司、おせち、昨日の残りそばを食べる。その後、年賀状を出しに郵便局へ行き、戻ってから初仕事。水底は睡眠不足のため昼寝。仕事の間も時々ミカンや柿の種などをかじる。一段落してみれば午後11時。ずいぶんと長い1日のような気がする。2000年問題も騒がれていたようだが小さな出来事がいくつかあっただけでおよそ平穏に全世界が西暦2000年を迎えた。今年も一年大病なく平穏に暮らし、生きていくに十分なほどほどのお金が入り、楽しく仕事ができることを願うばかりである。
23時を過ぎても起きそうにない水底を起こして夕飯にする。干し椎茸、鶏肉、干しエビだしをとり、豆モヤシと小松菜それに豆腐を入れて醤油味の吸い物をこしらえる。あとは同じ。ビールを飲む。

食:12時、お雑煮、ちらし寿司、おせち、そば。
食:24時、吸い物、ちらし寿司、おせち、ビール(私のみ)


1月2日(日)
晴れのち曇り夜一時小雨。本日の水底は、毎年恒例12時間連続テレビ時代劇の日。清水次郎長とおつきあいをしている。裏番組などは録画となる。私は味噌汁をこしらえる。ジャコでだしをとり、小松菜、豆腐、豆モヤシ、葱。おせちで食事をすませる。ちらし寿司おわり。だらだらと仕事をする。時々、次郎長を見る。夜は、焼きそばと味噌汁をつくり、餅を焼く。焼きそばは、豚肉、ニンニク、人参、豆モヤシ、キャベツを使い、最後に目玉焼きをのせた。味噌汁は、油揚げ、人参、小松菜、ダイコン、里芋、葱を使い、翌日の分まで。ビールを飲む。今年は2日間続けてビールを飲んでいる。明日は友人との新年会なので、現在までのところで今年は1日も欠かさずに飲んでいることになる。すわ、酒飲み復活かとも思うが、それほど飲もうという気にはならないのでお正月気分の間だけであろう。12時間ドラマが終わったのは午前0時であり、その後、風呂に入ったり、ミカンを食べたりしているといつものように午前3時を回る。就寝。

食:13時、味噌汁、ちらし寿司、おせち。
食:20時、味噌汁、焼きそば、おもち、おせち。


1月3日(月)
晴れ。都心よりも多摩の方が寒い。あたりまえだが、都心に出るたびに思う。今年は例年になく暖かく、その多摩であってもそれほど寒くはない。大田区の友人宅で新年会。水底と、水底実家から送っていただいたトンボマグロを持って出向く。たにお、N田と4人でスモークサーモンやマグロ、鯛頭でだしをとった鍋をつつきながらビールを飲む。水底はもちろんごはん。最後に雑炊にしておわり。広島で大学生となり、知り合ったのは1983年のこと、もはや17年前である。ちょっとした思い出話や同窓生の話をしてもすぐに10年前、15年前となってしまう。大学時代に使っていた鍋は、私が卒業の頃に壊れた。その後、広島に残ったメンバーで鍋を買い、その後、N田からたにおに渡って現在も使われている。11号の鍋は探してももはやなかなかみつからない。底はひびだらけで今にも壊れそうである。かつてはこの鍋を3人で2回転、3回転させたものだが、今は1度でも十分に余る。N2をはじめ多くの同級生は今年が年男である。私も来年が年男である。2001年ヘビ男。帰宅後、小腹が空いたのでラーメンを食べる。水底はラーメンとプリン。ラーメンには、小松菜、ワカメ、キャベツ、葱、味噌豚を入れる。

購入:水、プリン、缶コーヒー。

食:11時、餅、味噌汁(私のみ)
食:12時、味噌汁(水底のみ)
食:16時、刺身、スモークサーモン、ホタテサラダ、鍋、ビール、雑炊(N1宅にて)
食:23時、インスタントラーメン。


1月4日(火)
晴れ。起きて洗濯をしながらご飯を炊く。ご飯には雑穀を入れる。白菜と豆腐、小松菜、葱を煮て、そこに韓国インスタントハマグリスープで味をつける。コショウを入れる。豆腐を平たく焼き、めんつゆに漬ける。水底起きる、朝食。新宿へ出る。駅ビルにて今年の初打ち合わせ。1月16日に清里で環境教育講座を持つのである。昨年と同じ内容なので時間は短く済んだが、打ち合わせ相手は元同僚でもあるので話がはずむ。その後、同じフロアの本屋に立ち寄る。水底は打ち合わせ最初だけ同席。その後どこかで何かを買っていた。コロッケを買っていることが匂いで判明する。駅ビルから一歩も出ないままに帰宅。コロッケを食べる。市販のコロッケはいろいろ味がついているが、やはりソースをかけてしまう。コロッケとはソースやケチャップ、醤油など上にかけるものが食べたくて作ったり買ったりするものなのではなかろうか。仕事をしてから、鍋を用意する。鶏の手羽先、人参、大根、白菜、小松菜、豆腐、里芋。本を読む。明け方就寝。

購入:豆腐、ふりかけ、牛乳、豆モヤシ、バナナ、かまぼこ、コロッケ。

食:12時、ご飯、野菜おつゆ、豆腐の焼いたの、黒豆、アーモンド田作り、酢ゴボウ、なます。
食:18時、コロッケ
食:22時、鍋、ご飯、なます、黒豆。


1月5日(水)
うす曇り。パソコン部品購入のために秋葉原へ行く。水底は友人宅へ遊びに行く。朝、昨日の野菜おつゆに焼いた餅をぶっこんで食べて出かける。水底は、昨日の鍋汁をご飯にぶっかけて食べて出かける。秋葉原はパソコンの部品や周辺機器、パソコンそのものやソフトを買い求める人でごったがえしている。まだ冬休みなのだ。目当ての店が定休日だったのでそれほどうろつかずに買い物を済ませる。駐車場近くのマイナー系コンビニで手作りお総菜パンとおにぎりを売っていたので、ハンバーガーと鮭おにぎりを求める。ハンバーガーのパンは昔ながらのしっかりしたパンで好感が持てる。パテも小麦粉や玉ねぎでつないでありトンカツソース味で好感が持てる。鮭おにぎりは海苔もついていない品だが米はそこそこおいしく鮭もきちんとしたものでおいしかった。とても好感をいだく。帰宅後、パソコンいじり。どうも思ったとおりいかないので大田区のたにおに電話し、彼の余っているCPUを借り受けに行く。車中にて缶ココアやトマトジュース、ビスケット、チョコレートなどをかじる。借り受けたものの結局ダメであった。初期不良品かも知れないし、大間違いをしでかしているのかも知れない。とりあえず販売店に明日連絡し、持ち込むことにしよう。数日前に豚を塩コショウで煮た汁と鍋の残り汁を合わせて煮立たせ、ニンニク、ショウガ、豆板醤、練りごま、豆モヤシを入れてラーメンスープをこしらえる。麺を茹で、餅を焼いて夕食。水底も帰ってきてから作り置きのスープでラーメンをこしらえて食べる。中華麺用スープのバラエティがひとつ増える。6日午前4時就寝。

もらい物:刺身用イカ(水底友人より)

食:11時、野菜おつゆ雑煮(私のみ)
食:12時、鍋汁かけごはん(水底のみ)
食:16時、ハンバーガー、おにぎり、水(コンビニ手作り、私のみ)
食:水底は、友人宅で食べている。
食:24時、ラーメン、ご飯、餅(水底はラーメンのみ)


1月6日(木)
夕方から久しぶりの雨。空気が湿っていて、雨の匂いが立ちこめる。1カ月ぶりの雨だという。昨年の終わりはついに雪も降らなかったらしい。今年の初雪はあるのだろうか。午後に起きる。一仕事やってからご飯を炊き、味噌汁をこしらえ、野菜のおかずを数品つくる。味噌汁は、身体の暖まる大豆づくし。豆腐、油揚げ、大豆をすりつぶした呉汁の素、それに葱をたっぷり入れたいりこだしの味噌汁。三浦大根を千六本にして塩、砂糖、酢で白なますをこしらえる。半日おいてからごまをふる。豚の塩コショウ煮を薄く切り、豆モヤシ、キャベツをソースで炒める。白菜を切り、油揚げとともに炒め煮にする。味つけは醤油少々のみ。これに、味噌豚と黒豆で午後3時過ぎの朝食。その後、郵便を出したり、本屋に行くがあとは夜9時まで仕事。夕方ココアを飲む。一段落をしたところで、ジャガイモをゆで、トマトジュース、ケチャップ、マヨネーズ、ソースをひと煮立ちさせたオーロラソースに和える。水底が昨日もらってきたイカ刺身を引く。夕飯。みかんを食べて一息ついてからもう一度仕事。2時まで。水底は、最近小食になっているので、2時頃にお茶漬けを食べていた。風呂に入り、本を読んでいるうちに7日午前4時半となる。だんだん時間が後にずれていく。就寝。

食:15時、雑穀入りご飯、味噌汁、豚野菜炒め、白菜の炒め煮、味噌豚、黒豆。
食:21時、昼の残り、ジャガイモサラダ、白なます、黒豆、イカ刺身。
食:2時、お茶漬け(水底のみ)


1月7日(金)
曇り。雨で道路が濡れている。裏山の落ち葉も湿っている。午後起床。水底が起きるまで一仕事。小腹が空いたので餅を食べる。水底起床後スパゲッティを茹で、ニンニクと唐辛子でペペロンチーノをつくる。昨日のおかず残りとともに食べる。日中は自宅で仕事。夜の入り口で水底と散歩。暖かい夕べである。帰宅後、鶏肉、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、白菜、牛乳でクリームシチューをつくる。市販のルーを使用。ご飯をがつがつ食べる。水底がカスタードフルーツサラダをつくる。カスタードクリーム、ヨーグルトをあわせたソースを、リンゴ、バナナ、干しぶどうにかけたもの。これは、私の幼い頃の思い出からつくったサラダである。私の母方の祖母はかつて養老院で働いていたらしい。そして、そこで作って出していたメニューがこれである。本当は缶詰のミカンがここに加わる。私は幼い頃このフルーツサラダを数回食べたのだが、その後は食べることがなかった。10年ほど前に母親にもたずねてみたが分からなかった。水底が半年ほど前にインスタントカスタードクリームを購入したときに、その味で祖母のデザートのことを鮮やかに思い出し、よくよく考えて、あれはカスタードクリームとヨーグルトが混ざった味ではなかっただろうかという結論を得たのである。たしかにほぼその味であった。おそらく祖母は、養老院でデザートをつくったあと、そのカスタードクリームを少し持ち帰って孫である私と妹に食べさせたのであろう。それにしても当時は昭和40年代の半ば頃である。九州の片田舎の子どもにとってカスタードクリームはまさに衝撃の味だったのである。
食事後一仕事、8日午前5時就寝。

購入:牛乳、植物性クリーム。

食:14時、餅。
食:15時、ペペロンチーノ、ジャガイモサラダ、白なます、黒豆、豚野菜炒め、白菜の炒め煮。
食:22時、クリームシチュー、ご飯、白なます、黒豆、カスタードフルーツサラダ。


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