1999年12月4週

おせちの煮しめ。私が作りましてん

12月22日(水)晴れ
水底調子悪し。困る。朝、とりあえず薬を入手しにいく。まずは、ラハユの日本人女性を訪ねる。解熱、鎮痛剤を持っていたのでそれをもらう。飲ませるとしばらくして汗をかきはじめる。一安心する。
今日は、ニョマン君がいないので、ニョマンおばさんがご飯を盛ってくれる。盛りがよすぎるので少し減らしてもらう。鶏を炭火で焼いたのや、昨日の豚スープの残りの身などが野菜とともにたっぷりついている。鶏の皮が絶品。今週は、ガルンガンに向けた肉の週なのだ。毎日肉料理が食べられる。うれしい。おなかがいっぱいになる。水底は、汗をかいて一眠りしてから食べる。また薬を飲み、眠る。みんな忙しそうなので、私はぼんやりとテラスで本を読んでいた。宮沢賢治の詩集である。アメニモマケズ…。
夕方、6時過ぎてから水底とともにARIへ。水底はいつものナシソトアヤム。私はおなかが空いていたので、ビール、パイナップルジュース、鶏を揚げたの、フライドポテト、ご飯を食べる。ビールがうまい。満足。
ARIの料理人がいつもと違うようだ。味が少々雑。
夜、イブ・ニョマンが山の方の実家で行事があるため帰ってくるという。泊まると言っていたが、あまりに寒く、体調に差し障るので、夜中に戻ってきた。

食:9時、ナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:18時、ビール、パイナップルジュース、アヤムゴレン、フライドポテト、ご飯(ARI)



12月23日(木)晴れ
朝は、もちろんワリニバンガローのナシ・チャンプルー。今日もニョマンおばさんが出してくれる。ご飯の盛りがいい。今日は市場のバビおかず。豚の内臓を揚げたものや野菜と肉と豚の血の和え物のラワール、豚肉など。うまいぞ。
本日は、ニ・ニョマン・ワリニ・バンガローを出なければならない。我々の部屋は予約が入っているのだ。荷物をまとめて移る。水底の調子はよい。本当にただの熱射病だったようである。隣のワヤンファミリーバンガローに移る。ここも親戚だとか。
荷物を開けてから、踊りを習っている日本人女性ふたりの総仕上げ練習を見物。薬のお礼は写真ということに。
その後買い物に出かけ、レモンジュースを飲んで休憩。
午後、水底はエステへ。私はいつものパダン屋へ。鶏肉とテンペとコロッケに野菜、唐辛子、ソースに、アイスオレンジジュース。
その後、ニョマンの店に居着く。彼女の半生を聞く。ちなみに、彼女の年齢は私と同じであった。苦労し続けてきた女性である。そういう人は多いのだろう。彼女はたまたま運にめぐまれて成功したが、人は時々それをうらやむという。彼女は、そのたびに私の病気と引き替えならば、この運を上げましょうと言う。一時は余命数カ月と言われた人の言葉である。
満月なのでケチャの特別公演に行く。その後、同じパダンで夕食。食べた内容もほぼ同じ。

食:8時、ナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:13時、パダン屋のご飯
食:21時、パダン屋のご飯



12月24日(金)晴れ後雨
ワヤンファミリーバンガローの隣に泊まっていたドイツ人娘が夜中までうるさい。クタから来たばかりのようで、トッケーの声などにいちいち反応している。酒を飲むのは勝手だが、早く寝ろ。
深夜、豚の悲鳴で目が覚める。近くの寺で屠畜している。満月の祭礼である。やがて、皮や肉が焼けこげるにおいがしてきた。かなり強烈。その中を寝る。人間、何にでも慣れる。
8時前に目覚めて、裏手からワリニバンガローへ。朝飯を食べるのだ。塩味のつくねであるバリサテや、豚肉と内臓を炒めたもの。それにラワールがつく。このラワールがとてもうまい。夜中に焼かれていた豚の実と野菜、それを殺したての豚の血であえたものである。炭火焼きのうまさ、ここにあり。これは、本日のこの家の食事でもある。行事食なのだ。
その後、市場で塩やバニラ、ナツメグ、果物などを買い回る。水底のインドネシア語力がフル動員される。一段落して部屋に戻ったら、突然の雨。やはり最後も雨であった。ここ3日ほどが変だったのだ。やはり雨期。雨が小降りになったところで、イブ・ニョマンの店へ。客が来ていたので、向かいのレストランで食事。ナシ・チャンプルーにする。標準的なお味。メロンジュースがあったので喜んで飲む。水底は、チキンカレーを選んだ。
食後、ニョマンの店でだらだらする。最後なので、いらないものも買う。お世話になった精一杯のお礼である。いろんな話をする。
荷物をまとめ、クトゥの車でクタへ。お菓子やガルーダ豆などを買い入れ、途中、パダン屋でブンクス(包み=持ち帰り)してもらって空港へ。空港でパダン料理の夕ご飯とする。私は、卵焼きと鶏の煮たのとコロッケに野菜と唐辛子。水底もほぼ同様。ご飯の盛りがよかったのでおなかがいっぱいになる。空港のご飯は高いので、これでよし。締めくくりにはちょうどいい。前回も同じようにしたのだった。
バリの空港では日本の若い人たちがいっぱい。はやりの底の高いサンダル姿をした若い娘さんや、ブランド品をいっぱい買い込んだ大学生の男性などが多い。そうしてみると我々の格好はみすぼらしい。
テレビでは、ラマダン中のイベントなのか、ワヒド大統領をはじめムスリムの要人が内外からジャカルタのモスクに集まり、キリスト教でいうミサのようなものをしていた。テレビではどれほどの人々がこの行事に参加していることだろうとインドネシア語で言っていたと水底が解説する。ラマダン中の満月の翌日の金曜日である。なお、キリスト教徒にとってはクリスマスイブ。バリヒンドゥーにとっては、ガルンガン前の満月であった。
みんながいろんな言葉と宗教で平穏を祈っている。
空港のゲートにはたくさんの日本人が楽しそうに騒いでいた。
ジャカルタの空港では、今年の仕事を終え、日本に帰国するサラリーマンの人たちがたくさんいた。お疲れさま。ネクタイ姿は暑い感じがする。
ますます私たちの格好がみすぼらしい。
機内食はそうめんと巻きずし、鶏の唐揚げ。前に座っているドイツ人がそうめんにとまどっている。かわいそう。どうしてこんな料理を出すのだろう。

食:8時、最高においしいナシ・チャンプルー、フルーツ(ワリニバンガロー)
食:13時、ナシチャンプルー、メロンジュース(どこかのレストラン)
食:20時、パダンのお持ち帰り(クタ近辺のパダン料理屋、空港にて)
食:23時、機内食、ビール。
食:23時(ジャカルタ時間)、機内食、サンドイッチ、紅茶。



12月25日(土)晴れ
飛行機は50分早く到着。気流のせいだが、本当に早い。6時過ぎにはたたき起こされて機内食。なぜおかゆとそばなのだろう。前の席のドイツ人がとまどっている。もう少しふつうのものを出せばいいのに。しかも、このおかゆがまずい。
8時前に到着。駐車場の車をひきとってクリスマスに燃えるFMラジオを聴きながら一路家路へ。道路は混雑している。やむなくファミリーレストランで早めの昼食。ランチを食べる。カレーソースの豚カツとトマトソースのチキンソテー。肉に力を感じない。味が素っ気ない。日本に帰ってきたことを実感。
帰宅後、たまっていた宅配便の不在連絡や留守電・FAXの確認などを済ませ、留め置きしていた郵便物を郵便局の本局へ引き取りに行き、さらに当座の買い物をして家に帰る。水底がカレーを所望するので、日本のカレーを作る。ハウスバーモントカレーである。煮干しでだしをとり、豚バラ肉とニンニク、ショウガをじっくりと炒め、タマネギをじっくりと炒める。コリアンダーや唐辛子、カルダモン、クミン、ターメリックなどもちょっと使ってみる。煮込んでからニンジンとジャガイモを炒めて入れる。煮込む。雑穀入りご飯を炊く。カレールーを入れる。さらに煮る。その間に風呂に入ったりもする。できる。豆モヤシとワカメと油揚げと長ネギの味噌汁もつくる。食べる。寝る。
秋田の米農家からお歳暮をいただく。餅が3kg。よもぎと豆もちも入っている。うれしい。ありがたい限りである。

お歳暮:白餅、よもぎもち、黒豆餅。

購入:ヨーグルト、長ネギ、ニンジン、チンゲン菜、小アジ、豆モヤシ、豚バラ肉、黒糖蜂蜜のど飴、チョコレート、牛乳、卵、油揚げ、納豆。


食:6時半、機内食。
食:11時半、ランチ(鶏と豚カツとサラダ)、ココア(ファミレス)
食:20時、カレーライス、味噌汁、キムチ。



12月26日(日)晴れ
7時ちょうどに目が覚める。その後また寝る。実家から水が届く。Y2K用らしい。その後、実家から晩白柚が3つ届く。実家の庭の木のものである。チョコレートとカレーうどんが入っていた。さらに、いろんなものが届く。
カレーライスを食べ、だらだらしながら仕事をする。メールを書くなど。
夜、水底がスパゲッティをゆでたので半分もらう。カレースパゲッティ。
夜中、昨日購入した小アジのことを思い出す。タマネギ、ニンジン、長ネギを千切りにする。水底が魚の下処理と三杯酢をつくる。私が揚げる。実によくあがったので数尾ずつ醤油をつけてかじる。インドネシア語でイカンゴレンという。

宅配:水40リットル、晩白柚、チョコレート、カレーうどん、レトルトスパゲッティソース。

食:12時、カレーライス、キムチ。
食:20時、カレースパゲッティ。



12月27日(月)晴れ
寒い。快晴で富士山がよくみえる。真っ白な富士である。この時期になると白く見えていたアオサギが青いことに気がつく。洗濯し、ご飯を炊き、焼きそばと味噌汁をつくる。南蛮漬けがよく染みている。うまそう。焼きそばは、豚肉、ニンニクを昨日の揚げ油で炒め、そこに卵を落として炒り卵状態にする。一度取り出して、チンゲン菜、ニンジン、豆モヤシを炒め、麺を入れて炒めるときに肉卵を戻す。ケチャップ、醤油、ニョクマム、お好みソースで味付けして完成。これはご飯のおかずである。味噌汁は、チンゲン菜、豆モヤシ、ワカメ、油揚げ、長ネギ。
飯を食い、打ち合わせで外出。2時間しゃべり通す。疲れる。夜戻って、味噌汁の残りに豆モヤシ、長ネギ、油揚げ、ニンジン、ジャガイモを入れ、コチュジャン、キムチ、味噌、ゴマ、ごま油で味を整える。キムチ鍋風味噌汁か。これと昼の残りで夕食を済ます。
このキムチ鍋風味噌汁の具をはじめに食べ、残り汁に飯を入れる。うまい。
南蛮漬けも途方もなくうまい。小アジの骨が気にならず、酸味も効いて魚のうまみと野菜のうまみが調和している。がつがつ食べる。あと数日は食べられる。

食:11時、ご飯、味噌汁、南蛮漬け、カレー、焼きそば、キムチ。
食:19時、ご飯、キムチ鍋風味噌汁、南蛮漬け、カレー、焼きそば。



12月28日(火)晴れ
買い物の日。午後ふたりで車に乗り買い出しへ。ガソリンを入れ、食品類を数カ所で買い、途中立ち食いそばなどを食らいつつ、夕方帰着。

購入:三浦大根、鶏もも肉、豚バラ肉、豚もも肉(いずれもかたまり)、すだち、豆モヤシ、クワイ、里芋、長ニンジン、ごま油、なたね油、ブリカマ、ブリアラ、タコ、カレールー、こんにゃく、豆腐、納豆、油揚げ、白菜、キャベツ、ゴボウ、長ネギ、ミカン、小松菜、レンコン、スパゲッティ、トマト缶、オリーブ油、クミン、ニンジン、富士酢、海苔、昆布、黒豆、めんつゆ。

食:11時、ご飯、ラーメン。
食:15時、立ち食いそば(外食)
食:21時、ご飯、味噌汁、ブリカマ焼き、ブリ大根、タコの刺身、南蛮漬け。



12月29日(水)晴れ
忘年会。仕事仲間のS、U、バリに同行した水底友人のHが参加。Sは数日前まで仕事でフィリピンのマンゴー農家を訪ねていたという。運動不足の彼は、フィリピンの山歩きでほとほと疲れたらしい。お互いに写真を見る。バリの写真にいちいち豊かだと反応するが、飢餓を背負っている地域と観光で食べている地域の差である。バリの食文化や棚田に感銘を受けていた。一度一緒に行こうという話になる。Hは帰国後、青森などに仕事で行っていたという。ホタテ貝を持ってくる。写真も見せてくれる。さすがプロ。全然違う風景が写っている。
食事は、水底が焼いたバリバニラ入りケーキ、ピエンロー、大根とワカメの酢の物、タコのマリネ、ブリ大根、ホタテ貝の炭火焼き、ご飯、お餅とビール。

届きもの:モロゾフのチョコレートセット

みやげ:ホタテ貝、ビール、ミカン、リンゴ。

購入:ビール、日本酒。


食:12時、餅。
食:17時、忘年会料理。



12月30日(木)晴れ
水底体調を崩す。疲れが出たようだ。私はなんともないので昨日の鍋の残りとご飯を食べ、ぼちぼち働く。水底には、鍋の汁で雑炊をつくる。夜も雑炊をベースに昨日の残り物ですませる。

食:11時、ご飯、鍋の残り。(私のみ)
食:13時、雑炊(水底)
食:20時、雑炊、南蛮漬け、マグロの漬け、タコマリネ、大根とワカメの酢の物。



12月31日(金) 晴れ
本日も快晴。帰国後一度も雨はない。水底体調戻る。仕事、年賀状づくり、おせちづくりなどをしてあっという間に1日が終わる。気がつけば、そばを茹でている間に2000年が訪れていた。昼は、水底の希望でラーメン。棒ラーメンを茹でる。具には、味噌豚、豆モヤシ、ネギ、キクラゲ。味噌豚は、29日の忘年会前に仕込んでおいたもので、私が大学生の頃に作った料理である。豚モモのかたまりに全面味噌をぬりたくり、アルミホイルを何十にも巻いてオーブンで蒸し焼きにする。学生の頃はフライパンで時間をかけてつくっていたものだがオーブンならば入れてタイマーをセットするだけである。豚から出た肉汁が一度味噌を溶かし、さらに豚に戻っていきながら塩味をつけていく。味噌もうまい。肉もうまい。さて、今年のおせちは、水底が黒豆を煮、酢ゴボウ、アーモンド入り変わり田作り、千草焼きをつくり、私が煮しめと、例の煮豚、それにちらし寿司と年越しそばである。煮しめは、こんにゃく、干し椎茸、干しタケノコ、干しイモガラ、ニンジン、里芋、油揚げ、レンコン、ゴボウ。ちらし寿司は、レンコン、干し椎茸、ニンジン、鶏肉、油揚げ、ちくわの具に、紅ショウガ、錦糸卵、大根葉 、海苔が散らしてある。年越しそばは、私が温かい鶏そばで、水底は冷たい盛りそば。今年もよく食べた。

購入:茹でそば、生そば、ポテトチップス、わさび、豚挽肉、ちくわ、パスタ、ミルクココア。

食:12時、ラーメン。
食:17時、餅、ポテトチップス、ビール(私のみ)
食:24時、そば、寿司、おせち。


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