1999年12月2週

11日、豚の丸焼き定食。うめえ。

12月8日(水) 晴れのち空の上のち雨
今日からバリ島である。25日に帰国する。これから先の食事については、私が食べたものを記載し、水底が食べたものについては、書いたり書かなかったりすることにする。
早朝車で出発し、一路成田へ。空港の近くにある民間駐車場を予約しておいた。ハイシーズンで25日まで6000円である。高速道路のPAでうどんを食べる。空港でお茶を飲み、飛行機へ。今回はJALである。10時30分頃搭乗。搭乗後、ふたりとも眠り込んでしまう。機内食が出て起床。食事後、また睡眠。ジャカルタを経由するため、機を降り空港内を一巡。ふたたび搭乗し、バリの空港へ。前回お世話になっていたJATIホームスティの元スタッフ、クトゥ君が独立してガイドをやっている。そこで、空港まで彼に迎えに来てもらった。なお、今回は、水底の友人であり、チョウチョの採取家であるA氏が同じJALに同乗。同じJATIを予約しておいた。
また、同じく水底の友人であるH女史が関西空港経由のANAでバリに来ることになっている。H女史が到着するのは深夜になるため、一晩クタで宿泊し、翌日合流することになっている。
バリ島は雨。少し肌寒いような気もする。
到着後、半年前の定宿であるJATIの部屋にチェックイン。近くのアリレストランでナシチャンプルーとミックスジュースを注文する。素材がおいしい鶏肉やフルーツ、卵はおいしい。ナシチャンプルーは、ご飯、テンペゴレン、アヤムゴレン、ゆで卵、クルプック、サテアヤム。

食:7時、天ぷらうどん、おむすび(PA)
食:13時、機内食。豆腐と牛肉のそぼろあん、ご飯、パン、甘いもの、サラダ。
食:18時(ジャカルタ時間)、機内食。冷たいサテ、バナナチマキ、フルーツ。
食:22時(バリ時間)、ナシチャンプルー、ミックスジュース(アリ)


12月9日(木)雨のち曇り
昨夜寝る前に、水底からおおまかな「やりたいこと」を聞き、大ざっぱにスケジュールに落とし込んでみた。おや、なかなか時間がないではないか。しかも、バリ島の西部、ヌガラのサンカルアグン村で行われている竹楽器ジェゴクの演奏は、毎日曜日ではなく、木曜日の週と日曜日の週があり、一足先に帰国する予定のHにとっては、本日が唯一の機会であることが分かった。そこで、朝一番に、クタのHがいるホテルへ電話することにした。
朝起きて、JATIの朝食を食べる。雨が降っている。市場へ行き、テレホンカードを購入。前回までの磁気カードではなく、ICチップカードになっている。進化が早い。
Hに電話をする。水底が今回合う予定のM女史、ジェゴクツアーを企画する旅行代理店にも電話を入れる。ジェゴクは最小催行人員7名で3人しか予約がないという、こちらが3人だと告げるとやってくれることになった。
昼食は、Aを含む3人で、ワルン・デワタへ。ナシチャンプルーとエステ(アイスティー)を注文。ナシチャンプルーは、ナンカの煮物、空芯菜とモヤシの和え物、サテアヤム、アヤムゴレン、ゆで卵、テンペと大根の和え物、クルプック。
昼飯が終わる頃まで雨は降ったりやんだり。
さて、午後になり、Hが来るはずのシャトルバス乗り場に行くと、予定の時間のバスに乗っていない。ジェゴクの集合時間までは1時間しかない。あわてる。
 バスに乗ってやってきた観光客目当てのバイク白タク兄ちゃんの中に顔見知りがいたので、白タクバイクに乗ってJATIまで引き返し、本日はじっとしているAにHが来たらよろしく頼むと伝言。ついでに、隣室にいた日本人の神楽師Kを誘い、連れ出すことにする。
 バイク白タク兄ちゃんには、バス会社まで戻った後、もう一度JATIに行ってもらい、Kを迎えに行ってもらう。その直後、Hが別の会社のシャトルバスでやってきた。そこで、別の白タク兄ちゃんにメモを渡し、Aに大丈夫だったと伝言を頼む。どたばたのあげく、なんとかすべてが丸く収まる。
 集合場所のパノラマホテルにあるカフェでアイスティーを飲む。迎えが来たので、ワゴン車に乗り込み、出発。日本人女性2名のペアに、日本人男性のバックパッカー。彼は明日帰国するとやらで、天気や村の状況などを情報交換する。
 どうも、今年は雨が多いようだ。
 ジェゴク会場で、箱のナシチャンプルーお弁当やバナナ、バリコピ、お菓子を食べる。ナシチャンプルーは、ご飯、焼きそば、ゆで卵、アヤムゴレン、空芯菜炒めなど。薄暗くてよく分からなかったが、味も盛りもツーリスト向けよりもちょっと本格的で辛く、おいしかった。
 ジェゴクは最高。雨なので屋根付きの場所であり、前回のような地面から響くということではないが、石の床に直接響いて、体を震わせる。現地にホームステイしている女性を含め8人だけなので、密度濃く踊りを教わったり、音の出し方を教わったり、ジェゴクの下にうずくまったりする。
 ウブッのJATIに戻ったのは午前1時を過ぎていた。起きていたAと一緒に行ったH、K、それに我々で3時頃までだらだらと話す。神楽師Kは、楽団スタッフの日本人の女性と中学校が同じだったり、同じ芸能家同士盛り上がっていたので、縦笛をもらっていた。人徳である。
 ぐったりと疲れ切って就寝。

食:8時、卵ジャッフル、フルーツ(JATI)
食:12時、ナシチャンプルー、エステ(カフェデワタ)
食:19時、ナシチャンプルー(箱入り)、水、バリコピ、お菓子、バナナ(ヌガラのジェゴク)



12月10日(金) 雨時々曇り午後晴れ夜雨
9時に起床。JATIで飯を食う。午前中にJATIをチェックアウトし、クブクへ。クブクでは、2ベッドルームを取り、Hと3人で宿泊することにする。クブクは水田の真ん中に立っていて、蚊が多そうだったが、景色がいいので一度泊まってみたかったところのひとつである。少々お高いので、こういう手法を使う。近くのパダン屋で食事。アヤムゴレン、フーユンハイ、サユール、チャベ。フーユンハイは、油揚げのようなお好み焼き卵焼きである。サユールは、空芯菜のができたてだったので、ふつうのお茶葉風ではなく、そちらを選ぶ。チャベは唐辛子炒め。うまい。バリ島のパダン料理はちょっと高めの一膳飯屋で数少ないハラールフードでもある。ハラールフードとは、イスラム教とが食べられる食事のこと。つまり、ここでは豚肉は決して出ることがない。座って食べていると、バリ・ヒンドゥーに混じって、バリ島に住むムスリムが食べていた。
Hを案内して村を歩く。夜は疲れたので、クブクのベジタリアンレストランで飯を食い、踊りに行かずに寝る。夕飯は、ナシグデとコピスス。ナシグデは、ベジタリアンナシチャンプルー。玄米クルプックにナンカ、ゆで卵などなど。水底はスパゲティ。見た目はミートソースだが、ピリ辛のベジタリアンソース。麺はソフト麺より柔らかい。

食:9時、バナナパンケーキ、フルーツ(JATI)食:12時、パダン屋ごはん。ご飯、野菜、卵焼き、鶏揚げ(パダン屋)食:18時、ナシグデ、コピ(クブク)


12月11日(土) 雨のち曇りのち晴れのち雨
起きても雨。肌寒い。本日は、まず私がJATIで、Kを迎えにいき、バビグリンを食べにいくことにする。バビは、子豚。グリンは焼く。バビグリンで子豚の丸焼きである。パリパリの皮、しっかりと焼けた身、血の腸詰め、それに、野菜と唐辛子がつく。ところが、JATIに行くといない。客が誰もいない。昨日まで我々がいた部屋のそばでは土砂工事をしている。スタッフに聞くと、ビッグプロブレムがあり、皆、JATI3に移ったという。JATI3を訪ねると、Kが寝ていた。Kによれば、昨日まで我々がいた部屋にKは移っていたのだが、夜、部屋に戻ってトイレに入っていたら、ミシリという音がして、5分後、ドンと白い土ぼこりが舞い、部屋が崩れかけたのだという。「糞死するところだった」。JATI3でしばらく話をした後、バビグリン屋へ。水底とHと落ち合う。
バビグリンはうまかった。そして、辛かった。口の中が火を噴く。うまい。夢中で食べる。華僑系の人が多いのはなぜだろう。ここに来るのは3度目か4度目だが、はじめて非アジア系の旅行者が食べているのを見た。
その後、クトゥ君の店へ。行くと、Aがいて、明日のトランスポートを依頼していた。明日、クタに行くという。A男、K男、H女と、水底、私は、クトゥの車で、こちらに1年間暮らしているY女史のところに遊びに行く。クトゥの友人であり、クトゥとのメールを取り次いでくれたり、メールのやりとりをしている人である。
テレビ、ステレオ、パソコン、電話がそろっていてうらやましい。これで、東京に近ければ、ここで仕事ができるのだが。長く地域共同体のようなところで暮らす苦労を聞く。田舎の葬式が毎日あるようなものだと思えばよい。
夕ご飯は、Hと3人でクブク近くのタイ料理屋に行く。店構えは高そうだが、それほどでもない。味は、タイほど辛くないが、なかなかおいしい。Hと水底はカレーを、私はカオッパ、つまり焼き飯を食べる。それに、青いパパイヤのサラダであるソムタムを注文。
夜は、A、Kを加えた5人でチャロナランダンスを見に行く。迎えのマイクロは我々5人だけだったが、後から西洋人が5人ほど来たので安心。雨期のせいか、踊りの演出が変わったのか、登場人物が少し減っているのは残念。HとKが笛を買って、売っていたおじいさんに教わっていた。ふたりとも笛の経験があり、あっという間に上達する。おじいさん喜ぶ。私の足に、足を滑らした小さなヤモリが落ちて、私の足を走りあがる。雨にたたられることなくチャロナランは終わる。
クブクのカフェで5人だらだらする。
夜、従業員の女の子たちに3人がかりで日本語教室。部屋に戻ると2室のうち1室の電灯がつかない。ろうそくで過ごす。

食:9時、バナナパンケーキ、コピ、フルーツサラダ(クブク)
食:12時、バビグリン、エステ(イブオカ)
食:16時、エステ(カフェギャラリー)
食:17時、カオッパ、ミックスジュース、ソムタム(キンカオ)
食:21時、パパイヤジュース、ビール、豆(クブク)



12月12日(日) 雨のち曇りのち雨
朝から雨。水底は、トッケーの糞攻撃を受け、朝早くに起床。臭いので髪を洗う。朝ご飯は、クブクで昨日と同じバナナパンケーキ。果物サラダやバナナパンケーキについている生のココナッツフレークがうまい。フルーツは、バナナ、パイナップル、パパイヤ。午前中に洗濯屋やおばちゃん家のニ・ニョマン・ホームスティやラハユ・バンガローを訪ね、以後の宿泊計画をつくる。そのままサテ・カンビン屋へ。山羊の串焼きにピーナッツの甘辛いタレ付きのサテ・カンビンと、山羊の内臓肉のカレースープ、ソト・カンビン、それとご飯。3人とも無口で食べる。うまい、辛い、うまい。山羊を炭火で焼く香りが食欲を増す。店は汚いが、ここもはずせない1カ所。コカコーラなどと同じ、工業ボトリングのお茶であるテ・ボトルを入れても7000rp(100円)と安いのも観光客にはうれしい限り。
その後、警察署前のスーパー・デルタデワタへ。一通り回って、水やピーナッツを購入。カエルカフェでココナツジュースを飲む。ココナツの中身の汁とココナッツの実を混ぜたものである。ポカリスエットに甘くて油っこい豆乳を混ぜたような味である。戻りがてらインターネットカフェでメールチェックをトライするもとん挫する。クブクに戻って、一息ついてから食事へ。シーフード中華レストランとして日本のガイドブックに必ず載っているお店である。ナシ・チャプチャイを食べる。野菜あんかけ焼きめしである。カエル足の唐揚げやカンクン炒め、魚の丸揚げ甘酢あん、豆腐揚げ甘酢あんなどを皆が注文する。可もなく不可もない味。Hがライスワインのブルムを頼むが甘いのが嫌いなHは一口であきらめる。私が飲む。夜は、お金持ちアルマ・コンプレックスの美術館内で行われるレゴン・ダンスを見に行く。帰りは土砂降りにやられてしまう。

食:8時、バナナパンケーキ、コピ、フルーツサラダ(クブク)
食:12時、サテ・カンビン定食、テボトル(サテ・カンビン屋)
食:14時、ココナツジュース(かえるカフェ)
食:18時、ナシ・チャプチャイ、カエル唐揚げ、カンクン(空芯菜)炒め、ブルム、マンゴージュース(カフェ・テガル)



12月13日(月) 雨のち晴れ
クブクを出て、ラハユバンガローに移る。ラハユは以前の常宿であるJATIのすぐ近くにある。値段はJATIよりわずかに高めだが、静かで居心地もいい。ふたりのスタッフであるクトゥとプトゥもしっかりしている。部屋は独立したコテージになっていて、それもまたよし。夕方にはヒグラシが涼しげな音を出している。それに、今日はここに来てはじめて晴れた。ちゃんと太陽が顔を出している。直射日光がうれしい。今日は、水底の知り合いで、岩手在住、バリ人の夫を持ち、夫が日本企業の海外事業部で働いている関係で日本とバリを行ったり来たりしているM女史とその娘に合う。さらに、彼女の車で自然派ココナッツ石けんを作っているマサコさんの工房も訪ねる。石けん工房は、まさしく手作り。ココナツ油もパームではなく、ヤシ油であり、手間暇を惜しまずにつくっている。詳しくは、水底ホームページを見て欲しい。できれば、友人の自然食品店で扱ってもらおうとも思っている。そうなったら、紹介しよう。
食事は、朝、クブクでオムレツとトースト。オムレツは、ニンジンやインゲンなどが入っていて、薄いクレープ場の卵焼きであった。醤油をかけたい気持ち。
昼は、M親子と一緒。モンキーカフェでナシチャンプルー。ここは2階が座敷になっているので子供連れにいいのだ。なお、ベジタリアンレストランでもある。ここの特徴は2人でいけば小皿がたくさんのバリ料理を食べられる。二人連れならばおすすめである。ナシチャンプルーは、テンペゴレン、タフゴレン、豆クルプック、野菜の和え物など。
夜は、ベンディで鶏の唐揚げとサツマイモのフライとフルーツサラダのプレート。
夜遅く、Hがサテカンビンを購入。ご相伴にあずかる。

食:8時、オムレツ、トースト、バリコピ、フルーツサラダ(クブク)。
食:12時、ナシチャンプルー、パパイヤジュース(モンキーカフェ)
食:17時、鶏唐揚げ、サツマイモフライ、サラダ、ご飯、エステ(ベンディ)
食:22時、サテカンビン。



12月14日(火) 朝から晴れ、夜雨
はじめて朝から晴れる。気持ちがいい。暑い。KとH、それにSさんと一緒に、田んぼ農業ツアーを開催。スバック(水路)博物館を見る。農具がおかれ、1071年にバリ島で用水を管理するために生まれたスバック(水利組合)について学ぶ。バリの棚田が水が豊富なためにできたのではなく、人々が運河をたくみに作って水を分配し、形成してきたことが分かる。さらに、農業歴の存在や、会議用水時計(1時間、4時間)の存在、コピーの存在を確認する。非常に高度な社会システムであり、今もほぼ同じ形でバリ島全土の共同体として運営されている。それにしても、米づくりのシステムばかりである。ほかの野菜などは自家用的なものなのだろうか徹頭徹尾、米である。道具も、システムも、台所用品まで。なんと、バリコピにさえ赤米の粉が入っているというではないか。なるほど、あのまろやかさは、米の味わいだったか。その後、田んぼを見、案内してくれたクトゥの家に行き、稲穂の保管方法などを知る。実際にやってみてくれたので、とてもよく分かった。ドゥリアンやワニを食べる。棚田を見てウブッに戻り、そのままサンディ・スワラのケチャを見る。今回はじめての野外公演だったが、 終盤雨が降り、演目は大幅にカットされた。しかし、慌て具合がおもしろかったのでよしとする。
夕食はH、KとともにARIへ。水底は、ナシソトアヤム、すなわち、鶏スープぶっこみご飯を食べる。私は、下記の通り。

食:8時、野菜入り卵焼きジャッフル、フルーツ、テ(ラハユ)
食:13時、バビグリン定食、エステ(タバナン)
食:16時、コピ、ドリアン、ワニ(クトゥ家)
食:21時、テンペゴレンのトマトソースがけに野菜のココナッツあえごはん、パイナップルジュース、春巻き(ARI)


copyright marume haru 1998-2002