はるの魂 丸目はるのSF論評


キルン・ピープル
KILN PEOPLE

デイヴィッド・ブリン
2002



 近未来。人々は、アバターを世に送り出し、仕事をさせ、用事を済まし、自分は真にやりたいことだけに集中して生きていた。アバターを送り出すのはインターネットの仮想世界ではない。現実の世界である。そのアバターは手軽なクローン。1日限りの命を持つクローンである。クローンは陶土でできていて、命を吹き込まれ、焼かれてエネルギーを注ぎ込まれる…。
 近未来、科学的・技術的ブレークスルーが訪れた。人間には固有の定常波があり、その定常波が世界に対する認識や記憶、人格を統合しているのである。定常波を正しくコピーすることができれば、あとは生きるためのエネルギーを持ち、筋肉と脳に該当する機構性を持つ人型をこしらえればよい。ユニバーサルキルン社は、特殊な陶土を使って人型を安価にこしらえ、定常波をコピーしてその波とともに陶土をかちかちではなくふっくらと焼き上げることでエネルギーを注ぎ込み、1日の命と、原型たる人間の記憶、知識、人格を一定程度持った複製が誕生する。彼らは1日の命を与えられた複製の身体で過ごし、そして、その経験や記憶は原型に書き戻すことができる。つまり、人間は1日で2日分、あるいは、複数の複製人間をこしらえれば、何日分もの経験を行うことができる。たいくつなことでも、危険きわまりないことでも、原型の人間自身は何をしなくても経験することができるのだ。もちろん、忌まわしい記憶やあまりにも退屈な記憶は統合する必要もない。複製人間の記憶を併合しなければいいだけである。そして、複製になった側も、目覚めるとともに命令を受ける必要もない。なぜならば、複製もまた本人の定常波を受け継ぐものであるからだ。本人そのものの人格であると言っていい。問題は、どっちで目覚めるか、だけだ。原型か、複製か。そして、どちらも本人であるのだ。ただ、複製は1日限りの命であるというだけ。
 この技術的ブレークスルーは社会を根本から変えた。たとえば、インターネットは「通信」「データベース」など、21世紀初頭の使われ方を超えることがなくなった。本物の人格のままに、仮想人格と同様の経験ができ、それを自分のものとして記憶できるのならば、なぜ、わざわざ仮想人格をこしらえる必要がある? どんな過激な体験も、どんな演劇的体験でも、現実に味わうことができるのに。そこで、インターネットの仮想人格は一部のネットオタクのものとなった。同時にロボット技術も廃れてしまう。面倒な命令や指示とメンテナンスが必要なロボットに対して、複製は命令も指示もいらない。放射能汚染のエリアでも、火災の現場でも、戦争でさえも、恐れずに(スリルと興奮はそのままに)飛び込んでいけるのだ。しかも、複製体は自分自身の姿である必要もない。それぞれのシーンに適応した姿や能力を持つ複製体に自分を焼くことができるのだ。
 肉体労働は複製体の仕事となり、犯罪集団は、少数の原型が焼いた複数の「自分」を使って犯罪を行うことに慣れ、警察や私立探偵の仕事は変わっていく。警察は、原型たる人間への傷害や殺人しか扱わなくなる。複製同士の犯罪行為は、もはや公的社会管理の範囲を超えてしまったのだ。そこで、私立探偵の仕事が増えることになる。また、面倒にもなる。現実の世界に複製体、しかも、1日しか命をもたない複製体があふれているのである。
 そんな社会で起こるまか不思議な犯罪に対して、私立探偵アルバート・モリスは自らの高い複製生成能力を活用し、高性能な複製をいくつも使いながら違法複製業者らを追いつめていく。その能力から注目をあつめ、ユニバーサルキルンの創設者らがアルバート・モリスに接触してきた。行方不明になった天才研究者を捜して欲しいという。その陰には重大な陰謀と犯罪があったのだ。いくつもの危機にさらされながらアルバート・モリスは真実を突き止めていく。

 小器用なSFストーリーテーラーであるデイヴィッド・ブリンが、「人形」使いの社会を描き出した画期的な作品である。ジャンルとしては、SF・ハードボイルドになるだろうか。また、クローンや仮想人格など「もうひとつの自分」をテーマにしたものと言ってもいいだろう。さらに、ネタバレの要素が含まれるが、ちょっと「人類の変革」ものも入っている。「幼年期の終わり」や「ブラッド・ミュージック」にみられる、あれ、である。といっても、本筋はあくまでSF・ハードボイルド。主人公の私立探偵が痛めつけられても、痛めつけられても、くらいつき、だまされ、それでも真実を追求しようという作品である。なにせ、複製と原型含めて、何度も殺され、苦しめられ、苦しみ、痛み、死ぬような目にあうのである。ふつうの私立探偵よりももっともっと高い「耐久性」が求められる主人公である。痛いなあ、辛いなあ。えらいぞモリス君。
 ブリンは、主人公を苦しめて、苦しめて、苦しめぬく傾向がある。無宗教だといいつつも、キリスト教における救世主の苦しみを主人公に体現させているかのようである。
 その苦しみの分だけ、主人公が超人化してくるから、やはり救世主願望があるのだろう。

 そのアイディアと展開力に脱帽。一読の価値はある。

 ところで、自分がこの時代に生まれ、複製を使いこなす能力があったら、何をしていますか?


(2007.09.28)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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