はるの魂 丸目はるのSF論評


悪魔のハンマー
LUCIFER'S HAMMER

ラリイ・ニーヴン&ジェリイ・パーネル
1977



 ハムナー・ブラウン彗星。ティモシー・ハムナーとブラウン少年がほぼ同時に発見した彗星である。ティモシー・ハムナーは、金持ちで、企業オーナーで、そして、自分の天文台を持つ天文マニア。しかし、やがてその彗星は、ハンマー・ブラウン彗星、やがては、ただハンマーと呼ばれるようになる。
 彗星は、地球の近くを通ることが予想された。冷戦の時代、アメリカとソ連は、互いに協力して中断していた宇宙開発を緊急再開、アポロとソユーズを打ち上げてドッキングさせ、共同観測を行うことにした。
 1月に確認され、6月に再接近が予想された彗星について、ハムナーは、自らの財力と企業のスポンサー力を通じ、宇宙への関心を高めようと番組を企画し、放送する。人々は期待し、そして、あるものは地球への衝突をおそれ、あるものはそれを嗤った。
 そして、多くの人々が彗星が来る、来ないにかかわらず1970年代のアメリカを生きていた。
 やがて、衝突する確率が徐々に高まっていく。緊張がはしる科学者達。実際に衝突するかどうかは、ぎりぎりまで分からない。
 人々は、彗星が近づくにつれ、パニックになり、彗星熱にかかった。キャンプ用具や保存食を買い込み、その日は仕事を休んで高台に避難するものが続出した。それでも、心の中では、本当に衝突するなんて思ってはいなかった。
 その日がやってきた。彗星は静かに地球に接近し、そして、海に、陸にそのかけらを落とし始めた。巨大地震、津波、雨、竜巻、雷、そして、太陽の姿は消え、地球の人類文明はほぼ崩壊した。
 生き残ったわずかな人々のうち、多くは暴力に頼り生産をあきらめた。一部の人達が、暴力とともに秩序を求め、生き残りとともに将来のための生産を望み、身を寄せ合った。そして、ひとりの郵便配達夫は生き残るために不可欠な情報を届け始めた。

 ニーヴン&パーネルの「悪魔のハンマー」は、破滅物SFの代表的な作品を1970年代の空気のままに仕立て上げた作品である。前半はたっぷりと彗星が衝突するまでの平穏な日常と次第に変わる人々の空気を描き、中盤に衝突の結果起こる災害を丁寧に描き、そして、破滅後の人々の生き残りを淡々と描き出している。3冊分の読み応えある作品である。
 破滅物と言えば、「地球最後の日」(1932 フィリップ・ワイリー&エドウィン・バーマー)、「トリフィド時代」(1951 ジョン・ウィンダム)、「渚にて」(1957 ネビル・シュート)「黙示録3174年」(1959 ウォルター・ミラー)、「放浪惑星」(1964 フリッツ・ライバー)などなど、古典的名作が次々と浮かぶ。おおよそ3つに大別できて、自然災害、宇宙からの侵略、そして、核戦争などの人類による自滅である。
 本書「悪魔のハンマー」は、自然災害ものの典型で、事前事後を描き、パニック物、サバイバル物を合わせたような作品となっている。
 本書を際だたせているのが、これは、ニーヴンの特徴でもあるのだが、徹底した科学技術力に対する信頼と宗教などの科学技術力に対して「迷妄」なとらえ方をすることに対する嫌悪感である。他の作品に見られるようなぎりぎりの状態での人間の「祈り」に似た感情はあまり評価されず、家族や友人、知人、あるいは見知らぬ人への、合理的な行為のみが感情を含んで描かれるだけである。それをどう見るかによって、とりわけ後半のサバイバル部分についてどう読むか、読めるかが変わってくるだろう。
 いずれにしても、その後の破滅物SFにも大きな影響を与えたに違いない本作品、たとえば、実際にはどうか知らないが、「悪魔のハンマー」で活躍した郵便配達夫は、「ポストマン」(1985 デイヴィッド・ブリン)で世界を変える働きをする。こういうたくさんの要素を提示しているところに、本書「悪魔のハンマー」は古典の資格が十分にあるだろう。そして、本書の中のエピソードとして登場するたくさんのSF作品の名前に、ときめいてしまうのもうれしいことだ。ま、ニーヴンの代表作「リングワールド」が入っているのはご愛敬ということで。


(2007.6.30)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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