はるの魂 丸目はるのSF論評


ザップ・ガン
THE ZAP GUN

フィリップ・K・ディック
1965


 西暦2004年。地球はふたつの勢力に二分されていた。西側陣営であるウエス・ブロックと、東側陣営である人民東側(ピープ・イースト)。相互の戦争は終わることなく、人々は、自陣の勝利を確信して日々を暮らしていた。
 それぞれの陣営には、兵器ファッション・デザイナーとなる霊媒(ミーデイアム)がひとりずつおり、常に画期的な兵器のモチーフを、トランス状態による「どこかから」読み取り、それを実際の兵器にしていた。西側陣営の人々は、自陣の兵器ファッション・デザイナーをヒーローとあがめ、彼が生み出す究極兵器に心を躍らせた。ラーズ・パウダードライは、そんな西側陣営唯一の兵器ファッション・デザイナーである。少なくとも、彼が死ぬか能力を失うまでは、唯一無二の存在である。
 しかし、世界には秘密があった。
 世界は、絶滅兵器を知っていた。そこで、1992年に両陣営は秘密会合を開き、その後は本物の絶滅兵器が作り出されることはなかったのである。人類は絶滅を回避し、それは兵器ファッション・デザイナーとそれに連なるものたち、軍などの一部の秘密として保持されていた。
 そんな世界に危機が訪れる。本当のエイリアンとおぼしき衛星が地球に登場したのである。もはや究極兵器をつくる能力を持たない人類は、この危機に愕然とする。そして、兵器ファッション・デザイナーへの期待を人々は寄せる。
 ラーズ・パウダードライは、このまがいものに満ちた世界で、まがい物の頂点として君臨しながら、どこかでまがい物ではない自分を求めている。
 はたして、ラーズ・パウダードライは自分自身が本物だと言えるトランス状態を迎え、エイリアンに対抗することができるのだろうか。

 本書「ザップ・ガン」を簡単にまとめるとそういう話である。ディックの世界ではよくある設定で本当は戦争は終わっているのに、体制を維持するために2大勢力が戦争は続いているかのように人々をたぶらかしているあたりは「最後から二番目の真実」と共通する要素である。そのたぶらかしには、広告や映像などメディアが十分に使われている。「最後から二番目の真実」では、そのあたりが中心軸に置かれていたが、本書「ザップ・ガン」では、あんまりそういう中心軸はない。訳者の大森望氏もあとがきで書いているが、なんと言っても「兵器ファッション・デザイナー」であり、トランス状態でどこからか兵器のネタを拾ってきて、現実にするというのだから、出てくる兵器がすごい。「ゴミ缶爆竹」「洗羊液隔離剤」「市民情報歪曲弾」「精神剥奪ビーム」。もうアメリカンコミックの世界でしょ。
 でもって、ちゃんとそれぞれの武器としての設定が書いてあったりする。
 で、ちゃーんと、そういう兵器でいい理由も登場する。
 そして、最後に登場する究極兵器は、ディックならではの兵器である。
 もう、これは書きたくて書きたくてしょうがないのだけれど、人間の共感能力を信じながらも、世界が真実の姿をなかなか表さないことを知っているディックらしい兵器が出てくる。
 同じようなアイディアは、ディックの短編でも出てきているし、長編でも見られる。
 いわゆる、視点の遷移というやつだ。
 夢を見ている自分を見ている自分、とか。
 何者かに追いかけられて逃げているつもりが、いつの間にかおいかける側になっている、とか。
 今ならばグーグルアースみたいなもので、地球全景からずずーっと自分の住んでいる場所まで縮尺を拡大していって、ついには、今自分が座ってパソコンを見ているその背中まで見てしまっていて、両方の視点に入ってしまう、とか。
 ディックの作品にはこういう視点の遷移が多い。
 くるよ、ぐっと。

 この作品が1965年に書かれているのか。42年前ですよ。皆様。私が生まれた頃ですが、そんな頃から、そういう視点の遷移を、現実の世界のこととして書いてきたのが、ディックなのだ。
 コンピュータ、インターネットによって、グーグルアースだけでなく、シミュレーションゲームや、今度PS3で発表されるというHOMEのような仮想現実社会みたいなのが実現する前から、ディックはその奇妙さ、楽しさと忌まわしさを知っていたのである。
 2004年に、戦争は終わっておらず、陣営も崩れてしまったけれど、ディックの世界から私たちが脱しているとは言えない。
 くわばら、くわばら。


(2007.03.21)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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