はるの魂 丸目はるのSF論評


ネットの中の島々
ISLANDS IN THE NET

ブルース・スターリング
1988


 1990年11月にハヤカワ文庫SFとして邦訳出版された作品である。タイトルはもちろん、A・ヘミングウエイの「海流の中の島々」からのオマージュであろう。訳者あとがき「おまたせしました」と書いてあるところが、時代の空気を映し出す。本書は「ネットの中の島々」は1988年にアメリカで出版されており、約2年経たずに邦訳されたのだが、サイバーパンク・ムーブメントのひとりとして、また、コンピュータやコンピューターネットワークに対する造詣の深さや、日本の作家などとの交流の深さから知名度の高かったスターリングの作品故に「おまたせしました」だったのである。
 本作「ネットの中の島々」は当時からすれば35年ほどの近未来小説である。2023年、20世紀の遺物である大量破壊兵器や大規模な政府軍を根絶させた世界規模の軍廃後、人々が核の恐怖におびえなくてよくなった世界が舞台である。アメリカは衰退し、世界的な通貨はヨーロッパのエキュー(ECU)となっていた。ソヴィエト連邦は存続していたが、消費社会主義化し、もはや超大国ではなかった。石油資源が底をつき、原子力も規制された世界で、あらゆる通信・情報の技術複合体である「ネット」が世界を「ひとつ」にし、そのネットのおかげで世界は企業経済社会と化していた。情報が世界の真の通貨であり、多国籍企業がそれを動かしていた。そんな多国籍企業のひとつライゾームは経済民主主義にのっとった共同体多国籍企業である、利益集団ではなく個人の能力の発揮と共同体意識によって「なすべきことをなす」社員(アソシエーツ)によって成り立つ新千年期の思想に基づく企業である。
 しかし、世界には影がある。ネットを悪用し、小規模な国家を事実上乗っ取り、麻薬や薬物、通貨、情報の避難所として世界で蠢くネット海賊たちである。そして、もうひとつの影はアフリカ。前世紀から続く混乱と内戦と飢餓と破壊。ネットから切り離され、新しいことではなくなり、「ひとつ」の枠外にある大陸。
 ライゾームは、ネット海賊を崩壊させる手段として、彼らを共同させ、組織化し、表のネット社会に入ることを提起する。大きくし、システム化=官僚化することによって彼らの裏の面を失わせようというのだ。  ライゾームの社員、ローラ・ウェブスターは、夫のデイヴィッド、生まれたばかりの娘を抱えてアメリカ合衆国テキサス州ガルヴェストンの浜辺でロッジの支配人を務めていた。ロッジはライゾームのプロジェクトで、人的ネットワークの場である。彼女のロッジが、データ海賊の会議の場となった。しかし、グラナダの指導者が暗殺される。目の前で人が兵器によって殺されたことに衝撃を受けたローラは、データ海賊との調整に本気で乗り出していく。それは、グラナダ、シンガポール、そして、アフリカ大陸への真実を求める苛酷な旅の始まりであった。いや、真実が苛酷だったのだ。

 はじめて読んだときから17年が過ぎた。1988年から2023年のちょうど真ん中まで来たところでの再読である。それゆえの古さと新しさの入り交じった作品として読める。
 1988年に発表ということで、本書の1990年の訳者あとがき時点でさえ、ドイツの東西統一やソヴィエト連邦の崩壊によって、世界の設定が「古く」なってしまっている。ECU(エキュー)も、もう覚えている人、知っている人が少なくなったのではないか。通貨としてのユーロが登場する前に各国の通貨から移行するための暫定的な通貨単位(兌換基準単位)としてたしかにECUというのがあった。
「ネット」についても同様で、テレックス、ファックス、電話、ビデオ電話、録画ビデオ通信、などの渾然となったものを「ネット」としている。方向としては、コンピュータ技術による通信と放送の垣根が消え、情報の流通が簡単になった社会ということでインターネットに近いのだが、そこまでのビジョンではない。だって、1988年だもん。光ファイバーや衛星回線を活用したり、ビデオグラス(サングラス状の即時通信型ビデオカム)が出てきたり、情報端末兼電話としての腕電話が出てくるなど、現在や近未来と近いものもある。腕電話なんて、今の日本の携帯電話上位機種とそっくりで、ID確認用などの機能も持っている。
 しかし、細菌培養による単細胞タンパク質の食料「スコップ」が健康食品として普及しつつあり、健康食品マニアにとっては農業によって生産される穀物や野菜が地球環境に悪影響を与え、なおかつ、自然毒(アルカロイドなどだ)いっぱいの危険な食品であると見なされていることや、肉食への忌避感など、現実には起きていない状況も語られる。
 スコップ中心の食生活…、いやだなあ。単調だろうなあ。いや、きのこや発酵食品は大好きだが、工業的生産だと衛生管理などといって、味が単調になるだろうから。私は、自然環境から生み出されるぜいたくな動植物菌類の食品が好きだ。おいしかったり、そうではなかったり、その間の様々な味と香りと色と食感のバリエーションが好きだ。グルソーや加工食品を使えば、毎回同じ味を出すことができるが、そんなものを食べたいわけではない。同じような調理でも、少しずつ違う味、それが楽しいのだ。
 っと、食論ではなく、SF論だった。
 もちろん、過去17年の変化を見れば、これから17年の変化で何が起こるかは分からない。
 石油の高騰、バイオエタノールやバイオディーゼルに対する「地球温暖化防止、二酸化炭素削減のための」志向などをみれば、グルタミン酸ナトリウムなどを生産している多国籍化学企業が単細胞タンパク質を健康食品として出しかねない勢いであることは確かだ。
 本書「ネットの中の島々」は、データ海賊という形で、様々なものが情報化されることで、個人情報、コンテンツ、経済情報が簡単に盗まれ、悪用され、闇の流通に化することを喝破している。また、情報過多の結果として、情報対象でなくなることで、現実が「ないこと」になってしまう恐れや、情報アクセスから遮断されることで、さらなる窮地に追い込まれる地域の人々が出るという危険性も予見している。それは、新たな戦争を生むのである。
 2007年の今、まさにそういう新たな戦争に満ちた社会にいる。この新たな戦争の形態は、表面に見える軍隊の派遣やテロ、戦闘行為よりも恐ろしいことかもしれない。
 ちょっとした過去を振り返り、ちょっとしたあったかも知れない少しずれた未来を見ることで、今と、少し先を考えることができる。その原動力になる力をSFという小説ジャンルは持っている。
 登場時に物議をかもした本作品、設定が現実の歴史の動きとは異なっているが、決してその価値が失われた訳ではない。
 もし、2023年に読むことができたら、もう一度、ちょっと過去を振り返り、ちょっと未来を見てみたいと、思う。


キャンベル記念賞受賞作品



(2007.1.31)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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