はるの魂 丸目はるのSF論評


光のロボット
THE ROD OF LIGHT

バリントン・J・ベイリー
1985


 1974年に発表された「ロボットの魂」の続編が11年後の1985年に発表される。主人公は、世界で唯一、意識を持つロボット・ジェスペロダス。かつては新帝国の要職を務めた身であるが、現在はロボットを排斥するボルゴル陣営を避けながら自由ロボットの世界を築きつつ、考古学者として過去の歴史や技術を発掘、研究している。
 そこに、世界最高の知性を持ち、ロボットに意識を持たせることができるであろうと宣言するロボット・ガーガンがあらわれる。ガーガンは、ロボットこそが世界を引き継ぐものであり、物質と意識を統合することができる存在であると確信している。
 果たして、ロボットに意識を持たせることができるのか? そして、人間はロボットによって支配される存在になるのか?
 自分に意識が備わっていることを隠しながら、ロボット・ジェスペロダスは人類とロボットの間で苦しむ。

 前作では、ロボットを用いて意識とは何かを問いかけたが、本書のテーマは明確に書かれている。
「ロボットたちは人間の魂を盗みはじめるだろう…人類が超意識を持つ機械システムの奴隷となった未来を想像することができる。人間の魂を収穫するためのみに生かされている未来」(180ページ)
 80年代を象徴するようなテーマである。人工知能についての関心が高まり、研究されることで、人間の「意識」についての科学的研究や大脳の働きについての研究も深まった。そして、人工知能に「意識」がやどる可能性について多くの人たちが関心を寄せ、それが芸術、文化にも影響を与えはじめた時期である。日本で言えば、これよりさかのぼるが漫画や映画で一大ブームとなった「銀河鉄道999」は、「機械人」対虐げられる「生身の人間」の対立軸として描かれていたし、何度も書いているが映画「ターミネーター」は人工知能による「マシン」の「人間」への殲滅戦であり、映画「マトリックス」は人工知能により「マシン」が「人間」を収穫するものとされている。
 本書「光のロボット」では、遠い未来の設定としてロボットと人間の対立が描かれ、そこに「意識」が重要な要素となっている。それを、ベイリーは、ゾロアスター教の光と闇の対立に重ね合わせ、精神と物質の戦い、終わりなき戦い、世界の二元的戦いとして描こうとする。このあたりに無理はあるのだが、時代の空気を感じる表現である。
 もちろん、本書「光のロボット」は、前作同様、物語は楽しく、おもしろい。今回は対人間ではないが、ロボット・ジェスペロダスが戦いの中でいくつもの旅をして、いろんなロボットと出会い、会話し、考えていく。その様がよい。ジェスペロダスはこの世界には他に存在しない意識を持つロボット、すなわち人間的要素とロボット的要素を兼ね備えた存在であり、その意味で影の王と言ってもいい。その永遠の生命を持ち、人間とロボットの将来を憂う王が、旅をして世界を少しずつ変えていくのである。これこそ物語の王道、ファンタジーで語られる王道ではないか。安心して読める作品である。

(2007.1.5)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
(スパム防止のため、全角表記にしています。連絡時は、半角英数にてお願いします)

作家別テーマ別執筆年別
トップページ