はるの魂 丸目はるのSF論評


ゴールデン・エイジ1 幻覚のラビリンス
THE GOLDEN AGE : A ROMANCE OF THE FAR FUTURE

ジョン・C・ライト
2002


 解説によると、本書「ゴールデン・エイジ1 幻覚のラビリンス」は三部作の1作で、そもそもは3作品あわせて1作品として執筆されたそうである。昨今の文庫は、以前に比べて文字が大きくなり、行間も広くなっているので一概には言えないが、本書で約630ページ。3作品が同じくらいの量だとすると2000ページ近くになるのである。ぐはっ。
 ということで、現在のところ、第一作しかでていないので、あまり感想などを書くべきではないのかもしれない。とりあえず読んだので、ほどほどにしておこう。

 遠い未来、主人公の「ファエトン・プライム・ラダマンテュス・ヒューモディファイド(オーグメント)・アンコンポーズド、インディプコンシャスネス、ベーシック・ニューロフォーム、シルヴァーグレイ・マノリアル派、エラ七〇四三(ザ・リアウェイクニング)」は約3000歳になり、新たな千年紀のはじまりを祝う祭りの中にいた。そのヴァーチャルな仮面舞踏会では、通常当然とされる相手の属性を示す識別のコードが使えない。ファエトンはハーレクインの格好をして舞踏会会場を離れ、小さな森と庭園を散策していた。そこに、不思議な老人、本来そこにいるはずのない海王星人、世界唯一の軍人が次々に彼の前にあらわれ、フェアトンと知ってか知らずか、彼に言葉をかける。
 フェアトンは、以前、この世界を危機に陥れるような重大な事態を引き起こしたという。それにより非難され、それにより英雄視される。しかし、フェアトンにはその記憶はない。自らの記憶を探せば、そこに大いなる欠落を見いだした。かれこれ250年ほどの記憶に欠落がある。この、すべてを記録し、データ化し、自由を謳歌する時代にそんなはずはない。この、超機械知性体に守られ、自らも超知性体となり、不死を獲得し、それぞれに独自の行動規範を持つ知性体で構成された社会に、誰かが誰かの記憶を削除することは許されないはずである。なぜ、彼には記憶の欠落があるのか? もし、それを起こしたとすれば、それは自身が決断したはずである。なぜ。そして、この不思議な件を追求するうちに、彼は、自身とその妻が一文無しであることを知らされる。世界でも有数の古く、有名で、かつ、大いなる資産を持つ父の息子である彼が持っていたはずの資産はすべて失われ、父の援助のみで生きていたのである。あったはずの彼の資産はどこにいったのか?
 フェアトンは知る。彼が記憶を取り戻すということは、彼自身にも、世界にも大きな影響を与えるということを。そして、彼は記憶を取り戻す代わりに、すべてを失うということを。
 フェアトンは、記憶を取り戻すのか? そして、フェアトンが起こした事件の真相とはなにか?
 3000歳の青年であるフェアトンの自分探しの旅を通して、私たちは遠い未来のまか不思議なありようを知る。それは、もはや人類とは言えないのかも知れない。しかし、人類的な思想や行動規範を持つ知性体であることは間違いない。

 この高慢で、自己満足で、自意識過剰で、自己愛に満ちたフェアトンの旅を、読者は好感を持って読むだろうか? それとも、フェアトンという主人公を卑下しながらも、この世界に引きつけられていくだろうか?
 もはや、この遠い未来の世界では、ひとりのフェアトンという属性に対する感情移入さえ許さないのだろうか。そんな小説が成り立つのだろうか?
 そもそも、このフェアトンの正式名称にみられる名前の長さと、それに込められる属性と意味をみよ。これは、英語であればおおよそ、なんとなく、雰囲気がつかめるであろうが、日本語で名前を書くわけにもいかなかったのだろう。カタカナ表記にしてある。本書「ゴールデン・エイジ1 幻覚のラビリンス」は、久しぶりに英語と日本語の言語的プロトコルの違いを意識させられる作品である。そして、アメリカSFらしい作品である。
 さて、あと2冊。私は読むのか? 読まないのか? どうする?
 一応、これは全部読んだけれども。そして、それなりにおもしろかったけれども。何より長いからなあ。

(2006.11.12)



TEXT:丸目はる
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