はるの魂 丸目はるのSF論評


闇の左手
THE LEFT HAND OF DARKNESS

アーシュラ・K・ル・グィン
1969


 ハイニッシュ・ユニバースに属する作品群のひとつであり、あまりにも有名な作品であり、古典であり、現代的価値を失っていない作品が、本書「闇の左手」である。高校の頃にこの作品に接した記憶がある。今、手元にある文庫もそのときのもの。以来、1度は読み直していると思うが、最後に読んでから20年は経っているだろう。
 人類連合体エクーメンにより惑星「冬」と名付けられた惑星ゲセンは、寒く凍てついた惑星である。そこには、遺伝子改変された人類が独特の社会をつくって生きていた。
 ゲセンには争いはあっても戦争はなく、政争はあっても虐殺はない。ゲセンの人々にはそのような考えは思いもよらない。完全な両性体であるゲセンの人類は、26日周期のゲセンの新月の頃だけ、ケメル、すなわち性分化する。先にケメルに入った者が男性となり、相手が急速に女性化する。もちろん、次のケメルのときに、逆になることもありうる。女性化したときに受胎すれば、妊娠し、出産する。ケメルの時以外は性衝動とは縁のない存在として惑星「冬」の厳しい寒さの中で、厳しさに耐えつつ、おだやかな生をすごす。
 大国であるカルハイドは、王政をとり、絶対的な権力を王が握るが、すべての情報は開かれている。もうひとつの大国オルゴレインは共産主義的共和制をとり、すべての人が平等だが、情報は閉ざされている。暦上、毎年が「一の年」として繰り返されるこの地に、エクーメンから使節であるゲイリー・アイが、惑星ゲセンがエクーメンに加盟するよう勧めるためにカルハイドに逗留している。両性体のなかに、常にケメルでいる変態者であり、異星人であり、異人として。

 ル・グィンの作品に登場する主人公達は、旅をする。厳しく、辛く、肉体的に困難な旅をする。そうして、そのなかで自分を見つめ、新たな自分を発見する。それは、誰かとの関係性であったり、自然との関係性であったりする。闇の左手は、光。光の右手は、闇。私の左手は、他者。他者の右手は、私。
 本書に出てくる両性体社会の構造や精神、あるいは、カルハイド国とオルゴレイン国の社会体制、愛国心という考え方についての議論などは、本書が書かれた時期を考えると、ル・グィンにしてはめずらしく時節を色濃く反映しているように思える。
 発表されたのは1969年であるから、その数年前からの国際状況やアメリカの国内状況を考えれば、暗喩として本作品があるという読み方ができるだろう。
 アメリカとソ連の冷戦。ベトナム戦争。赤狩り。ウーマンリヴ。ヒッピー。
 そんな生々しい1960年代の現実のなかから、ル・グィンは人間に信を置いた物語を紡ぎ、人々に驚きと希望、すなわち「闇の左手=光」を与えたのである。

 もはや表面的には世界は組み変わった。しかし、惑星ゲセンと同様にこの惑星「地球」でも毎年「一の年」が訪れていると考えれば、本当に世界は組み変わったのであろうか?
 仮に2006年の今本書が発表されたとしたら、本書は古い時代遅れの作品だと評価されず、人々の手に届かないだろうか。そんなことはあるまい。ル・グィンの、あるいは、他の新人作家の衝撃的な作品となったのではなかろうか。
 それは、世界は表面的には変わっても、約40年前と本質的には変わっていないことを示しているのではなかろうか。


ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作品

(2006.10.19)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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