はるの魂 丸目はるのSF論評


スターシップと俳句
STARSHIP & HAIKU

ソムトウ・スチャリトクル
1981


 昭和59年というから、1984年に翻訳出版されていて、古本として購入した1冊。
 新刊が出たときに、なんとなく触手が伸びなかった1冊。
 たしか、途中まで読んで放りだしていた1冊。
 2006年の今年の7月は、とにかく湿度の高い月で、気温は高かったり低かったりしたのだが、日照が少なくて、湿っていた。あちこちにカビが生え、私は喉を痛めて熱を出し、朦朧としながら、この本を手に取ったのだった。

 本物の鯨が泳いでいるのは見たことがない。
 鯨を食べたことはある。子どもの頃、家でも、学校給食でも出ていた。
 小型ハクジラ(歯鯨)のイルカ類ならば、海で泳いでいるのを見たことがある。

 鯨…ややこしい動物である。いや、鯨がややこしいのではなく、人と鯨の関わりがややこしいのである。
 第一次世界大戦から第二次世界大戦、そして戦後にかけての20世紀前半、鯨は世界中の捕鯨船団によって捕らえられていた。その主たる目的は油であったが、日本では主たる目的が肉の食用であった。いずれにせよ、日本が大きな船団を持ち、かつ、各国が捕鯨船団を放棄していく中で、引き続き、商業捕鯨を続けていたことは間違いない。それは、目的の違いによるものでもあったろう。安い油が手にはいるのならば、わざわざ捕鯨船団を出さなくても引き合うのだが、安い肉としての価値は代替されなかったからだ。
 このあたりが、現在も鯨と人との関わりを、とりわけ日本と鯨の関わりをややこしくしている。
 実は、私はある年のIWC総会に行ったことがある。IWC、すなわち国際捕鯨委員会である。毎年、各地で開かれ、商業捕鯨問題について国際的な決定をする国際会議である。
 主に、日本を中心とする商業捕鯨再開国と、商業捕鯨再開を認めないとする諸国、それに、主に捕鯨禁止を訴える国際NGOがその国に参集して、それぞれの主張のPR合戦をする。会議場の中でも外でも、国際NGOの反捕鯨アピールが繰り広げられる。
 ちなみに、2006年現在、伝統的、儀礼的な手法による一部の捕鯨を除いては、沿岸小型鯨類を除く商業捕鯨は再開を認められていない。それは、日本以外の国も同様である。
 日本は、1987年より商業捕鯨を中止しており、その再開を求めている。
 一方、日本は南氷洋や北西太平洋でミンククジラを中心にマッコウクジラ、ニタリクジラ、イワシクジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラなどを調査捕鯨として捕獲している。沿岸小型鯨類の捕鯨はツチクジラ、ゴンドウクジラ、ハナゴンドウクジラで水産庁が規制している。
 話がややこしいのは、日本側も、反捕鯨国、保護団体側の溝の深さから、論点の整理や議論ができる国際会議になっていないということである。
 ちなみに、ちょっとインターネット上で、web検索をかけてみれば、日本語で、様々な立場、視点から様々な主張やデータが出てくるであろう。
 今、私がそれに付け加える意見はない。

 その反捕鯨の議論が資源規制から環境保護などの視点から盛り上がったのが1970年代後半であり、本書「スターシップと俳句」もまた、その時期に書かれた作品として、色濃くある。
 ざっとストーリーをまとめると、近未来に核による世界大戦が起こり、地球は激しく汚染され、人類は滅亡の危機を迎える。そんななか、日本では、日本を舞台にしたハリウッド映画のような価値観での古典回帰が起こり、美しい自殺をすることが自らの誇りであるとの風潮が生まれていた。そんななか、ひとりの政治的リーダーの娘が、クジラとの交感を果たし、日本人は遠い祖先にクジラによってクジラの精神を受け継ぐ遺伝子操作的なものを加えられた「クジラの子孫」の要素を持つ人種であることを明らかにされる。
 そのことを知った日本人たちは自らの先祖殺しの不明を恥、せめてもの誇りをいだきながら死を迎えようとする。
 一方、人間と同様に滅亡を迎えようとするクジラに、クジラと人の未来を託された少女は、自らの死を願う意志を抑えて、残された星間宇宙船に乗り込むことを決意する。
 みたいな話だ。
 ハリウッド映画的日本像を、ハリウッド映画として、どんなに戯画化されていても楽しめるようになった21世紀の現在、本書「スターシップと俳句」の戯画的風景も、別に目新しくはなく、そういうものとして読むことができる。
 だからおもしろいかというと、ひとつひとつのシーンのおかしさは、ある。
 ただ、SFなのか? それとも、クジラは人類とは別種の高等知性体だという、反捕鯨論の中でも、反捕鯨を主張する人たちでも苦笑するような説のためのおとぎ話なのか?
 困ったものだ。
 作者ソムトウ・スチャリトクルは、タイ人であるが主にイギリスで教育を受け、英語が第一国語で、タイ語はのちに学んだ。東京を含む世界各国で暮らし、本書を書いた時期はアメリカを中心に暮らしていたらしい。
 単純に、ジャパネスクパロディとして、げらげら笑うのもよいだろう。
 なんだこれは! と怒るのもよいかもしれない。
 読み手によって、解釈はどうにでもとれる。
 作者は今、本書をどのように受け止めているだろうか。ちょっと聞いてみたい気もする。


(2006.7.24)





TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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