はるの魂 丸目はるのSF論評


知性化戦争
THE UPLIFT WAR

デイヴィッド・ブリン
1987


デイヴィッド・ブリンの「知性化」シリーズは、前著「スタータイド・ライジング」で、知性化されたイルカであるネオ・ドルフィンたちの活躍と、不思議な惑星の生命たち、そして人類よりもはるかに古い歴史を持つ銀河列強種族の独特の個性によってブリンと知性化シリーズへの注目を集めた。
「知性化」とは、この宇宙での知性獲得の過程を言う。知性とは天性のものではなく、進化の過程で一定の準知性体とでもよべる段階までに達したものを、すでに知性を獲得し、銀河宇宙のネットワークに参加した宇宙航行種族が発見し、彼らの主族として準知性体種族を知性化していくのである。すべての銀河航行種族達はすべて主族を持ち、列強種族は多くの類族を持つ。しかし、中には、知性化の過程で主族に放置された知性体が発見され、それは「鬼子」として再知性化がはかられる。
 250年前、人類は自ら宇宙航行技術を発見し、銀河社会と接触した。この知性化の流れを生みだしたとされる「始祖」以来、知識を増やしてきたはずの「ライブラリー」にも、人類の記録はなく、そして、人類は自ら知性を獲得したと主張した。その主張は受け入れられず、本来ならばどこかの主族の類族として位置づけられ、再知性化がはかられるはずであったが、人類はすでにチンパンジー、イルカを知性化しており、自ら主族となっていた。やむなく銀河社会は人類を独立した主族として認めた。その多くが、人類を嫌い、ごくわずかな異星種族が人類を好意的に見ていた。
 それから250年。「スタータイド・ライジング」では、初のネオ・ドルフィン中心の恒星船が、その探検航行中に、はからずも銀河種族のすべてが驚愕するような発見をしてしまう。銀河種族の中でも力の強い列強種族は、この宇宙船を追いかけまわす。そして、イルカ船は逃げ、隠れる。その過程で新たな発見をしながらも、地球や主族である人類と接触すらできない。いや、地球と、銀河社会から借り受けたいくつかの植民惑星がどのような状態にあるかすら分からないのだ。ただひとつ、彼らの最初の発見が、銀河社会の安定を乱し、大きな戦乱を招いたことだけははっきりしていた。
 そして、本書「知性化戦争」である。
 宇宙の同時性に意味はないが、ほぼ同時期、辺境の人類植民惑星ガースが舞台である。ガースの異星種族大使たちは一斉に惑星を離れようとしていた。すでに、地球が激しい戦闘に巻き込まれ、人類に好意を持つ種族と人類によって必死の防衛が行われており、他の植民惑星の動向は不明となった。もちろん、このガースでさえ、いつ、どの銀河列強種族によって攻撃を受けるか分からないのだ。
 惑星ガース。ここはかつてある知性化されたばかりの種族に引き渡され、その後彼らは知性を失い、惑星の生態系や将来知性化されたかも知れない動物たちをことごとく滅ぼしてしまった失われた惑星である。人類とネオ・チンプたちは、この惑星ガースの生態系を回復させることを条件にこの植民惑星を借り受けていた。
 そして、惑星ガースに、鳥類型の銀河列強種族グーブルーが、その類族とともに侵略を開始した。
 人類の惑星提督の息子と、人類に似た銀河種族ティンブリーミー大使の娘は、この緊張が高まる中、ある目的を持って、ガースの山中に旅に出る。そして、彼の親友、ネオ・チンプの若者は、死を覚悟して惑星防衛のために宇宙戦闘機に乗り込む。
 こともなく、グーブルーに侵略された惑星ガースで、若き人類、人類に似た若き異星人、若きネオ・チンプたちは、それぞれの思いを胸に、生き残り、銀河社会の中に名誉を勝ち取るためのはてしない冒険と闘いを開始する。
 ということで、本書「知性化戦争」は、数人の主人公の成長譚である。それと同時に、銀河社会の新参者であるネオ・チンプの種としての成長譚であり、生態系を蹂躙され、ここにふたたび侵略を受けた惑星ガースの再生の物語でもある。
 さらには、様々な愛、信頼、相互理解の物語でもある。
 人類の惑星提督の息子と、異星人の大使の娘というヒーロー、ヒロインの恋愛。
 ネオ・チンプという、人類に似ていながらも家族や相互関係がまったく異なる者たちの愛、相互理解、成長。
 いたずら好きで知られるティンブリーミーの大使と、きまじめ、頑固で知られるテナニンの大使が、ふたりっきりで惑星ガース山中を逃亡している道中に、精神的・言語的コミュニケーションが得られないままに相互の尊敬と理解を得ていく様。
 人類により知性化されたネオ・チンプ。彼らにとって、人類は庇護者でもあると同時に、口うるさい頭の固い親でもあった。
 種としての親子関係、あるいは、提督(母)とその息子の親子関係など、物語の王道が冒険の中に語られていく。
 この複雑な「知性体」関係に加えて、もうひとつ、生態系回復というキーワードがある。
 人類は、銀河社会に出会う前に、その唯一の生存の場である地球の生態系を崩壊寸前まで破壊し、多くの将来知性化したかも知れない種を絶滅させた。これは、人類とその類族であるネオ・チンプ、ネオ・ドルフィン共通の秘密である。
 惑星ガースを再生させるのは、人類にとっての贖罪であり、ネオ・チンプにとっては自立への道であった。
 相互理解と生態系を物語の柱にしながら、物語は、宇宙戦争あり、山中でのゲリラ戦あり、スパイあり、大立ち回りあり、なぐりあいあり、秘密あり、いたずらありと、エンターテイメント要素も充実である。
 さらに、結局のところ事件の解決はしなかった「スタータイド・ライジング」と違い、本書「知性化戦争」のラストは、まさしくハリウッド映画そのもの。活躍した彼らが大団円を迎える。映画シナリオといっても通りそうな話である。
 もちろん、ここには書けない、読んだ人だけが知ることのできるきわめつけの痛快なオチもある。そして、ブリンが言いたかった言葉が、最後の最後に素直に語られる。
「……生というものは、公正なものではありません」(中略)「公正だという者、公正であるべきだという者は、愚か者の名にも値しません。生は残酷たり得ます。(中略)宇宙でひとつでもあやまちを犯せば、冷たい方程式によって切り刻まれてしまいますし、うっかり歩道からとびだせば、バスに轢かれてしまうこともあるのです。
 ここはあらゆる惑星のなかで最良の星ではありません。もしそうだったなら、筋が通らない。暴逆は? 不正はそんざいしないのか? 進化でさえ、多様性の源泉でさえ、自然そのものでさえ、きわめてしばしば過酷な過程となり、新たな生命の誕生は死の上に成立しているのです。(中略)しかしながら、公正ではないとしても、少なくとも美しいものではありえます。(中略)このすべてを護りきってこそ、私たちは幸運だといえるのです(略)」(ハヤカワ文庫SF 初版575ページ〜)
 このあとに続く言葉こそ、若者の冒険譚をたんなる冒険活劇に終わらせないブリンの本領がある。
 ハヤカワ文庫SFで上下巻1100ページあるのだ。邦訳発行は1990年だから、今よりも1ページあたりの文字数は多い。
 冒険から哲学まで何でも詰め込める一大スペクタクルである。
 最初の宇宙戦を除けば、惑星ガースからは一歩も外へ出ない。じっくり、しっかりと物語を楽しんで欲しい。
 そうそう、ところで、「スタータイド・ライジング」で行方不明になったイルカの探検船ストーリーカーは、どうなってしまったのだろう。本書「知性化戦争」でも、この船の行方は誰も知らないままであり、その後の「知性化の嵐」シリーズを待たなければならない。


ヒューゴー賞受賞

(2006.05.18)





TEXT:丸目はる
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