はるの魂 丸目はるのSF論評


黙示録3174年

A CANTICLE FOR LEIBOWITZ

ウォルター・ミラー
1959


 1980年代に広島市に住んでいた。2005年の今はどうかわからないが、当時、NHKテレビやラジオをつけていて、広島ローカルの時間になると、「被爆当時、○○町に住んでいた○○○○さんのことを確認できる方を探しています」といった内容の放送がなされていた。被爆者健康手帳申請などのためであるが、1945年から40年経っても原子爆弾による放射線障害をはじめとする傷跡は、原爆ドーム以上の現実として存在していた。8月6日からの数日、広島の町を散策すれば、何も標識のない道ばたや路地にしゃがみこんで祈っている人の姿があった。
 私が広島市を離れてからも15年が経っている。今年は、1945年から60年となる。その年に生まれた人も60歳である。被爆二世も60歳となる。

 冷戦終結後、全面核戦争の脅威は去ったかのように、人々は安心しているが、世界にはいまだに全人類を殺してもあまりある核兵器が配備されている。陸に、海に。そして、ないはずの日本にさえ。
 今や超大国となった某国は、「正義」の鉄槌に、「劣化ウラン弾」というさも通常兵器のようなふりをした、核分裂反応による脅威はなくても、確実に長期的に人々に癌などをもたらす放射性物質をふりまいている。私を含めた人々は、その「正義」の正しさの前に、人々が人により殺されているのをただテレビの前で傍観している。
 どうも、私は「核兵器」のこととなると感情的になるきらいがある。それは、ただ人を殺すだけでなく、人と生命系に崩壊と混乱をもたらすからである。

 さて、本書「黙示録3174年」は、冷戦のさなか、第三次世界大戦や全面核戦争の脅威が現実のものとして感じられた1950年代に発表された、核戦争の後の世界を描く作品のひとつである。同様のテーマの作品としては、「渚にて」(1957 ネビル・シュート)が有名である。「渚にて」では、核戦争直後の世界を描いているが、本書は、大戦後6世紀、12世紀、18世紀後の世界を描いている壮大な物語である。
 本書「黙示録3174年」は、1971年に創元SF文庫として邦訳されている。私は、1979年の第10版を手元に持っている。おそらく、80年か81年頃に購入していて、その頃は熊本県の山の中に住む高校生だった。本書「黙示録3174年」は、光瀬龍の本のタイトルのように年号を後ろにつけたタイトルであり、そのかっこうよさと、核戦争後の世界という釣り書きに惹かれて読んだのだが、内容がキリスト教の話にしか読めなかったため、一度通読はしたものの、流し読み程度で放置していた。今回がはじめての精読である。購入してからはや25年が経っている。

 本書「黙示録3174年」は3部構成になっていて、全面核戦争は、1970年代に起こったことになっている。第一部「人アレ」がそれから6世紀後の2570年頃で、第二部「光アレ」がさらに6世紀後の3174年頃、第三部の「汝ガ意志ノママニ」がそれから6世紀後の3781年頃である。原題は、「リーボウィッツへの詠唱」といったところで、リーボウィッツ修道会の歴史を通じて語られる未来史である。リーボウィッツは、全面核戦争時の科学者で、全面核戦争後、わずかに残った人類の間に焚書運動が起きる中で、知識の保存(文書の保存)のために、キリスト教の一修道会に帰依し、尽力した人の名前である。
 第一部では、リーボウィッツ上人が聖人になる過程、全面核戦争後6世紀を過ぎて、過去の知をすべてなくし、日々を生きる中で、その意味すら分からないままにもリーボウィッツの意志を守る修道会の姿が描かれる。
 第二部では、全面核戦争から12世紀を経て、力を持つ国による世界の統合への試みがはじまり、同時に、知の再発見と科学技術の萌芽がみられた時代を描く。リーボウィッツ修道会に守られている文書が真のものであり、科学の発展に寄与することが、その時代の科学者によって明らかにされる。
 そして、第三部、全面核戦争から18世紀を経て、ふたたび人類は、全面核戦争の時代を迎える。超大国同士が宇宙時代を迎え、互いに覇権を競って究極の我慢比べをはじめ、ついに、同じ結末を迎える。より徹底的に。そして、一握りの宇宙に出て行った人たちが、人類の唯一の希望となり、キリスト教にとっての希望ともなった。

 本書は、宗教または哲学と、科学または権力との対話の物語であり、今も失われつつある人類へのレクイエムでもある。キリスト教の思想や宗教観が分かっていると、この作品のおもしろさ、ユーモア、ブラックユーモアがよりよく理解できるだろうが、残念ながら、そのあたりは想像するしかない。ただ、それが分からなくても、おもしろく、かつ、いろいろと考えさせられる作品であり、今日的な作品価値はまったく減じていない。むしろ、国が大国化し、超大国化していくところ、科学技術が、自らの志向性を持ち、「人のため」「便利さのため」という部分的志向性によって人の存在を破壊していく傾向を持つことなどを、宗教的な対話によって喝破しているあたりは、911以降の今こそ読んでほしい作品である。といっても、別に説教くさくはないからご安心を。

 本書では、SFとしての新しい技術や道具といったものは登場しない。なんといっても物語のはじまりが全面核戦争で文明が崩壊して6世紀後の混乱した社会であるのだから。それでも、未来を積み重ねていく手法は、伝統的なSFそのものである。「渚にて」よりもSF的色彩は強い。「ポストマン」(デヴィッド・ブリン)もいいけれど、本書「黙示録3174年」もぜひ読んで欲しい。

ヒューゴー賞受賞

(2005.11.19)





TEXT:丸目はる
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