はるの魂 丸目はるのSF論評


スチール・ビーチ

STEEL BEACH

ジョン・ヴァーリイ
1992


 SFはひとつの文化体系である。ときおりそのことを強く感じさせる作品に出会う。過去のSF作品をオマージュしながら、独自の拡張と解釈を加え、新たな視点を提示して、読者を喜ばせ、考えさせる。一歩間違うと二番煎じと呼ばれ駄作となる。しかし、ひとたび受け入れられれば、それは不朽の名作となる。
「ハイペリオン」がいい例であろう。本書「スチール・ビーチ」もまた、同様に評価されてもいい作品だと思うのだが、残念なことに、絶版となっており、再版が望まれる。

 本書「スチール・ビーチ」は、ジョン・ヴァーリイが70年代に構築した「八世界シリーズ」とほぼ同じ未来の歴史的、社会的状況で描かれている。登場人物にも同じ姓名がいる(ようだ)。しかし、作者があとがきに書いたように、本書は「八世界シリーズ」のようであるが、そこに属してはいない。言ってみれば、ヴァーリイが生みだした「八世界」という未来の「もうひとつの世界=平行世界」である。つまり、ヴァーリイは、面倒くさいという一言で、人気あるひとつの未来史のもうひとつの世界を軽々と描いたのだ。その微妙な世界の違いが本家を知るものに、微妙なずれを感じさせる。もちろん、本書ではじめてヴァーリイや「八世界」に触れる人は、その「ずれ」を感じることはないが、それで本書の魅力が減じるわけではない。古くからのSFファンならば、随所にハインラインの影と、ハインラインに対するヴァーリイならではの回答を見つけることができる。

 本書の舞台は、月世界である。地球はインベーダーに侵略され、月に生きていた人たちだけがなんとか生きのびた。そして、太陽系内の惑星や衛星に新しい世界を開いていった。インベーダーに侵略されて200年を迎えようとする月社会。主人公は敏腕ゴシップジャーナリストのヒルディ。ふだんの彼はルナの芸能社会を飛び回り、ゴシップやささやかな事件をセンセーショナルな記事に変え、休みともなると17世紀後半のテキサス通りの生活ができる西テキサス・ディズニーランドで丸太を切り、パブでカードゲームを楽しむ生活。しかし、彼は突発的な自殺癖があり、そのたびにCC(セントラル・コンピュータ)によって命を救われ、自殺した事実をヒルディからも隠していた。
 酸素や水をはじめ資源の限られたルナ社会で、CCは彼らの電話であり、ネットであり、命綱であり、日常は意識しない心臓や内臓のようなものであった。ナノテクノロジーのおかげで、ルナの人々すべてがCCにリンクしており、CCもまた、本体の装置部分を超えて、すべての人々をリソースや、メモリとして利用し、自らを拡張していたのだ。
 ヒルディは何度目かの自殺の後、CCが作り出したヴァーチャルリアリティ空間に置き去りにされ、主観時間1年を過ごし、その後、CCと哲学的な会話を交わす。愛とは、生きるとは、人生とは、そして、なぜ自殺が増えているのか…。CCは告白する。「私も自殺願望にとりつかれている」と。
 そんなある日、ヒルディはちょっとした記事が高く売れたためそのお金で気分転換に25年ぶりに女性になる。旧知のデザイナーに身体をいじってもらい、変身! 妊娠も出産もできる生物としての女性である。名前はそのまま「ヒルディ」。
 記者も休業して、テキサスに引っ込み、女教師をはじめたヒルディ。しかし、狂いかけたCCと昔の仲間たちはほっておいてくれない。
 ルナに何がおきているのか? CCに何が起きているのか? そして悲劇と希望が幕を開けた。

 自意識を持ったセントラル・コンピュータ、ナノテク、長命技術、性転換、男/女/中性、ルナという洞穴社会が人々の考え方、行動を変え、新しい社会様式を(好むと好まざるとにかかわらず)生みだしていく。
 暴力、セックス、ドラッグ、恋愛…人間社会のありきたりなできごとをつらねながら、環境条件と社会、技術と人間の関わりをエンターテイメントとして問いかける好著である。

 とにかくおもしろい。古本屋でさがしてでも読む価値あり。

(2005.06.27)





TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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