はるの魂 丸目はるのSF論評


われら顔を選ぶとき

TODAY WE CHOOSE FACES

ロジャー・ゼラズニイ
1973


 本書は盟友「電気羊使い フィリップ・K・ディック」に捧げられている。ディックの初期の長編は、わかりやすそうなSF的小間物(テレパシーとか、宇宙船とか、火星とか、タイムトラベルとか)で、わかりやすそうな感じの話なのだが、実は、読者も、あるいは、ディック自身も裏切って、論理的な破綻を引き換えに、その小説に関わる者が「自己とは」「存在とは」「現実とは」という、疑う必要のないことを疑いはじめるようにしむけていく。当然、小説の主人公たちもそれを疑うことになり、悲惨な目に遭いながら、なんとか小説の主人公や登場人物としてふるまうのである。
 その小説の中の登場人物と世界に、読み手である読者は自らの存在や現実までが引き込まれ、解体されるような気持ちになってしまうのだ。
 一方、本書の作者であるロジャー・ゼラズニイは、まったく違う。彼は、きわめて冷静に、数学的に、あるいは、きわめて計算された文学的に小説を書き、読者に提示する。
 だから、よく分からないままに小説世界には入り、読み終わり、一巡して、頭に戻り、そうして、ようやくタイトルの意味に気がつき、その小説世界の混沌と論理にはたと気がつくのである。
 だから、読者は解体され、破壊され、再構築される必要を感じない。
 まあ、たいていのSFはそうである。
 ディックの方が特殊なのだ。
 では、どうしてゼラズニイに対してだけこういうことを書いているかというと、本書の3年後にディックとゼラズニイは共著でSF「怒りの神」(サンリオSF文庫)を発表している。このサンリオ版の解説を読むと、ディックが「怒りの神」を書き始めていたが、神学の知識の不足を感じて、1968年にゼラズニイと会い、協力を依頼、以後、ふたりで交互に書き、12年をかけている作品である。
 ちょうど、本書は、「怒りの神」が完成に向かいつつあり、なおかつ、ディックが、彼の後期である神学的体験を小説化しはじめた頃の作品なのである。しかも、ディックに捧げられている。
 であれば、ゼラズニイは、他のすべてのSF作家の中でもっともディックに近い者として、ディックとの本質的な違いを語られることはいたしかたない。

 もちろん、ゼラズニイは、作品中で「不死」「死と転生」「人類の成長と、外部的要因(上位にある異星人等の存在)との対決」「善と悪の対置」をテーマとして選び、提示することが多い。本書もまた、これらのテーマを料理した作品であり、完成度が高く、それゆえに、読みにくい作品でもある。手元にある本書の文庫初版、昭和60年(1985年)の帯には「傑作アクションSF! 未来を賭した死闘!」とある。嘘ではないが、そんなにドラマ性は高くない。とにかく、全部読んで、もう一回振り返って、なるほど、こういう作品だったか、と膝を打つような作品である。80年代だからこそ翻訳された作品という言い方もできる。この頃は、ディックの作品も次々と邦訳されていたのだ。

 ストーリーを振り返ると、
 1970年代、ファミリーのボスであり殺し屋だった男は、コールドスリープによって未来に再生した。宇宙時代を迎え、ファミリーは合法的な大企業グループに成長していたのだ。しかし、そこでも彼が目覚めさせられたのは、彼の能力を買ってのこと。他の惑星にいるライバル企業の代表者が邪魔だったからだ。ライバル企業の代表者は、違法な方法で自らを機械と連結させ、その高い能力でファミリーの事業を妨害していた。
 男は、敵を叩くために、その惑星に出向く。
 しかし、その間に、地球は戦争となり、人類はいくつかの惑星系にいる者たちをのぞいてほぼ壊滅状態になってしまった。
 さらに未来。人類は、閉鎖された広大な「家」の中に閉じこもり、勢力を拡張することも、星を追い求めることもなく、安穏と生きていた。死ぬと精神を「ファミリー」に転移することで不死的な存在となった一族が、その人類を見守り、再び競い合い、お互いを滅ぼすことのないように注意深く見つめていた。
 だが、その「ファミリー」がひとり、またひとりと殺されていく。
 「敵」のねらいは? 「敵」の存在意義は?
 といったところか。

 人類は、誤解や間違いを起こし、戦争や破滅的な行為をするかもしれないが、誰かに管理されたり、牙を抜かれて競争や進取の精神を失うようでは人類とは言えない。星へ、未来へ、生へと突き動かされたように生きることで、人類は種として広がり、成長するのだ、という、すべてのSFが前提として持っているようなことを、ゼラズニイは本書で、意識して再構築し、読者に提示しているのだ。
 そういう意味では、SFのひとつの形として、本書はうまくまとまった1冊かも知れない。

PS 翻訳者は故・黒丸尚さん。お得意の漢字の横にカタカナでルビがあふれていて、とてもすてき。英語文化圏背景がないと読みにくい小説をできるだけ読みやすくしようとしている故・黒丸さんの翻訳文の一作品である。

(2005.4.27)





TEXT:丸目はる
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