はるの魂 丸目はるのSF論評


アグレッサー・シックス

AGGRESSOR SIX

ウィル・マッカーシイ
1994


「バベル−17」(サミュエル・R・ディレーニイ)を再読して、本書に臨む。なぜかといえば、解説に「宇宙の戦士」(ロバート・A・ハインライン)、「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」(オースン・スコット・カード)の世界に通じ、本書の後半では「バベル−17」を彷彿とさせるとあったからである。他の3冊はすでに再読していたが、「バベル−17」は本書のために読み直したようなものだ。

 それはさておき、宇宙戦争である。西暦でいうところの3380年のことだ。人類は、光速に制限されない即時通信システム「アンシブル」を使ったいくつもの星系での人類社会ネットワークを築きつつあった。しかし、植民地時代、長期の帝政を経て、人類の経済社会は衰退を迎え新たな開発意欲さえ失われつつあった。
 そこに、人類世界を圧倒的な武力で攻撃するウエスターが植民地星系を襲いはじめた。彼らは太陽系星系にまさに迫ろうとしている。降伏も、抵抗も意味をなさず、コミュニケーションすらとれない。ただ、彼らが人類社会を破壊し尽くそうとしていることだけは間違いない。
 人類社会は通常の社会生活をすべて停止し、絶望を持ってただひたすら戦い、人類がどこかの星系でいつか生きのびることだけを願って最後の戦いに挑もうとしていた。
 その戦いのひとつの試みとして結成されたのが、アグレッサー・シックス、すなわち敵情調査班6である。6とは、6つの生命体のこと。わずかにとらえることができたウエスターから得られたのは、ウエスターがひとりのクイーン、ひとりのドッグ(メスの小型の生命体)、ワーカー2人(オス)、ドローン2人(オス)を1セットとして成り立っていることであった。彼らの言語を解析し、彼らの見え方、考え方を通して、彼らの行動原理をつかみ、降伏による攻撃中止か、彼らを攻撃するための有効な手段を考えるため、アグレッサー・シックスが結成された。
 軍内部の硬直したシステムに悩まされるメンバー、ドローンのひとりになったケネス・ジョンソン海兵隊伍長はもっともウエスターの精神になりきり、そして、同時に精神を病んでいた。はたして、ジョンソンの思考は、ウエスターをなぞっているのか、それとも、先に敵戦艦に特攻的に乗り込み激しい戦闘を体験したことから生まれた精神異常による妄想なのか?
 絶望的な状況下で、追い込まれた人々が、あがきつづける。いったい、何が真実で、誰を信じればいいのか? その前に人類は絶滅させられるのか?

 90年代のSFである。
「バベル−17」は、60年代、70年代のニュー・ウェーブSFの申し子のような作品であった。テーマをはっきりさせ、そのテーマを陰に陽に浮きだたせながら物語をすすめ、読者にたとえそれが荒唐無稽であっても新たなパラダイムを提示する。そんな力を持っていた。
 それに対して、本書は、90年代である。もう、みんな驚くことがなくなってしまったのだ。パラダイムは提示されるものではなく、好き勝手に選び取るものとなり、コミュニケーションが頻繁になるとともに言葉は互いに通じなくなっていくという言語と関係の解体がすすむなか、物語の力が復興するための力を発揮するには至っていない頃である。
 ぶっちゃけて言えば、軽く、気持ちよく、読んでおきなよ、だ。
 設定はきちんとしている。難しく読むことだってできる。いろんなSFの影を感じる。
 SFファンには楽しい作品だ。悪くない。SFのおもしろさを、純粋に楽しめるのが90年代SFのよさである。近年のハリウッドSF作品にも通じる軽さが心地よい。

 メモ:本書でも出てくるアンシブルは、光速の制限をもつSFに使われることが多い。なんらかの手段で、情報の双方向通信だけは光速の制限を超えるため、情報だけは遠くの星系間でやりとりすることができる。ただし、たいていの場合、両方に送受信装置を設置する必要があり、たとえば、20光年離れたところにアンシブルを設置するためには、機械なり人間なりが20光年物理的に(光速の制限を受けながら)旅をしなければならない。
 アンシブルを開発したのは、アーシュラ・K・ル・グインである。すでに多くの作者に使われ、即時通信システムの代名詞ともなっている。

(2005.04.20)





TEXT:丸目はる
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