はるの魂 丸目はるのSF論評


ソフトウェア

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ルーディ・ラッカー
1982


 数学者、SF作家で、価値観破壊者のラッカーを深く印象づけた作品である。はじめて読んだときには、ぶっとんだ。ちょっと古いが、吾妻ひでおが「不条理日記」を発表し、とり・みきをはじめ、SF界、漫画界に衝撃がはしったときと同じような印象だ。出版されたのは、1989年で、サイバーパンクという言葉が市民権を得たころのことである。もちろん、本書は、サイバーパンクには位置づけられていないが、サイバーパンクとディック的な世界の融合をみせる独自で特異なラッカーというジャンルが存在することを世に示した作品である。

 文体は、りんりん。
 内容は、老人達が住む町に、月から人間そっくりのロボットがやってきて、人間になりかわってみたり、脳みそからデータをすいとってみたりしている。主人公のひとりは、ロボットに突然変異と適者生存を取り入れ、あげくにロボット三原則を解き放ち、自立を達成したロボットのラルフ・ナンバーズを生み出した元科学者のじじい。脳みそをすりつぶされて、ロボットの中に転生する。もうひとりの主人公は、ラリラリの青年。ドラッグ大好きのステイ=ハイで、月の博物館で生まれたてのハッピ外套、明滅被服のハッピー外套を首と頭の回りにまきつけたところ、あらま大変、ロボット達と会話も交わせる、時間も分かる、頭もすっきりしちゃう。結局はハッピー外套が殺されて、またいつものラリラリに後戻り。
 ラルフ・ナンバーズは、ヒューゴー・ガーンズバックの「ラルフ124C41+」からとったものだろう。もっとも、124C41+は人間だが。ハッピー外套は、ブライアン・オールディーズの「地球の長い午後」に出てくるアミガサタケそっくり。「地球の長い午後」のときにも書いたが、この体に巻き付いて針を神経系に入れ、その結果、宿主の知能を向上させるというアイディアはSFの伝統芸になっている。
 このふたつの例に限らず、アジモフのロボット物をはじめ、過去のSFへの愛とオマージュにあふれた作品である。もちろん、お上品な愛とオマージュではない。ラッカー文体と、1970年代ヒッピー文化、サイケデリックのテイストあふれるセックス、アルコール、ドラッグ、暴力に満ちた内容が、ねじくり、こねくりまわしている。
 だから、すうっと楽しめる。
 ディック的な世界なのだが、ラッカーにかかると、重さも暗さもない。
 楽しいぞう。
 ちなみに、本書の舞台は2020年、ロボットが叛乱を起こしたのは2001年である。
 でもって、2020年の世界は、
 “老人が多すぎる。この連中の人口突出が、四〇年代と五〇年代にはベビー・ブームをもたらしたのだし、六〇年代七十年代には若者革命、八〇年代九〇年代には大量失業を招いた。今や、時間の情け容赦ない蠕動運動によって、この人類の塊が二十一世紀に運ばれ、どんな社会も出会ったことのないような老人の大荷物になっている。
 この連中は、誰も金を持っていない−ギミイは、すでに二〇一〇年には社会保障を使い果たしてしまった。えらい騒ぎだった。新種の高齢市民が現れたのだ。フィーザー−異常爺婆(フリーキー・ギーザー)だ。”(22ページ)。ギミイは政府のようなもの。
 ラッカーは、1946年生まれ。日本でいうところの団塊の世代である。日本でもそうだが、アメリカでも世代の人口突出は問題なのである。日本の団塊の世代は、80年代には落ち着いてしまい、比較的お金のある世代になっているけれどね。社会保障の将来は似たような者になるかも知れない。

 本書の中で、ロボットが破壊されて死に、別の機体にデータやプログラムなどをダウンロードして再生するシーンと、人間が脳みそから記憶をはじめ人間のソフトウエア群を抜き取られて死に、ロボットにダウンロードされて再生するシーンが出てくる。そこでは、再生されると忘れてしまうが、「存在」として生命の個と全体がある。ハードウエアはその入れ物であり、ソフトウエア(プログラムと記憶など)はその表現に過ぎないとラッカーは提示する。「全体はひとつ」である。
 生命のありようについては、多くのSF作家が、その哲学、死生観、宗教観などに沿って様々なものを提示する。SFのいいところは、科学技術や地球とは異なる状況を表すことで、生命の本質について一般の文学よりもわかりやすく、可能性を表現することである。
 あなたは、脳みそをすりつぶされて、機械の体にデータをダウンロードされても、あなたであり続けるだろうか。


(2004.08.01)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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