はるの魂 丸目はるのSF論評


終わりなき平和

FOREVER PEACE

ジョー・ホールドマン
1997


「終わりなき戦争」の続編のようなタイトルだが、続編ではない。1974年に書かれた「戦争」は、星間戦争であり異星人との戦いであるが、「平和」の方は、地球人同士の戦争である。時代は21世紀半ば。アメリカを中心とした連合軍は、ナノ鍛造機により、強大な軍事力、経済力を誇っていたが、「反乱勢力」のゆるやかな同盟ングミ軍との間で終わりなき戦争を続けている。
 本書で出てくる第一の技術は、ナノ鍛造機である。
 ナノ鍛造機は、兵器、機械、食品、ダイヤモンドなどの奢侈品など、あらゆるものを製造できる。しかし、ナノ鍛造機の製造と管理は厳しい管理下におかれ、アメリカを中心とした連合国の経済と統合の鍵となっていた。
 そして、ナノ鍛造機の生産を制約することで政府は統制をとっていた。アメリカなどの社会は、“戦時下”におかれており、軍人以外はポイント制による厳しい配給制が敷かれていた。情報は統制され、政府は調べようと思えば、衛星や監視カメラを使って人の行動をトレースしたり、メールなどを差し押さえることができる。そして、政府は軍の実質的支配下におかれていた。豊かで「自由」な管理社会である。
 そこには新興宗教もはびこる。“人類はもうすぐ神によって破滅させられると信じて”いる終末信徒である。その中でも、神の鉄槌派は、「自分たちはそれを手助けするために呼び集められた」と信じており、大学など様々なセクターに潜んでいる。
 この戦争を、ホールドマンは次のように定義している。
“自動機械にささえられた経済を経済を享受する“持てる者”と自動的に生み出される富などもたない“持たざる者”との経済戦争という面もある。また黒人人種と褐色人種と一部の黄色人種が構成するグループと、白色人種とその他の黄色人種が構成するグループによる人種戦争という面もある。”“思想的戦争という側面もあった−−民主主義の守護者と、反乱勢力の強権的カリスマ的指導者の戦いか。あるいは資本主義に染まった土地の収奪者と、人民の保護者の戦いか。どちらの見方も成り立つだろう”。
“しかしこの戦争に明確な終結はありえない”。
 つまり、終わりなき戦争である。

 ここまで書いて、現実の21世紀初頭の世界がどうしてもだぶってしまう。
 911、テロへの戦い・アフガン軍事行動、イラク戦争、アメリカの愛国法、報道規制、宗教・産業・軍が一体になったかのようなアメリカ政府。各地で起こる作られた紛争。日本国内でも、軍のイラク派遣に対して反対のチラシを軍の居住エリアに撒いたことで、不法侵入に問われて裁判まで拘留され続ける市民、NGOメンバーがイラクで誘拐され、犯人ではなく、被害者が激しい非難にさらされる情報操作。世界中で煽られる対立と憎しみ。
 そして、アメリカや日本の日常の豊かな快楽と平和。
 本書は、1997年に出版されたものであり、あたりまえだが、このような状況はすでに存在していた。そのわずかな延長上の物語である。

 もうひとつの技術は、頭蓋ジャックによるヴァーチャルリアリティと精神の共有。頭蓋に穴をあけて、ジャックで接続する。ヴァーチャルリアリティ空間にいることができる。そして、全感覚、知覚を仮想空間で体験できる。複数の人間が同じように接続されると、その記憶、体験、精神までも共有される。
 この技術は、正規には軍で使われている。徴兵された「機械士」は頭蓋ジャック手術を受ける。機械士は、頭蓋に取り付けたジャックを通して、遠隔歩兵戦闘体ソルジャーボーイというマシンを操作する。ソルジャーボーイは、人体型の兵器で、これを遠隔操作するのだ。いや遠隔操作ではなく、ソルジャーボーイに乗り移る。
 さらに、機械士は、10人が1個小隊で、彼らはそれぞれのポッドの中でジャックインするたびに、全精神を共有する。“完全な精神移入状態では、おれたちは二十本の腕、二十本の足、十個の脳、五つのペニス、五つのヴァギナをもつ生きものになる”。
 個々のソルジャーボーイであると同時に、10人の共有精神体であり、小隊長は上司とつながり、他の小隊とも“浅い”精神移入でつながっている。  これが、連合軍の究極の兵器である。
 主人公のジュリアン・クラスは、ブラボー中隊の中の小隊長。10日間は連続してソルジャーボーイになる。その前後を含めた当直期間がすぎると、大学に戻り、物理学博士として研究や授業を行い、15歳年上の元指導教官をセックスフレンド兼親友にしている。
 大学周辺では自転車を乗り回す、普通の暮らし。軍では、究極の兵士として前線に出て、アメリカにいながら、10人の共有精神となり、コスタリカで敵兵を殺し、村長を誘拐し、作戦を実行する。機械士も死んだり、発狂したり、また、攻撃を受ければ痛みや苦しみを味わう。脳と肉体には激しい負荷がかかっているのだ。
 さて、物理学界は大変な興奮状態にあった。木星の軌道上にナノ鍛造機を使って粒子加速器をつくり、大離散(ビッグバン)直後の状況を再現しようというジュピター計画が進んでいた。それが、まもなく完成し、始動するのだ。
 ところが、ここから事件が起こる。それは、戦争とは関わりなく、このジュピター計画に潜む宇宙全体に影響を与える可能性であった。
 ジュピター計画を止めるためには、その危険性を無理矢理に認識させなければならない。そのために主人公を取り囲む科学者らが考えついた作戦は、戦争を終わらせ、そして、人類を変容させるものになっていく。その作戦をホールドマンは、究極の共感を持つ者として、“人間化”という言葉をあてている。
 それが皮肉なのか、彼の願いなのか。それともどちらでもあるのか。

 本書は、ナノテク、ヴァーチャルリアリティ、現代の戦争を描きながら、「幼年期の終わり」(アーサー・C・クラーク 1953)「ブラッド・ミュージック」(グレッグ・ベア 1985)年のような人類の変容までを描こうとした作品である。
 はたして、ふたつの名著と並ぶものになるかどうかは分からない。
 また、一人称と三人称による視点の使い分けで構成されており、その読みにくさは、意図的とはいえ、人によっては読む意欲を損なうかも知れない。あまりにも1冊に詰め込みすぎていて、どれも中途半端な感じを受けている。だから、論も長くなってしまった。
 すでに21世紀初頭にいる私にとって、「締まった」物語ではないのだろう。
 ちなみに、「終わりなき戦争」はハヤカワ、本書は創元から出版されている。
 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ジョン・W・キャンベル記念賞受賞。


(2004.5.9)



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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