はるの魂 丸目はるのSF論評


斜線都市

SLANT

グレッグ・ベア
1997


「女王天使」「凍月」「火星転移」と同じ世界の物語である。「女王天使」が2047年、「斜線都市」本書は8年後の2055年が舞台となり、「女王天使」の登場人物が新たな役割を持って登場する。
 テーマは、なんだろう。
 家族? 同族意識? 存在・意識がどこかに所属することの意味? 原著名は、「/」。日本語ではスラッシュと呼ぶ、あれである。男/女、精神/身体、個人/社会、切り離すもの/切り離されるもの、つなぐ/つながれる。「/」は、言語学や人類学でよく使われる記号である。「する/される」関係であったり、何かを区分するのに使われる。それは、分けるものであり、つなぐものでもある。
 自意識を持ったはじめての人工知能「思考体」に接してきた、似ているが異質な別の思考体。その異質さゆえに、おびえ、かつ惹かれる思考体ジル。新たな思考体は、バクテリアや社会性昆虫などのネットワークを、神経系としてとらえると、コンピュータおよびネットワークとして利用できるという仮説から生まれた存在。スズメバチ、アリ、バクテリア、土壌微生物のかもしだすコンピュータであり、思考体となる。
 セラピーによる神経系の改変、再統合が当たり前の社会。医療ナノによる身体治療と身体改変が行われる社会。視覚や聴覚だけでなく、感覚系や運動系にまでインプットを与えることで、疑似体験が可能なYOXにおぼれる社会。それは、リアルなセックスよりも刺激的な体験。過去の有名人は、シム(シミュラクラ)として復元され、パーティの余興に使われる。金持ちは、死体を冷凍し、仮想存在として「存在」を続け、死にかけた死体は、ナノの海でネットワークと接続し、長い夢を見る。
 シアトルに移ったマリア・チョイは、その美しい漆黒の改変した身体を徐々に元に戻そうとしている。シアトルの警察に受け入れられているか、受け入れられていないか、自分の立場に自信を失いながら。不安定な身体、不安定な社会的位置づけ。
 会社社長のジョナサンは、妻や子どもとの関係が崩れかけていることに恐れながら、誘われるままに秘密結社の戸をたたく。本当の自分を求めて。
 テロリストのギフィは、謎の存在。自分の謎にすら気づかない、ペルソナ。
 人々は生まれ、家族や仕事を持ち、他者と関わり、受け入れられ、拒絶され、死んでいく。そこに確かにある。苦しみも、悲しみも、喜びも、救いも、慰めも。
 セラピーやナノによる「松葉杖」をすべて取り除く病原体をつくり、人々に感染させ、社会を崩壊に導こうとする秘密結社の試み。その悲劇。
 ここにあるのはP・K・ディックとは似ているが違うかたちの慰めと希望の物語。
 保護された感覚ポルノ女優のアリスのいる自宅に、すべてを終えて帰ってきたマリアが帰宅する。そこで交わされるささやかな会話と情景。
 すべてを終え、失って帰ってきたジョナサンと、すべてが変わった妻、そして子どもたち。その再会のささやかな情景。
 すべてを失い、すべてを得て帰ってきた思考体ジルとそれを迎えるスタッフのささやかな会話と情景。
 そして、すべてを失い、なくし、何かを残した男は、なすべきことを覚えていた。
 その結語の意味を知るために、本書を通読する価値はある。

 もちろん、ナノテク、人工知性などに興味がある人にもおすすめ。

2004.4.20



TEXT:丸目はる
monita@inawara.com
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